2014年3月31日月曜日

3月31日

おはようございます。
第55回真の父母の日。
今日も喜びを分かち合いましょう。

□先生は皆さんよりも一段階前に立って仕事をやっていくので、先生のやることに関心をもちなさい。
  それは皆さんの次の生活の目標であるからである。

天一国2年天歴3月1日
今日のみ言葉

皆さんは、何ゆえに生きていますか。「食べるために」と答える人もいるでしょうし、あるいは「仕事をするために」、または「何の目的もない人生を生きている」と言う人もいるでしょう。

 人間は、何のために生きるのでしょうか。愛のために生きるというなら、どれほど素晴らしい答えかというのです。人間は、愛の結実として生まれ、愛し合いながら生き、永遠なる愛である神様の懐に帰るようになっているというのが創造本然の生なのです。

 愛によって生まれ、愛の中で成長し、さらに異なる次元の愛に連結されるのは、父母の愛を離れ、相対の愛を求めていくことなのです。父母の愛は蘇生的愛ということができ、夫婦の愛は長成的愛ということができます。夫婦でいくら愛し合っても、子女がいなければ愛の完成を見ることはできません。ですから、子女を願うのです。これが完成的愛です。ですから、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛を経る過程が生涯の根本であり、神様の創造的愛の理想の根本となる道です。


 生命は愛から生まれます。愛から生まれ、父母から愛を受け、愛によって成長して、愛する妻に出会ってまた愛し合い、その愛の中に死んでいきますが、これが人生なのです。ですから、悲しみと苦痛はあり得ないのが本来の人生なのです。

2014年3月30日日曜日

3月30日

いい朝、新しい一日を出発出来て感謝します。

□時が貴重である。春に種をまかなければならないのに、秋まけば冬が過ぎるまでの苦痛を受けねばならない。瞬間一日と一生の関係

天一国2年天歴2月30日
今日のみ言葉
​​


□ 瞬間を無視する人は、
     貴いものをもつことができません。偉大な人にもなれず、神様の王座と王冠を受け継ぐこともできません。それゆえ、瞬間を輝かせるために、皆さんは言葉一言、行動一つにも注意すべきであり、考えることも注意すべきです。自分の生活で繰り広げられるすべての内容が、世界と関係する現象として残るという信念で解決できる所でのみ、勝利圏が決定されるのです。

このように、勝利圏が決定されるのは瞬間です。したがって、歴史的な勝利圏、天宙的な勝利圏も瞬間に決定されます。瞬間を輝かせ得る無限の価値を
感じて生活する人は、偉大な人になることができるのです。聖人にもなることができ、神様の息子、娘にもなることができるのです。このように、生死の分岐点は瞬間にかかっています。

今日、我々の姿勢が問題です。まず、み旨にかなった国が来ることを願い、そのみ旨が成されることを願うのも必要でしょうが、それより、自体がどのようにすればみ旨と一致していくかということが重要です。

一時間なら一時間を、どのようにすればみ旨と一つになるかということが、み旨の国が成されるのを願うことより重要だということです。それゆえ、まずみ旨を継承し得る個人的な環境、家庭的な環境、氏族的な環境、民族的な環境を成してこそ、み旨の国と関係を結ぶことができるために、神様を中心として、一日の生活圏内で、一時間なら一時間をどのようにみ旨と関係を結ぶかということが、重要な問題とならざるを得ません。

2014年3月29日土曜日

3月29日

おはようございます。
ラマステで一日を始めましょう。
□後退することも前進することも、自分自身が母体である。後退する人は人も嫌うが神も嫌うのである。
​​

天一国2年天2月29日
今日のみ言葉

□礼拝と教会生活礼節・教会に対する正しい認識

   教会が目指すべき目的は、神様の国を求めて建てることです。神様の本来の創造理想は、国を中心として一つの世界をつくることです。そういう創造理想であるがゆえに、教会が目指すべき目的地は、教会を建てることではなく、国を建てることなのです。

今後、教会時代は過ぎ去っていきます。人類が願うのは、教会ではありません教会は堕落圏内で、復帰の運命の道を行く際に必要なのであって、新たな時を迎えれば、教会時代は終わるのです。それゆえ統一教会は、教会活動をするのではありません。教会の名で社会に適応し、社会を改革し、社会の廓清(浄化)運動をするのです。そうすることが、その国と民族、そして世界に住む人類には果たすことのできない、開拓者の使命を成し遂げることになるのです。今こそ皆さんは、この道を行かなければなりません。

    教会が一つから二つに分かれ、そのようにして三回分かれると、神様は去っていきます。天理の原則はそうなっています。そうして家庭的に集まります。恵みのある人は家庭的に集まるのです。教会に行きません。家庭でひれ伏して祈祷します。そのようになるかならないか、見ていてください。

「全知全能で慈悲と愛に満ちた神様であるゆえ、千回、万回罪を犯しても許してくださる」と、クリスチャンは言っています。そう言って教会で祈祷して出てくるや否や、けんかをするのです。教会は、罪を犯してから悔い改める

懺悔堂ではありません。それほど多くの罪を許せる神様であるとするならば、エデンの園で一度犯した罪を、どうして許すことができないのでしょうか。 そうではないですか。また、サタンが許される道があったとするならば、サタンは悔い改めたことでしょう。千回、万回 涙を流して悔い改めたことでしょう。

2014年3月28日金曜日

3月28日

おはようございます。


□正しい考えを多くし、実践を多くなせば、人より先に進むようになる。考えてばかりいて滅びた人は多いが、実践をしていて滅びた人はいない。

天一国2年天歴2月28日
今日のみ言葉

□一つのものに全精神を集中させれば、自然が、海が語りかけていることを知るでしょう。肉身が心と戦っている時、もっと心の方に、あなたが耳を傾ければ、良心の声がどちらから聞こえてくるでしょうか。そのように、神をみつけるのです。そのようなことに集中して、黙想する時、風が吹けば、神秘的な音楽を聞き、太陽がのぼり、小鳥がさえずる時、何かすばらしいことがありそうな気がします。それが、神の創造の心情でした。

 自分が、気が違ったのではないかと思って、その場を歩き出し、また、もどって来ると、不思議な世界に入っていきました。それは、サタンのものではありません。サタン世界は恐怖であるが、神の世界は、神秘で何かに酔ったみたいに好い気持ちです。もし、それが嵩じてくると、神と対話できないだろうかと、願うようになります。平和と愛との境地に入ると、神と出会い、そこに神の声が聞こえてくるようになります。耳が開ききって、鋭く、神経が動くようになります。


 ある方角を歩きながら、無意識に方角を変えて、ある人にぶつかる時があります。その人に、神が会えと言っているのです。その人は、自分が初めて会った人でも、長いこと会いたいと思っていた人のように、その人の前に、おじぎをしています。その人は「何故、おじぎをするのですか」と驚きます。「私は、何度もあなたを幻にみて、何度も会っていました。昨夜も、あなたを幻にみました」と。そのようなことを通して、神が、私を導いていることを知りまします。私ではなく、神が会いたかった人だと知りました。そのようなことが、何度もありました。しかし、このようなことを言うと、みんなは、影響されて洗脳されたと、まな、私をせめるでしょう。神が、世界の問題の全ての解決の鍵です。

2014年3月27日木曜日

3月27日



おはようございます。

□善なる人は食べ物に対しても、まず天、次に地、その次に人類を考えてから食べる。

天一国2年天歴2月27日今日のみ言葉

□統一教会に関心をもたれている方に対して。
Q:統一教会は何を目指しているんですか?

 統一教会は「神様の真の愛を相続しよう」をテーマに、「ために生きる人格の育成と祝福結婚による理想家庭の実現」に取り組んでいます。
    また、そのような理想家庭を世界中に拡げることを通して、人種・民族・文化・国家の壁を超えた人類一家族世界を目指しています。

Q:統一教会の教義はどんな内容ですか?

 統一教会の主な教義は、「統一原理」と呼ばれる体系的な思想です。
 統一原理は、人が正しく生き、理想家庭と世界平和を実現して幸福になるための道として、文鮮明先生が長い年月をかけて宇宙に潜む普遍的真理を解き明かした体系的な理論です。

 統一原理は大きく、①創造原理 ②堕落論 ③復帰原理 の3つから成り立っており、宇宙の根本は何か、人間はどうして生まれたのか、不幸の原因はどこにあるのか、どうしたら平和で幸福な世界ができるのか、といったさまざまな問題が明確に解かれ、人類の未来に新たな指針を与えるものです。

Q:統一教会では、どうして合同結婚式をするのですか?

 統一教会では、神様を中心として男女が真の愛で結ばれ、神様の理想を具現化する場として、結婚と家庭を最も重要視しています。神様の真の愛は、神様を中心として夫婦・親子が一つに結ばれた、真なる家庭によって相続されるものだからです。

 統一教会で行われる結婚式は、このような本来の結婚の意味と価値を取り戻し、神様を中心とした真の家庭を築くことを誓約する儀式としての意義をもっています。

 合同結婚式は単なる集団結婚の場ではなく、主礼として立てられた方(神様の代身としての立場)を前に、新郎新婦が神様を中心とした真の家庭を築くことを約束する聖なる儀式なのです。

Q:統一教会の人たちは普段どんな活動をしているのですか?

 教会員の活動は、所属の教会によってまちまちです。  共通しているのは、毎週日曜日の礼拝と毎朝家庭で行う訓読会(統一教会の教えを書いた本を読むこと)の2つです。
 あとは教会ごとに文化活動やボランティア活動を行ったり、講演会や地域フェスティバルなども開催しています。

  また、熱心な教会員の方は、知人・友人の方に統一教会の教えを紹介する「伝道活動」も行っています。基本的に、それぞれの関心や立場などに合った活動を各教会員がしています。

Q:統一教会についてもっと詳しく知りたいのですが…。どうしたら入会できるのですか?


 統一教会に関心を持たれた方は、ぜひお気軽にお問い合わせください。
 まず、最寄りの教会を紹介させていただき、そこで統一教会や統一教会の教義などについての説明を聞いていただきます。その後、入会申込書をご記入していただき、ご入会していただくという形になります。

2014年3月26日水曜日

3月26日

______0326_____Good Morning、今日は最高の喜びを得られるように努力して行きましょう。

□大きいことをなすためには冒険が必要である。そうするためにはまず体を鍛練させなさい。いくら貧しい食事をしたとしても、朝運動をしなさい。

天一国2年天歴2月26日
今日のみ言葉

□「為に生きる」人生を生きるということは、時として個人の犠牲を前提とします。数年前にわが教会の宣教師が南米を巡回する途中で大きな地震が起きたことがあります。宣教師夫人が真っ青になって私を訪ねてきました。「どうすればよいですか、先生。あまりにも心配でどうしたらよいか分かりません」と言って涙ぐんでいるのです。それで私がどうしたかといえば、肩を叩いて慰労するどころか、怒鳴りつけました。「今あなたは夫のことを心配しているのか?それとも、夫が修羅場(しゅらば)で何人の命を救っているだろうかと心配しているのか?


 夫の安否が心配なのは当然です。しかし、宣教師の夫人ならば、それ以上のことを心配できなければなりません。夫を安全に守ってくださいと祈祷するのではなく、夫がより多くの命を救えるようにしてくださいと祈祷しなければなりません。

 この世の中に、自分だけのために存在するものは一つもありません。神様は、この世界をそのように創造されていないのです。男性は女性のために存在し、女性は男性のために存在します。自然は人間のためにあり、人間はまた自然のためにいるのです。
この世界のあらゆる被造物は相手のために存在し、作用します。ですから、相手のために生きなければならないというのが天の道理です。


 幸福は必ず相対的な関係においてのみ成立します。生涯を声楽家として生きてきた人が、無人島に行って声が嗄(か)れるほど歌を歌ったとしても、聞いてくれる人がいなければ幸福になることはできません。私がある相対のために存在しているという事実を悟ることは、人生の尺度を変えるような一大事です。私の人生が私だけのものではなく、誰かのためのものであるとすれば、今までの生き方とは全く違う道を行かなければなりません。

2014年3月25日火曜日

3月25日

おはようございます。
毎日春が深まって来ます。
​​


□古い衣を脱がずして新しい衣を着ることができないように、古い観念で新しい世界を見つめることはできない。

天一国2年天歴2月25日
今日のみ言葉

□ 君たちは三年以内に三名以上、十二名までの霊の子女を復帰しなければならない。イエス様は、三年間に十二弟子を見つけられた。だから君たちも三年間に、イエス様の十二弟子の蕩減復帰をしなければならない。まず、十二人の霊の子女を見つけることである。しかし君たちにぜひ知って欲しいことは、イエス様でさえその三年の末に、十字架にかかる時、十二弟子は逃げ去ってしまったということである。

     君たちはどの点からも、イエス様より勝らなければならない。君たちは、自分自身が十字架につくような時にも、決して逃げ去ることのない十二人の霊の子女を見つけなければならない。

 一つの魂を救うことがどれほど困難なことか、君たち、良くわかるだろう。その経験を通して、先生が復帰のためにどれほど困難な路程を歩んできたか、良くわかるだろう。伝道もまた公的生活、無私の生活をしなければできない。聖書に『一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただの一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる』とあるように、他者を生かすために自分を無にし、犠牲となって行なうのである。すべてのエネルギーを排出して自分を死なせ、その中から新しい生命が誕生するのである。それが伝道である。 


 だからこの期間はしっかりロープにつながって、公的生活をしなければならない。サタンも神も我々をじっと凝視しているのである。もしそれができないと、サタンが君たちを釣り上げて『これはわしの子だ。神よ、これはお前の子ではなく、自分のものだ』と言って、とりあげてしまうのである。

2014年3月24日月曜日

3月24日

いい朝ですね。今日も元気出して頑張って行きましょう。

「神様の国は、永遠に幸福な所」「天の国は、好きなもの、うれしいもの、愛するものがいつでも満ちあふれた所」好きなもの、うれしいもの、愛するものって…、
おいしいお菓子、面白い本、家族の笑顔…、

天一国2年天歴2月24日
今日のみ言葉

■「なるでしょう」ではなく「なろう」と決心私たちは統一の家族です。一つの家族です。この目標の前に、どこに行っても、一つの心、一つの願いをもって、この目的を達成しなければなりません。分かりましたか。
 ですから、創造主、天の父母様が私たちを信じてお喜びになることのできる実績を、毎月、毎年、より大きく、高く、お返しする真の孝子・孝女・忠臣になりましょう!
 毎日、そのみ言を記憶しながら一つ一つ問題点を解決していく2014年度は、先ほど伝えた標語、「創造主天の父母様に似た 真の愛を実践する天一国の真の主人になろう!」のように、「なるでしょう」ではなく「なろう」です。これは必ず勝利しなければならないという意味です。
 「なるでしょう」ではなく「なろう」、今すぐに。このような覚悟で、天暦基元節(1周年)を目前にしていますが、強く決心して出発する皆さんにならなければなりません。
 これからは天の前に実績をお返ししなければなりません。今まで行ってきた方法は変わらなければなりません。生産性が必要です。そうしてこそ生き残ることができます。皆さんの能力を、創意力を探してみてください。

 皆さん自身が発見しなければなりません。誰かがしてくれるのではありません。分かりましたか。それでは、新しく生まれ変わる天一国の民になることをお願いします。
 行ったり来たりするだけの人になってはなりません。全ての面で、責任をもった面で、主人意識をもって責任ある行動をしなければなりません。
 

2014年3月23日日曜日

3月23日



おはようございます。

   古い衣を脱がずして新しい衣を着ることができないように、古い観念で新しい世界を見つめることはできない。

天一国2年天歴2月23日
今日のみ言葉

     神をはっきり知れ!
 「神の存在を本当に知っているということは、神の存在を信じているということではない。」

 「誰かが、あなたに、あなたの両親は実の両親ではないと説得したとしよう。それを数時間、数ヵ月、数年間説明してみても、やはり両額が実の両親でないとは確信できないだろう。それは、それほど深い愛情を両親に対して持っているからである。だから自分の両親を感じるように神の存在も感ずるようでなくてはならない。その感覚がないのなら、神を発見したとか言うことはできない。神の存在を知らないで神の子女だという資格があるだろうか。何よりも我々は神の息子、娘である。子供が両親を必要とするように、我々にも神が必要なのである。また、両親が子女を必要とするように、神も我々を必要としているのである。

 もし神の心情に通じたら、この世界の果てまで手がとどく。そして全人類を飲み込んでしまう。しかしもし、今のままでいるならどうしようもない。何ら偉大なことほできない。神と一つとなった時、すべてのことが可能になる。これは真理である。」

2014年3月22日土曜日

3月22日

愛して伝道しなければならない。そうすれば神は、『あなたは三六〇軒ホームチャーチを無条件で愛し尽くした。

天一国2年天歴2月22日

今日のみ言葉
    天国に入る絶対必要条件が、正に「ために生きる人生」、すなわち真の愛の人生であり、すべての創造の平和理想的モデルとなる、神様を中心として平和に暮らす新しい家庭の人生です。

 人類は今、誰もが真の家庭を探し立てることのできる道が大きく開かれました。皆様、「共にために生きる人生」の典型は家庭です。真の父母と真の子女は真の愛と尊敬で、真の夫婦は相互信頼と真の愛を土台として、兄弟姉妹はお互いに信じて助け合いながら、一つになって暮らす家庭が、正に真のモデル的理想家庭なのです。真の愛の根に、真の愛の幹が生じて、真の愛の実を結ばせる、真の家庭を取り戻さなければならないという意味です。

 このように、真の祖父母、真の父母、真の孫と孫娘を中心として、三代が一つの家庭で、永存される神様に侍って暮らす天一国家庭を探し立てることが、氏族的メシヤの責任であり、平和大使の使命であり、神様の願いであることを知らなければなりません。

2014年3月21日金曜日

3月21日

おはようございます。

◇我々は絶対者の代わりに、真の父母の代わりに、真の主人の代わりに責任をもち、勝利の勇士とならなければならない。

天一国2年天歴2月21日
今日のみ言葉

私たちの家庭でも同じです。神様の立場にいる父母は真の愛を中心として完全投入、絶対投入する。家庭という環境がなければ、どうして私たちがこのような絶対的基準の“私”をさがし、縦横と前後に完全な“私たち”を敢えて考えてみることができるでしょうか? 家庭こそ愛と平和と幸福の揺籃なのです。

 皆様、私たちは世俗的な名誉、知識、権力、財力に恋恋としたり、また、それらに引きずり回される愚を犯してはならないのです。この世にいくら優れて有名な者がいたとしても、彼が、心と体が完全にひとつになった位置で“私”をさがし出せず、天と縦的に連結されていなければ、何の役に立ちますか? 天が彼を胸に抱いて“私たち”だと呼んでくれなければ、神様の創造理想である平和世界の実現と何の関係がありますか?


 皆様は真の“私”をどこでさがしますか? 為に生きる真の愛を実践する生活でこそ可能です。自分を完全にゼロにして否定し、家庭のために、国家のために、世界人類のために、そして神様のために生きるようになれば、真の“私”は自動的に捜し出されるのです。これがまさしく復帰摂理、救援摂理の道を歩んでいる人間の避けられない運命の道なのです。

 私たちは寝ても覚めても理想家庭完成のために生きるべきなのです。神様の創造本然の世界である平和世界、神様が千年、万年、待ってこられた理想家庭だけ立てれば、そこが他ならぬ地上天国の出発地になるのです。そこで、かわいそうな神様の恨を解くことができるようになるのです。

2014年3月20日木曜日

3月20日

おはようございます

    正しい考えを多くし、実践を多くなせば、人より先に進むようになる。考えてばかりいて滅びた人は多いが、実践をしていて滅びた人はいない。

天一国2年天歴2月20日
今日のみ言葉

□神が私たちに与えた使命を胸中に刻んで、第一線に出なければなりません。私たちが躊躇し、ためらえば、人類はますます抜け出せない苦境に処するようになります。世界を一度、見渡してください。皆様のほかに誰が、本当に、今日の人類が処したこの危機を懸念し、また、解決できると思いますか?

 皆様、神様の創造理想を完成するとは、果たして、どういうことだと思いますか? 人間始祖の堕落によって人類は神様の真の愛、真の生命、真の血統とは何ら関係がない、サタンの偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の子孫となり、偽りの種に転落してしまいました。これが人類の悲劇であり、いまだに私たちが解決すべき最も大きな課題です。

 成約時代には父母を通して覚醒させてきたのです。それでは、何を覚醒させてきたのでしょうか? 私たちは果たして、どんな根拠で“私”だと主張し得る資格者となったのでしょうか? 聞きたくない話かもしれませんが、人類は今日まで、堕落した子孫として真の“私”の価値と位置をさがし得ませんでした。神様は人間を創造され、ともに“ウリ(私たち)”という言葉で真の家庭を立てて、その家庭を拡大発展させて、ご自身の創造理想である平和世界をこの地上に実現しようとされたのです。しかし、人間が堕落によって真の“私”の位置をさがし得なかったために、神様も“私たち”という言葉を使ってみることができなかったのです。神様自身が“私のもの”、“私の子”だと言える、そんな関係を結び得なかったのです。したがって、私たちが持っている“私”という概念は、神様の本来の創造理想とは、何ら関係がないものなので、私たちは自らを完全否定すべきなのです。

 私たちはまず、個人として完全な“私”の位置をさがさなければなりません。ところが、それは自分をゼロにして完全否定するしかありません。その位置であってこそ、心と体の完全統一をなし得るためです。考えてみてください。天と地が公認し得る完全な“私”をさがし立てて、完全な家庭をつくり、その上に完全な国家、世界をつくる前に、どうして神様が、不完全な輩である私たちをご自身の真の愛、真の生命、真の血統圏に立てて、“私たち”だと呼ぶことができるでしょうか?


 私の心と体が完全にひとつに統一されていると、自信を持って叫ぶことができるかと自問してみるべきです。そこに対して確実に答えられないとすれば、私たちはいまだに行くべき道が遠いということを自認するほかないのです。
 神様は愛の主体であり、生命の主体であり、血統の主体なので、永遠に不可分な一体的基準に立っている、そんな真の息子・娘をさがしてこられたのです。

2014年3月19日水曜日

3月19日

おはようございます。

私達がいつも神の道を勝利してゆく中にあって一番私達を妨げるものは疎外感(愛の減少感)です。
神は人間を愛する故に救われなければならない。救う為には、神は疎外感の湧き起こる所に導こうとするのです。

天一国2年天歴2月19日
今日のみ言葉

   人には愛があります。しかし、愛というのは、「私」一人では現れません。男性が一人でいるときには、愛は現れません。男性の前に相対的な女性が現れてこそ、愛が生じてくるのです。
このように相対が現れて初めて、愛が生じるのです。

 父母の愛が素晴らしく、夫婦の愛が素晴らしいというとき、本当の愛は、自分を中心とした愛ではありません。愛というのは、「私」から始まるのではなく、相対から始まるのです。皆さんは、これを知らなければなりません。夫から、妻から愛が生じるのであり、息子から、兄弟から愛が始まるのです。
 愛は、自分自身から始まるのではなく、相対から始まるのです。ですから、愛の主人は誰でしょうか。相対が愛の主人となるのです。
 愛はどこから出てくると言いましたか。相対から現れるのです。相対が醜くて憎ければ愛も後退しようとするし、相対がきれいで好ましければ愛の作用もその分早くなります。
 相対の言語、美、香り、味など、相対の要素によって愛の作用が決定されるようになるのです。
 愛の根拠地はどこでしょうか。愛の根拠地は「私」ではありません。「愛」という名詞(言葉)は相対的観念から語るものです。相対がいなければ、いくら美男子であっても、一人では愛することができないのです。

 愛の根拠地は「私」ではありません。「愛は私からだ」というのは、サタンが今まで利用してきた言葉です。愛の根拠地は「私」ではありません。愛の根拠地が自分だと考えますが、このような考え方を改めなければ、未来の歴史も発展がありません。
 今まで、妻は妻なりに、夫は夫なりに自分が中心だと言って、お互いに「私のために尽くしなさい」というので破綻が生じたのです。愛の根拠地は「私」にあるのではなく相対にあるので、その愛を「私」がもつためには、「私」自身がその愛の前に犠牲にならなければなりません。
 愛は必ず犠牲を要求するのです。また、愛は克服を必要とするのです。このような観点から見るときに、今日サタン世界を克服できる内容は、この天地間において、他のところからは見いだすことができません。神様を中心とした愛の原則によってのみ見いだすことができるので、神様は愛をしっかりつかんでいらっしゃるのです。

2014年3月18日火曜日

3月18日

おはようございます。

今日はみんなの心を一つにして、天の父母様に近くなって行きましょう。

「心の中で、いかに神と近づくかがすべてである。」

天一国2年天歴2月18日
今日のみ言葉
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創造本然の男女の愛

    愛は、一人では成されないのです。愛は、どこから出てくるのですか。「私」から出てくるのではなく、相対から来るのです。相対から出てくるので、「私」が頭を低くして相対のために尽くさなければならないのです。「ために生きる」という天理がここから生まれるのです。極めて高貴なものが「私」のところに訪れるのですが、それを受け入れようとすれば、それを貴く思い敬わなければならないという「ために生きる哲学」を実践しなければならないのです。

 人には愛があります。しかし、愛というのは、「私」一人では現れません。男性が一人でいるときには、愛は現れません。男性の前に相対的な女性が現れてこそ、愛が生じてくるのです。


このように相対が現れて初めて、愛が生じるのです。
 父母の愛が素晴らしく、夫婦の愛が素晴らしいというとき、本当の愛は、自分を中心とした愛ではありません。愛というのは「私」から始まるのではなく、相対から始まるのです。皆さんは、これを知らなければなりません。夫から、妻から愛が生じるのであり、息子から、兄弟から愛が始まるのです。
 愛は、自分自身から始まるのではなく、相対から始まるのです。ですから、愛の主人は誰でしょうか。相対が愛の主人となるのです。