2014年3月11日火曜日

3月11日

いい朝ですね。
今日は何の予定がありますか?いつもみんながラマステの精誠、浄化精誠の精誠で「食口を大事にする、食口を愛する」「謙虚なる、仕えるリーダーになる」
​​

天一国2年天歴2月11日
今日のみ言

 私たちは、食口を一人たりとも失ってはならないのです。指導者の皆様は、一つの魂を失うことに対しても恐ろしいくらいの良心の呵責を覚えつつ、さらに努力していただきたいと思います。

 氏族的メシヤとは何か
位置------
  氏族的メシヤとは何でしょうか? 真の愛の主人なのです。真の愛の主人、これは、イエス様が願い、アダム・エバが願い、神様も願っていました。ですから、すべてが真の愛の主人になって前進しなければなりません。そうなれば、みな終わるのです。氏族的メシヤになれという言葉は、氏族的祖先になれということです。
(1989・1・3、漢南洞)

 事実、氏族的メシヤというものは、一番素晴らしいものです。「やあっ! 世界で一番だ。億万金を与えても買うことができないものなのだなあ。やあっ! これ、分かってみると一番だ。これ以上ない」と言うのです。皆さんは、いくらのものだと思いましたか? 後退するならば、皆さんはいくらのものだと思ったのですか? アメリカ大統領が問題でなく、イギリスの女王が問題でないほどの価値をもったという事実を知らなければならないのです。イエス様が問題でない価値であることを知らなければならないのです。


 それで、氏族的メシヤは、一代において氏族を中心として歴史的な故郷を案内する先鋒者だということを知らなければならないのです。モーセのように出エジプトの先鋒者であることを知らなければならないのです。盲目的ではないのです。モーセは何も分からずにしましたが、私は具体的にみな知っているのです。理論的にみな知っているのです。故郷を訪ねていかなければなりません。しかし、カインを探し求めずしては故郷に入れないということは原理的な事実です。サタン世界にお兄さんの氏族が残っているので、彼らが私(自分)の氏族の位置に来るように、お兄さんを救ってあげなければなりません。そうでなければ、サタンになるので仕方がないのです。彼を救ってあげてこそ彼が囲いになり、自分の故郷に入っていって自分の一族を救うことができるのです。そうでなければ皆さんの父母を伝道しておいても、サタンがまたくわえていくのです。引っ張っていくのです。そういう危険性があるので、神様はこのような摂理をせざるを得ないというのです。自分の父母、自分の一族、故郷をみな伝道しても、また引っ張っていくというのです。(1979・1・14、ベルベディア修練所)

2014年3月10日月曜日

3月10日

おはようございます。
今日も一期一会の心で過ごしましょう。

天一国2年天歴2月10日
今日のみ言

 真なる愛だけが体と心を一つにする。

今、世の中では、「この世界は一つの世界になるべきだ。統一の世界であるべきだ。平和の世界であるべきだ。」こんな言葉をたくさん言います。

 では、一つになるには、力を与えながら「やあ」と言うと「やあ」こうなって、力で一つにするのか? でなければ、何かの組織力を持って、この頃は何かの組織社会だから、強力な組織力で一つにするのか? その次には、ある思想を中心として一つにするのか? そうできる一面はあるかもしれませんが、それは我々の本性として「体と心が全部歓迎をして、これでなければだめだというそのようなものには絶対なれない。」というのです。体と心が「これはいい。このようなものは私が願うものだ。これは永遠な理想の基準で私が侍って暮らすことができる。」と言えるようになっていないのです。それはお金でもだめだし、知識でもだめで、何でもだめなのです。

 では、一つになりうる根本が何か? 高い人や低い人や、東西洋はもちろんであり、黄色人や白人や黒人や、どの国でもみな好みうるものが何か? それは愛です。真なる愛で一つになること以外にはないということが、最後の結論であることを、皆さんは知るべきです。そのようですか?(はい)。自分の体と心が親しくなって、一つになって、喜びうることは・・・。お金を見て体と心が喜びますか? それは永遠に喜べないのです。


 我々の五官が全部集中して、一つにさっと固まって、笑って踊りを踊りうることは真なる愛の理想以外にはないという結論です。それをだれが否定しますか? 否定すれば、それは愛ではありません。それゆえ、霊と肉が我々の心と体がすべて一つになりえ、ともに共栄しうることは、真なる愛の境地以外にはないという結論を下すことができるのです。(91―141)

 霊と肉は、本来真の愛を中心として一つになるようになっているのであって、偽りの愛を中心として一つになるようになっていません。それゆえ、真の愛の起源を見出さずしてはこれが一つにならないのです。それが最も理論的だということです。その場を皆さんが越えていって、天が祝福してくれる、その祝福を願って行かなければならないのです。(91―184)

 皆さんの体と心が、神様の愛を中心として生きていかなければなりません。ご飯を食べるときも、神様の愛を中心として食べ、考えと行動をするときも、神様の愛を中心としてすべきです。体と心が神様の愛を中心として生きる人にならなければなりません。しかし、皆さんの体と心が怨讐になっています。神様の愛を中心として根を下ろさなければならないのに、サタンの愛で先に根を下ろしたためです。そこから体と心が分かれて戦っています。(1986・2・1)

 本来は、人間の心と体に神様の愛が入って、内外に矛盾や相入れないこと、または闘争がない結果をもたらさなければなりませんでした。しかし、人間が神様から離れていって、サタンを中心として外的に愛したのが動機になって、体と心が相入れない立場で闘争する結果がもたらされたのです。そうして、外的な体を中心とした愛が、内的な心を中心として、理想的な永遠な生命の起源になる、神様の愛に背いて出てくる歴史の結果がもたらされたのです。ですから、外的な愛、すなわち、サタンの愛を除去して、そこに本然の内的な愛である神様の愛を相続して、体と心を糾合させなければなりません。そうしてこそ、ここから統一が起こるのです。(37―179)

2014年3月9日日曜日

3月9日

アンニンハセヨ。
おはようございます。3月も早く9日になりました。一つ一つ予定を計画を持ってやりましょう。
土台は浄化精誠、関係結び、コーチングであります

天一国2年天歴2月9日
今日のみ言

祝福をしてあげるということは、天の全権を委譲してあげることを意味します。

 祝福は、天国の門を開くことであり、天国は、子女をもって家庭が入っていく所です。
​​

 祝福とは、永遠の宝物です。子孫万代を今から出発するという一つの契約です。ですから、それを汚す時には一族が関係します。イエス様を十字架につけることによって、一国家が関連することになったように、一族に連結されます。

 祝福とは、歴史が追求してきた万民解放の門を開く鍵なのです。

 祝福を受けるということは、とてつもない事実です。祝福を受けた人は、神様の代わりに「私が定めれば天宙も定める」という心で、主人として振る舞える人にならなければなりません。このような条件が備わってこそ、天が私たちを中心として生活理念を立てることができるのです。

 神様の祝福は、絶対的に公的なものです。その祝福は、ある個人だけのためのものではなく、またある家庭だけの、ある国家だけの、ある世界だけのためのものではありません。神様の祝福は、宇宙全体のためのものです。

 「祝福」という言葉は、福を祈るということです。祝願する(祈る、願うという意味)の「祝」という字です。福を祈るのに、どんな福が一番貴いのでしょうか。愛の福が一番貴いのです。統一教会は、そのような意味で「祝福」という言葉を使うのです。一番貴いもの、宇宙の公約を代表した一番核心的な起源が、男性と女性が結合するところから始まるので、その祝福が一番偉大だというのです。

 その偉大なものが福を祈れば最高の福になるので、統一教会では結婚式を「祝福」と言います。初めて来た人々は、こういうことを知らなければなりません。統一教会で「祝福を受けた」というのは、今日この世で「福を受けた」というのとは違います。神様の立会いのもとに、真の父母を通じて結婚式をしてもらったということです。

2014年3月8日土曜日

3月8日

おはようございます。
今日はなにをしないといけないかをキチント確認し、順序良く一つずつ。

天一国2年天歴2月8日
今日のみ言

 マタイ福音書6:21
『あなたの宝のある所には、心もあるからである』

 一番投入して犠牲になる者が中心者になる

  個人が、家庭に犠牲することを願う人はいますか? そうしなければ国が滅びます。七人家族であれば、七人のために犠牲になって、それが間違っていたとすれば大変なことです。

七人共々に、みんなが自分を尊重します。価値からいっても、平等です。七人を殺して自分一人がよくなるというのは悪魔です。それは地獄に直行する悪魔です。自分が犠牲になることによって、七人がみんなよくなるのです。七人共々に犠牲になるとすれば、その家が直行、直立で、縦的にすーっと上がるのです。垂直に飛び上がるのです。

 こういう原則から見た場合に、当然、個人が七人の人々の前に犠牲になるということは、それは道徳社会の公的な道として、誰もそれには反対する者はいません。そのように犠牲になり、為に生きた場合には、神様の再創造の道、神様が成されてきた再創造の道と一体になるので、神様が現在立っている所につながる道が続いているのです。分かりましたか? だから滅びることはないのです。

投入して忘れる犠牲の道をとっていく人は、その家族の中心者になります。みんなが犠牲しても、一番投入して、もっと犠牲になる者が中心者になります。国の大統領、国の総理という者は、その国のために自分のすべてを投入して、投入して、誰よりも投入して忘れ、投入した者がなるのです。分かりましたか?


 それが、今まで若い者には分からなかったのです。投入して投入して忘れていくことによって、中心者になるということです。中心者がみんないいと思い、みんな中心者になりたいでしょう? しかし、無責任な中心者は悪魔です。破壊ばかりを生みます。

だから中心者は責任を持たなければなりません。統一教会の中心者は誰ですか? (お父様です)。お父様ではありません。そういう時は、先生です。統一教会の教祖様です。中心者は責任を負うのです。

2014年3月7日金曜日

3月7日

おはようございます。

天一国2年天歴2月7日
今日のみ言葉

 父の祈りから

  お父様!
人間の先祖の堕落によって
遠くなったあなたとの距離を縮めるために、永遠なる善の主管者として、また永遠なる理想の主管者としてイエス・キリストをこの地に送られましたが、お父様を身代わりして実体で来られたイエス様を主として侍ることが出来るようにしてください。

 神様と真の父母のための侍る生活の中から

神様は、アダムとエバを造られ、彼らが希望の人格者になることを懇切に願われたのですが、そのアダムとエバが堕落してしまいました。堕落前から抱いてこられた慕わしい心情、堕落前から抱いてこられた希望の心情に対して、人類の先祖アダムとエバが裏切ることによって、神様の心には悲しみがしみわたるようになったのです。神様は、アダム家庭に対する悲しみの心情、憤りの心情を抑え、慕わしい心を再び取り戻すためにカインとアベルを立てられたのですが、彼らは、その希望を成してさしあげることができず、逆に悲しみだけを神様に与えたという事実を、皆さんは考えなければなりません。その後、千六百年という歳月を経て、再びノアを立てられました。しかし、結果は同じことになりました。そこからまた四百年を経て、アブラハムを立てられたのですが、やはり同様でした。慕わしく思った一人に出会って心情を分かち合おうとされたのですが、アブラハムも、やはり神様が抱かれた慕わしい心情を完全に解いてさしあげることができなかったのです。そのようにして、数千年間抱いてこられた慕わしい心情を悟らせるために、三代を経ながらヤコブ家庭を立てられたのです。しかし、
その家庭においても、完全にみ旨を成し遂げることはできませんでした。

 イスラエル民族を立てられても、このような慕わしい心情を躊躇なく話すことができず、教えることもできず、支配することもできない立場で、彼らのあとから従っていかざるを得なかった神様の事情を、私たちは知らなければなりません。


 慕わしく思ってこられた一つの民族形態を地上に立てられ、その民族が塗炭の苦しみに陥るたびに、神様は、その慕わしく思われる心に比例して苦衷を感じられ、悲しまれ、困難に遭われたという事実を、私たちは知らなければなりません。

 長い歴史路程を経てこられる間、神様は、慕わしい心情を私たちの心に植えつけ、歴史に植えつけ、世界に植えつけるために闘ってこられました。それゆえに、私たちが接する物一つにも神様の慕わしさがしみ込んでいるという事実を知らなければなりません。私たちが対する食口にも、歴史的な神様の慕わしさがしみ込んでいるということを知らなければなりません。私たちが生きているこの国、この世界にも、神様の慕わしさがしみ込んでいるというのです。

2014年3月6日木曜日

3月6日

おはようございます。
今日も喜びの一日になりますように。

天一国2年天歴2月6日
今日のみ言

お父様!

強い心を生じさせてくださり、強い恩賜を加えてください。
私たちの心が、体を屈服させることのできる能力を所有できるよう助けてくださいますことを、
お父様、切にお願いいたします。

 一和という言葉の「和」という字は、本質が変わっていきながら和合するのではありません。男性なら男性が、女性なら女性が、変わらずに和合するのです。どちらが貴いかというと、本質が変わって和合するよりも、そのまま和合するのが貴いのです。

 一心、一体、一念。一心は何かというと愛天です。天を愛しなさいということです。一体は何かというと、人類を愛しなさいということです。そうではありませんか。一念は愛国です。愛国は国家を愛しなさいということです。国家は家庭を拡大したものです。家庭を愛しなさいということです。男性と女性におけるすべての願いの骨子または主流は、一心、一体、一念の思想です! 分かりますか。

 ですから、きょうの表題を言うと、一心、一体、一念安着は、一念と言ってもかまいません。一心、一体、一念は神様と天宙人の主流思想です。天宙と言えばみな分かるでしょう? 神様の家なので、万物世界、天地がすべて入るのです。天宙人の主流思想です! 分かりますか。一度言ってみてください。(一心、一体、一念は、神様と天宙人の主流思想です)。天宙人とは、天地の家の人です。すべて入ります。被造万物がすべて入るのです。天宙人の主流思想です。分かりましたか。一度言ってみてください。(一心、一体、一念は、神様と天宙人の主流思想です!)。それ以外にはありません。

2014年3月5日水曜日

3月5日


おはようございます。
新しく体制が始まります。

みんなも天の人事を受けた立場で新しく変わり、浄化精誠、コーチングで頑張ろう

天一国2年天歴2月5日
今日のみ言

 父の祈りから
神様の永遠なる希望が残っている限り、
今日、私たちにも永遠なる希望が残っていますし、神様の永遠なる信仰のみ旨が残っている限り、私たちにも永遠なる信仰のみ旨が残っています。

 人類に対する神様の希望
   神様と人間が一つのみ旨を中心として一つの愛に和合して生き、全天地が神様の愛を喜びながら、その愛を実際の生命の中心として立てた中で、すべてが一つになって生きることが神様の創造本然のみ旨でした。しかし、アダムとエバが堕落することにより、神様の愛は、神様の愛としてのみ残るようになりました。すなわち、人間と関係を結ばなければならない神様の愛は、人間と関係を結ぶことができずに人間から離れるようになり、すべての被造世界から離れるようになったです。

 それゆえに、今まで神様は、御自身が立てようとされたその愛を中心として、すべての万物を糾合し、神様と万物が共に喜ぶことのできる一日を願われながら、六千年の歴史を経過してこられたのです。しかし、いまだ全被造万物が神様の愛を中心として一つに統一されないまま、その神様の理念は、理念のまま残っていて、取り戻さなければならない希望の愛もそのまま残っているのです。ですから、今まで神様は、そのみ旨を必ず成し遂げるために摂理してこられたのです。


 このように、人間の堕落以後今日まで、時代を問わず、神様は、神様の希望を成し、人間に対して信じ得る心と、愛することができる一つの心を取り戻すために、長い間摂理してこられたのですが、いまだにそれらを成し遂げることができず、取り戻すことができずにいらっしゃるのです。

2014年3月4日火曜日

3月4日

おはようございます。いい朝ですね。

今日も頑張って行く。

 お父様!
​​

あなたの聖なる生命力が
私たち自体に連結されるようにしてくださり、
あなたの権威ある姿が
私たち自身と一体になるようにして、
怨讐に対し耐えてこられたお父様の心を
私たちの心に受け継がせてください。

天一国2年天歴2月4日

今日のみ言葉

 宗教が指向する目的

今まで創造主が人間に与えようとされた遺業とは何でしょうか? 人間たちが暮らしている地球ではありません。この地球ではありません。私たちが相続すべきものは、この地に限定されたものではありません。この地を土台として永遠無窮な世界、広大無辺な世界を私たち人間に相続させようとなさるのです。それだけではありません。天と地はもちろんのこと、天宙を創造された創造主まで与えようというのです。真の宗教の目的地はどこでしょうか? 地ではありません。地ではないのです。全部一つの中心である唯一神を指向します。宗教を立て、それを指向する個人、家庭、社会、民族、国家の形態として歴史を導いてこられました。

 このような神様はいまだに天と地、そこに神様ご自身まで合わせて、「このすべてのものを永遠にお前たちに与えり」という祝福をなさることができませんでした。祝福をなさることができなかったのです。


 選民思想を誇ったイスラエル民族に神様は何を与えようとしましたか? 神様ご自身を与える前に、ご自身の息子を与えようとなさいました。ところが、彼らはその息子を打ち殺しました。神様の選民だといって、その息子を通して遺業を全部与えようとなさいました。ご覧なさい、イスラエル民族を立てるまで神様がどれほど苦労をなさったか。民族を立てておいて何を与えようとしたでしょうか? 神様の愛するひとり子を与えようとなさいました。そこで終わるのではなく、後には神様ご自身までも与えようというのです。これが信仰の最高の目的点です。
(1960.11.27)前本部教会)

2014年3月3日月曜日

3月3日


おはようございます。
今日も一日よろしくお願いします。
 
人間は、何人といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいています。

天一国2年天歴2月3日

今日のみ言

良心は自分の第二の神様
 人間において、一番貴いものは何ですか?(愛です)。愛はどこに住みますか? 男の愛と女の愛は、どこで一つになりますか? どこですか?(生殖器です)。生殖器を合わせたところです。女の生殖器には愛はないのです。自分自身には感じないのです。あなたは愛を持ってるのですね? それは、父母の愛、父母の生命、父母の血統をみんな相続しているのです。それを持っていても、自分なりに一つになっているので感じないのです。これは、近くなったら見えますか? 答えてください。見えますか、見えませんか? (見えません)。

 なぜ見えないのですか? 目というものは相対的に物を見るようになっているのであり、一つになっていれば見えないのです。目玉が目玉を見ることできますか?(できません)。だから、良心がなぜ見えないのかというと、自分と一つになっているからです。相対的であればすぐ分かるのですが、一つになったら分からないのです。愛を見たことがありますか?

    ないのです。触ったこともないのです。一つになっているからです。人間はすべてが中間に浮かんでいるのです。すべて一気圧の中で調和が取れているのです。一気圧の力は大変な力ですが、一つになっているから分からないのです。分かりますか? 一つになっていると分からないのです。

 君たちの(胸の)鼓動は、「ドン、ドン、ドン、ドン」と聴診器で聞けば大変なのです。このように、心臓が動くということを一日に何回考えますか? 平均みんな一か月でも考えないのです。一年に数回しか考えないのです。忘れているのです。大変なことです。臼で突くよりもっと大きい音がするのに、なぜ感じられないのですか? 答えは、一つになっているから感じないのです。速度の一番速い所、一番遅い所、その中間しか聞こえないのです。感じることもそうです。相対関係に立たなければ感じられません。脈なんかもそうです。それが分かりますか?

 神様が良心を見たいと思うのに、良心がないという女の子がいたら、気持ちはどうですか? ひっくり返るほどに気持ちが悪いのです。愛がないというのです。気持ちが良いですか、悪いですか?(悪いです)。愛と良心をコントロールするのは神様です。神様は良心の主人であり、愛の主人なのです。分かりましたか? (はい)。

 良心は自分において第二の神様です。先生に続いて声を出してください。良心は(良心は)、自分において(自分において)、第二の神様です。(第二の神様です)。自分を中心としては(自分を中心としては)、絶対なる神様です!(絶対なる神様です!)。そのように定義するのです。

 第二の神様は、第一の神様の相対位置に立つのです。相対を中心としての主体・客体の関係は、男が中心に立ったら、女はその男の命令に従えばよく、神様に聞く必要はないというのです。分かりますか? 相対は、主体と一体であれば、それで万事「オーケー」です。分かりましたか? 着物と同じです。立派な着物も、その人が着ることによって、いくらでも御殿の王様の前にも出られるのです。立派な着物が出られるのではないのです。その人が着た着物だから、みんなが歓迎するようになっているのです。そのような相対関係をいうのです。分かりましたか?(はい)。

 相対関係において、神様を中心として良心は第二の神様です。それがなければ、神様と人間が相対的な内容の関係を持つ因縁がないのです。分かりますか? 良心は神様と人間が通じるようになっているのです。良心は第一の神様に対して相対的立場に立つのだから、第二の神様の立場に立つのです。しかし良心を、男、女と見た場合には、男の良心は神と一体になっており、その一体になった主体と客体は横的関係だから、これが一つになった場合には、幹と同じ、枝と同じで、相対基台が一つになったら、それで万事が「オーケー」です。

 国も、国会を中心として、行政府があるのですが、地方では県は県知事を中心として、相対的な県の法律に一体になった場合には、中央に報告しなくてもよいというのです。分かりましたか?(はい)。


 主体・客体関係の世界は、このような原則によってつながっているのです。どちらが上か下か、どこが中心か、相対かを決めることによって位置が決まるし、男、女の二人の問題が世界の八〇パーセント以上、悪辣な罪悪世界をつくったとすれば、男、女の問題をはっきりと解決することによって、平和世界が八〇パーセント無事達成できるというのです。ですから、男、女の処理問題は歴史的に重要なことです。

 この世界は悪い世界ですか、良い世界ですか?(悪い世界です)。今は、もう絶望の段階にきているのです。絶望の渦中で、現状の世界を眺めているのです。「どうすればよいか」と言っても、そこには中心もなければ、主体もないのです。相対ばかりがうごめいていて、今から上がるか、下がるか、この渦巻きがどうなるか分からないという世界です。そういう渦中に生死を決めなければならない運命圏に立っているのです。

2014年3月2日日曜日

3月2日


おはようございます。

今の時私たちは
・絶対感謝で!
・絶対精誠で!
・絶対一体化で! 共に… ♪

勝利出来る歩みをしましょう。…

天一国2年天歴2月2日
今日のみ言
 私の心は体に、「真実なものを探せ」と命令しています。「まず真の体を探せ」と命令しているのです。それで今日、世界人類は何か知らないうちに真のものを探してさまよっているのです。

堕落による怨恨の中にしみているこの世界に生きているゆえに、何か知らないうちに真のものを探さなければならない、こういう運勢に巻き込まれていっています。

 これからあなた方は、探さなければならない本然の私について考えてみると、喜ぶことができない自分であることを知らなければなりません。

悲しみに置かれている自分であることを知らなければならないのです。ある世界を見て悲しがるのではありません。苦痛を感じても、ある相対的な世界での苦痛だけを感じてはなりません。

 悲しみと苦痛を感じるなら、真の私を探していない悲しみ、真の私を探していない苦痛を感じなければならないのです。世の中に悲しみと苦痛がたくさんあるといっても、真の私を探せない悲しみと苦痛よりも大きい苦痛と悲しみはないというのです。

 では、創造主であられる神様は誰を探し出そうとしていらっしゃいますか。神様は皆さん自体、すなわち「私」を探し出そうとしていらっしゃいます。それゆえ真の私が完全に決定されなければならないのです。

そのようにできなければ、一つの実体を中心とした真の家庭や、その真の家庭を中心とした社会、国家、さらに国家を単位とした一世界、世界を単位とした一天宙とは縁を結ぶことができないのです。したがって完全な私になることが、あらゆる段階の第一基準になるのです。

2014年3月1日土曜日

3月1日

おはようございます。いい朝ですね。

今日は三・一運動(さんいちうんどう)の日です。1919年3月1日に日本統治時代の朝鮮で起こった独立運動。

独立万歳運動(日本では三・一事件、三・一独立運動という名称もある)。

韓国では3月1日を三一節として祝日に指定している。

創造本然の正しい人間にはその心が神に継がれて無限に自動的に真理がきずる様になっている。

過去の聖人、義人が誰にも教わらず多くの真理を悟ったのも、聖人として、義人としての心の基準だけ立てば真理が湧き出ずる様になっているからである。

天一国2年天歴2月1日

今日のみ言葉

 主は聖霊を通じて「審判は神の家より始まる」(ペテロ前4章17節)と云い給い、自らも「その時地に信仰をみんや」、又「彼等は胸を打つであろう」と云われた。今は如何なる指導者も修道者も頼れない。
善悪の判断のつかない、善悪混沌期に入っている。唯頼りになるのは神の直接の声と清い良心の判断のみである。

 真実皆さんが真理に生きんことを欲し、又これが生死の問題であるを思うなら、最後の判断として如何なる干渉も受けずして、神と直接の祈りによる判断をすべきである。生きている神なら真実にう子に答えないがない。


末の日には霊を全ての人に注ぐ」と云われたのは、多くの人が天よりの直接の啓示により、新しい天の経倫によって与えられた奥義の正否を知らせん為である。神の智恵により、又は霊の目と耳により、又は祈りにより正しきを知った者よ。

今や愛も冷え、信仰も形式化し、神の子としての美を発せず、未信者と何ら変るところのない教会の現状を心から憂い、愛と信仰に燃えて、神の子の香りを発して、新しく始まった改革の烽火に油を注げ。この改革は神の欲し給う教派の全てが一つにならんとする事である。即ちキリスト教の統一である。

そしてキリスト教の統一により全宗教統一、全宗教統一は更に思想統一へと、そして究極には世界統一である。くして地に悠久なる神と人類の悲哀の人類歴史、罪と闘争の歴史は終末を告げて、新しい地と変り、地より天に迄新しく新天新地の聖書のみ言は成就されるのである。