2014年2月28日金曜日

2月28日

おはようございます。

「絶対感謝で!・絶対精誠で!・絶対一体化で!」共に… ♪

雨乞い祭り精神で……

新しく16JKとしてスタートです。

天一国2年天歴1月29日

今日の訓読のみ言

審判は神の家より始まる

 今迄は理想郷を望みつつも、これは不可能な事として、又遠い距離にあるものとして諦めて来たが、今ここにこの様に歴史的に聖書的に実証されて初めて愛にして善なる神の愛と真理の世界を復帰せんとする摂理を知り、人類生存の目的、歴史の方向も解った。

今迄は人聞は動物にもしかないものだと思って来たが、如何に人間が尊く、喜ばしいものであるかを知った。今迄は失望の中で暗中模索の人生であったが、今は信仰と希望と愛の人間となった。65億人類が希望に燃えて愛と真理の世界を成就する日が来た。手に手を、肩に肩を並べて、新しい新天地の夢は夢ならずして完成する。神の悠久なる約束がなされる成約時代だ。
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 過去の歴史は血によって戦われ、塗られて来たが、今は愛と真理による、戦いである。如何なる悪人でも正しい事を云われると自分の悪い事を自覚する良心の目芽はある。その上温い愛で真に愛するに誰が変らないでおられょうか。一人間再創造より始って65億人間の再創造が終れば、地は自動的に天国と化し、涙もなく、悲しみも、苦しみもなくなり、過ぎし昔の悪夢の様に去って行く。

 兄弟よ!姉妹よ! 今は全人類が一家族である。愛する家族がする全ての事に憎い事があろう筈がない。全てが愛らしく、嬉しく、美しい。今迄は全てしてはいけないの拘束の世界であったが、これからは全て真理を悟って自由となり、(ヨハネ伝8章32節)、神を信じて愛と真理を中心にして全て行える自由の身となる。かくして天地自由人、天国人の希望は全うされるのである。


 創造本然の正しい人間にはその心が神に継がれて無限に自動的に真理が湧(わ)き出(いずる)ずる様になっている。過去の聖人、義人が誰にも教わらず多くの真理を悟ったのも、聖人として、義人としての心の基準だけ立てば真理が湧き出ずる様になっているからである。

 主は聖霊を通じて「審判は神の家より始まる」(ペテロ前4章17節)と云い給い、自らも「その時地に信仰をみんや」、又「彼等は胸を打つであろう」と云われた。今は如何なる指導者も修道者も頼れない。善悪の判断のつかない、善悪混沌期に入っている。唯頼りになるのは神の直接の声と清い良心の判断のみである。


 今や愛も冷え、信仰も形式化し、神の子としての美を発せず、未信者と何ら変るところのない教会の現状を心から憂い、愛と信仰に燃えて、神の子の香りを発して、新しく始まった改革の烽火に油を注げ。この改革は神の欲し給う教派の全てが一つにならんとする事である。即ちキリスト教の統一である。

してキリスト教の統一により全宗教統一、全宗教統一は更に思想統一へと、そして究極には世界統一である。斯(か)くして地に悠久なる神と人類の悲哀の人類歴史、罪と闘争の歴史は終末を告げて、新しい地と変り、地より天に迄新しく新天新地の聖書のみ言は成就されるのである。

2014年2月27日木曜日

2月27日


おはようございます。

また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。(マタイ10:38-39)』

天一国2年天歴1月28日
今日のみ言葉

 絶対に不平のない

神様の息子がどうしてこのような位置にまで降りて来てこんなことをするのか?」などとは言えないのです。

僕の僕の道は、私が願って行ったのです。イエス様がゲッセマネの丘で三回の祈祷をする時、「この杯を私から過ぎ去らせてください」と言いましたが、私は僕の位置に行っても、そのように祈祷することができませんでした。

「私は自ら願ってこの杯を飲みます。たとえ僕の僕の位置で死んだとしても、お父様の願い以上の位置で死んでいきます」と祈ったのです。

 皆さんは、苦しければ「苦しい」と言い、寝なければ「眠たい」と言い、食べなければ「おなかが空いた」と言い、寒ければ「寒い」と言える、そういう位置に立っているのです。おなかを空かし、寒さに震え、休むことのできない人を見つめる神様が、どれほど悲惨であるかということを知っていますか? それを知らなくてはなりません。

 そうであるために、神様がいるとすれば、レバレンド・ムーンを愛さなければならないようになっているのです。

ですからレバレンド・ムーンが苦労の道を行くとすれば、神はいつも友人をつくってくれたのであり、慰労の対象をつくってくれたのです。険しい道では食事を用意して待っている人がおり、車に乗って行かなくてはならないのに歩いていこうとすれば、車を用意してくれる人がいたりしたのです。

話そうと思えば、謎めいた出来事が数え切れないほどたくさんあるのです。そのようなことが起こるたびに私は、「この責任を果たさない男に対して、天はこれほどまでに助けてくださるのか、私は死に値する罪を犯しました」と、このようにしてきたのです。

「死なんとするものは生きる」と、先生は一生の間そのような道を歩み、今日まで生きてきたというのに、皆さんは何年間苦労してきたというのですか? 神様はこの歴史を、このあと1000年をおいて復帰しなければならないというのに、その神様のみ旨を考えてみる時、私たちが不平を言うことかできるでしようか?

2014年2月26日水曜日

2月26日

おはようございます。

創造主天の父母様に似た真の愛を実践する天一国の真の主人になろう」

天一国2年天歴1月27日
今日のみ言葉
使徒行伝
2:42~47
そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。
みんなの者におそれの念が生じ、多くの奇跡としるしとが、使徒たちによって、次々に行われた。
信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた。
そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、
神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。

神様のみ旨とは何ですか?
①「み旨の定義」について
真のお父様は、神様のみ旨について、次のように定義しておられます。
「私が神様のみ旨に対して定義をしてみましょう。私は、神様のみ旨とは『創造理想を完成すること』だと定義を下します。

それでは『神様の創造理想を完成する』ということは何でしょうか。それは人間の理想を完成することです。言い換えればアダムとエバを中心として、全被造世界が神様のみ旨の前に一体となり、アダムとエバの理想を完成することです。

統一教会の言葉を使って言うならば、神様のみ旨は四位基台を完成することです」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』402ページ)

「統一教会で見る神様のみ旨、すなわちレバレンド・ムーンが知っている神様のみ旨とは何でしょうか。それは神様が宇宙をつくった創造理想、すなわち創造目的を完成することです。神様はすべての被造万物を創造するとき、必ず目的をもって創造されたので、そのような神様の創造目的を成すことが神様のみ旨です。


その目的の中心は誰でしょうか。アダムとエバでした。それゆえに私は、創造の理想を実現すること、すなわちアダムとエバを中心とした理想を実現することが、神様の創造目的だと見るのです。では、その理想実現とは何でしょうか。それはまさに四位基台を成すことです」(前掲書、403ページ)

2014年2月25日火曜日

2月25日


おはようございます。

春らしい出発ですね。

我々が未来に相続すべき三つは、伝統・教育・実績です 今日も一日 、元気で宜しくお願いします。

天一国2年天歴1月26日

今日のみ言葉

神様は法度を守られる

 神様はどんなお方ですか。宇宙の心のようなお方です。この宇宙は体のようなものなのですが、その体の真ん中には誰が入っているかというと、悪魔が入っているのです。

空中の権勢をつかんだサタンがこの宇宙を支配しているのです。これを消化するために神様はどうしなければならないでしょうか。

 力ずくで打ってしまうことはできないのです。宇宙の創造の本質は愛であり、宇宙の歴史的伝統が愛を通じたものであったので、誤った者がいたとしても、神様はその原則の立場に立たざるを得ないのです。

それゆえ神様が堕落したこの宇宙を回復するためには、今まで本質的愛を中心として創造された真の愛の理念を実現するために投入した本然的基準を永遠に続けなければ、絶体者である神様の権威を取り戻すことができないのです。ですから神様はいかばかり大変なことでしょうか。

 堕落とは何でしょうか。サタンを中心とした愛の因縁を父母の立場で結んだことです。堕落論だの、善悪の実の話は必要もないのです。否定することはできません。ですからサタンの愛、サタンの生命、サタンの血統を受け継いだ血族が今まで残ってつながってきたのです。

サタンは愛の怨讐です。神様が創造理想として万年夢見てきた事実を破綻させたのです。天地の大道の軌道を離れたということは、愛において過ちを犯したということです。これは否定することができません。

 悪魔の子を自分の愛する息子、娘以上に愛さなければ、神様の本然の創造理想を実現することができないのです。悪魔は「私は堕落してこうなったのであり、私の血族が神様を裏切ったとしても、神様だけは、天理の道理を守ってこそ神様といえるのではないか」と提唱するのです。

2014年2月24日月曜日

2月24日

 おはようございます。

今日は素晴らしい一日になりますように。

本物を求め、本質が問われる時です。

天一国2年天歴1月25日

今日のみ言葉

本人の信仰がなくなれば、家庭の信仰がなくなり、家庭の信仰がなくなれば、教会の信仰が落ちるよとお父様が語られました。

皆さまが、熱心に活動すれば、天の父母様が助けます。

真実でしなさい。
偽りのない。
愛でしなさい。
犠牲と奉仕でしなさい。
勤勉で、熱心になる。

これだけを一生懸命にすれば、後は私がする。と、真のお父様が語られました。

 信仰の本質
今まで神様が苦労されたのは、結局、私のためであり、今から行くべき世界的な開拓路程の九五パーセントの使命も、私のために果たしていらっしゃるということを考えれば、私たちは神様に感謝せざるを得ません。

ですから、信仰生活の本質は何でしょうか。神様に感謝する心です。そのような心があるとき、それが、堕落の因縁を越えて神様と私が一つの因縁で結ばれる基になるのです。

自分がこの世の中で良い立場に立って、初めて感謝しなければならないのですか。違います。今まで神様は、良いときだけ私たちのために苦労してこられたのではありません。困難なときであるほど、より苦労することを誓われたのです。

ですから、今日の私たち自身も、神様を私の父として侍るためには、私の代わりに働かれ闘ってこられた神様に、良い立場で感謝することよりも、困難な立場で、より一層感謝しなければなりません。

したがって、過重な十字架の途上でも神様に感謝できるというのは、このような原則を理解するときに可能なのです

2014年2月23日日曜日

2月23日

おはようございます。

食口を愛し兄弟間で和睦し、真の父母を中心に、環境を広げていかないといけない。

このような行事ごとに皆が発展し大きくならないといけない


天一国2年天歴1月24日

今日のみ言葉

 短い肉身をもった生涯にどれだけ多くの人を愛したか?
 それが自分の財産になるんだよ。

財産になるんだ!そういう心情でもって何人を愛したか、高い者も、低い者も万民に対する全ての心情をもっていってこそ神の前に立つ資格がある。

何もなしに神の前に立ったら「なぜ来た?」そういう質問をされる。神の前に立つ一時の為に我々は生涯をかけて、その一時の体面をたたせるために生涯をかけ歩まねばならない。そうなんだよ。

先生その一時の自分の体面がどういう体面で神の前に立つか、恥しい体面か、それと万民が、喜ぶような、万民が讃えるような、神が喜びほほえむ顔つきでもって「御苦労さん」と言われる立場か。だから君達もそうだろう。結局は霊界に行くんだろう。

結局は霊界に行かなければならないし、霊界に登録しなければならないんだよ。今は手続きの方法をとっているんだ。それを一生涯かけてやる。特に堕落した人間はそうだろう。

神の前に手続きをしなければならない。報告の内容が一致して「ああ、これだ!」となったら合格。

  だからこの期間にあって、まだ手続きを終えていない者は休む暇がない。いくら周囲でガアガア言って反対しても行く道が忙しいっていうんだ。日が暮れる前に自分の目的地に着かなければならない。

2014年2月22日土曜日

2月22日


おはようございます。

今日は最高の日になりますように。


創造主天の父母様に似た真の愛を実践する天一国の真の主人になろう」

天一国2年天歴1月23日

今日のみ言葉

 誰が主人になるのでしょうか。より「ため」に生きる人です。より「ため」に生きる人が支配し、より「ため」に生きる人が主管し、より「ため」に生きる人に相続がなされるのです。それが天理です。愛には同参権があります。昼でも夜でも、どこでも同参することができるのです。

自分の息子、娘の部屋に許可をもらって入りますか。自分の部屋に許可をもらって入りますか。そうではありません。神様を愛するそのような愛の作用をもったならば、神様がどこに行っても私が同参できるのです。

 真の愛と権勢とは、何が違うのでしょうか。真の愛は、愛して忘れてしまいます。記憶しません。善と悪の基準は何でしょうか。悪は与えて利益を全部もらおうとするもので、善は自分のものを与えても忘れてしまうものです。家においても、より「ため」に生きる人が善なる側です。

「ため」に生きる人は、結局その家の主人になることを知らなければなりません。十人の友達がいるとして、その中で一番いい友達は誰でしょうか。十人の友達のために尽くす友達です。そうすれば十人が、「ため」に生きるその友達を中央に置いて侍るようになるのです。宇宙はそのように相続されていきます。

大母様の御言
   天の父母様と一心・一体・一念になるためには、真実で行いなさい。偽りのない事実のままに行いなさい。食口たちに真実ではなく偽りで接すれば、その時にはどうにかなっても結果的には成されないのです。

そして、愛で行いなさい。犠牲と奉仕で行いなさい。食口がどんな罪を犯して来たとしても、その罪を脱ぐために努力し、どんな困難を持ってきたとしても、その食口のために蕩減条件を立ててあげ、正しく生きられるように関心を持ち、犠牲と奉仕の精神で行いなさい。そして、勤勉にしなさい。絶対に出勤や退勤時間を決めて行うのではなく、昼夜を問わず一生懸命に。

2014年2月21日金曜日

2月21日


     


おはようございます。いい朝ですね。

 何を実践して、何を実現するのが、神様の理想なのでしょうか?

 それは「ために生きる」実践と「互いにために生き合う世界」の実現です。

ために生きるとは、どういうことでしょうか。ために生きるためには相手が必要です。

天国では愛する人がいなければなりません。

天一国2年天歴1月22日
今日のみ言葉

 侍りたいお父様
 今まで私たちは観念的に神様を呼んできました。宗教的な主体としてのみの神様を呼んできました。
しかし、そうではありません。神様は生命の主体であると同時に生活の主体であり、生活の主体であると同時に理念の主体です。

しかし、どんなにその理念の主体が広く、大きいとしても実質的にそれを生活感情で分析し、体験しなければなりません。もし、生活で体験するその理念の価値を、存在している何ものとも替えることができないと自慢することができる場に立った者がいるとするなら、彼は神様が探し求めている人に違いないはずです。
  
 私たちが感謝すべきことがあるならば、それは神様を父と呼ぶことができ、父に侍ることができる因縁を結んでくださることです。これ以上価値あることはありません。

神様は堕落した人間を収拾して最大の価値を賦与したいとされるのですが、それはこの人類に対して親しく息子とし、娘とするということです。こういう心情を抱き、訪ねてこられるということを皆さんは体験しなければなりません。言葉だけではなく、体験しなければならないのです。

私たちはこのように訪ねてこられる神様に、必ず侍るべき運命に置かれています。皆さんがいかなる指導者に仕えているとしても、その指導者は皆さんが永遠に仕える者ではありません。

今日この地上にいかなる理念を主張する代表者がいるとしても、その代表者も永遠に仕える者ではありません。私たちが永遠に仕え、永遠に共に生きなければならない方とは誰でしょうか。それは正に永遠無窮に存在される神様です。皆さんはそういう立場に立たなければなりません。一から千万事に至るまで、神様に侍って生活できるところまで進まなければならないのです。
  
 世の中では、ある主権者の息子、娘であると自慢しています。ある会社の社長の息子、娘であると自慢します。しかし、それは問題ではありません。それは、あとでなくなるのです。本当に自慢できるものがあるとするなら、それは善の理念を通して天地万物を造られた創造主である神様に対して、皆さんが父と呼ぶことができ、その創造主が皆さんに対して息子、娘と呼ぶことができるということです。それ以上の場がどこにありますか。

   
  

2014年2月20日木曜日

2月20日

おはようございます。

創造主天の父母様に似た真の愛を実践する天一国の真の主人になろう」

 「先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」。。。「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒行伝16:30-31)


天一国2年天歴1月21日

今日のみ言

 「考えてこらん。
どこで天の父と会うかというんだね。いずこに天の父を迎えるや。君の住んでいる部屋の中で?

それは間違い。数多くの聖人たちの一生の目的を、部屋の中でもって果たしたものはいない。道端や、あるいは十字架上などが、神が本当に愛する子女と会うべき最高の場所である。
イエス様も、そういうところで神に対した。誰もが欲するところではない。
誰もがみんな慕うところではない。
誰もいない、たった一人のところ、そこが一番、神の心の真中に記憶され、息子として神に会うことができる急所である。
だから伝道に行くにも絶対二人で行かないんだね。
伝道に出た時、友達や兄弟姉妹と訪問するのをいやがるぐらいでなければならないというんだね。」(1967.7.6)

 「神の心情のわからない人は神の分身のような立場に立たなければならない。
中心人物だったら、自分の愛する者を怨讐にわけてやってがまんし得るような心構えを持たなければならない。そのように我々は神の心情をたどっていかなければならない。」(1969.2.4)

2014年2月19日水曜日

2月19日


おはようございます。

今日も一日 、元気で、み言を自ら悟って行動し、真の愛を実践する真の主人として天の摂理も私の人生も花を咲かせ、実(味)を結ぼう!

七つの習慣の第一番

①主体性を発揮する
出発点となる第一の習慣は「主体性を発揮する」です。人は誰でも“自分の反応を選択する能力”を発揮できるということです。

例えば、人の発言で不機嫌になることも、感謝することも、そのように反応することを自分で選択しているのです。嫌々会社に行くことも、喜んで会社に行くこともです。

この自らの反応のしかたを主体的にコントロールし、周りの状況に左右されることなく、率先的に状況を改善する行動を起こすこと。それがまずもって求められる能力です。



天一国2年天歴1月19日
今日のみ言葉

<終末期に置かれた人類>
 皆様、今日の世界を観察してみてください。世界のどこで、真に人類の将来を案じ、超宗教超国家的次元で、人類の和合と平和のために「殺身成仁」(自己の命を投げ打って仁道のために尽くすこと)する指導を探し出すことができますか。
 人類は今、父母を失った孤児であり、師を見ても分からない不良児であり、主人を失った僕の境遇となって、一寸先も見ることができない青盲(目は開いていて、物の見えない眼病)の人に転落しています。

 世界には今、二百以上の国家がありますが、国家間の関係を見ても、すべて自国の利益にのみ目がくらみ、直接・間接的に熾烈な戦争を継続しているではないですか。人類の福祉と平和のための崇高な志を立てて出帆した国際連合(UN)もやはり、今やその限界点にぶつかり、戦争、飢餓、疾病などの世界的危機に直面しても、万策尽き袖手傍観に明け暮れる、有名無実の機構になりつつあるではないですか。

 人間は、自らを「万物の霊長」という位置に立てて歴史をつくり出してきました。恐るべき殺戮戦と天災地変を経てきましたが、人類は今も生存し、繁殖を繰り返し、漠然とではありますが、より明るく幸福な世界を追求しています。それでは、なぜ人類は、いまだに罪悪と疾病の泥沼から抜け出すことができないのでしょうか。