2016年1月31日日曜日

1月31日

 人間の中、霊的な人と知的な人の二つの部類があるために、自分白身はどの種類の人であるかを知らなければなりません。知的な人は霊的な面を補強するためには、祈祷しなければならず、霊的な人は真理に対して研究しなければならないのです。

天一国
​​
3年天暦12月22日
今日の訓読み言
天聖經(109p37)
   堕落した人類は、いまだに世界が立証することができ、地が立証することができ、天が立証することができる、永遠の生の価値を見いだすことができずにいます。ですから、堕落した人間には、個人の生の価値を取り戻し、個人を経て世界的な生の価値を取り戻し、世界を越えて天的な永遠の生の価値を取り戻さなければならない復帰の使命が残っているのです。それでは、神様が今日まで摂理のみ旨を立て、全体の生の価値を求めてこられた目的は、どこで終結するのでしょうか。それは、皆さん一個体や世界で終結するのではありません。天と地が一つになって神様が喜ぶことができると同時に、世界が喜ぶことができ、世界が喜ぶことができると同時に、個人が喜ぶことができる生の価値を取り戻さなければなりません。その時になって、初めて天の救援摂理も終わり、サタンを中心とした世界的な人倫も終わり、個人的な道徳観念も終わるようになります。堕落した人類には、このような生涯路程を開拓していかなければならない責任があるのです。
◯み旨の道
神様の苦しみ(心配)を避けて自己の安楽を求める者はみ旨の世界には必要ない。
◯笑顔で感謝、
今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月30日土曜日

1月30日

先生は、天のお父様が私を生かしてくださり、また、私に希望をかけておられるという事実をよく知って​​います。それで「死を数千回覚悟してきましたから、心配なさらないでくださいませ!」と言って心の底から祈りを捧げています。

天一国3年天暦12月21日
今日の訓読み言
天聖經(109p36)
  神様は、アダム家庭が堕落したその日から、アベルを中心として摂理しました。父母が誤ることによって、子女を中心として摂理したというのです。摂理の目的はみ旨を立てることですが、それではみ旨の目的とは何でしょうか。創造理想、創造目的を完成することです。創造目的の完成は、愛の一致であり、理想を実現することです。ですから、アダム家庭において、このことが成就しなかったという事実が堕落だと見るのです。それでみ旨と心情の喪失が堕落によって成立したのです。これを復帰するために、これを再創造するために、アベルを立てて役事したのです。アベルの意志と神様のみ旨は分離されるのではなく、一致しなければなりません。神様が御覧になる次元とアベルが向き合っている次元が一致しているでしょうか。次元は違いますが、行く方向において、個人としてアベルが向き合っている立場は、神様の全体のみ旨の前にはもちろん差がありますが、み旨を行っていく過程で、向き合うみ旨の立場と方向は一致しなければなりません。ですから、アベルは救援摂理を完成するためにカインと一つにならなければなりません。カインを一致化させることが問題です。

◯み旨の道
必要のない数千人よりも、必要な一人がもっと大切である。
◯笑顔で感謝、
今日も、絶対いいことあるよ!

2016年1月29日金曜日

1月29日

皆さんが祈祷するときは、「真のご父母様が残したみ旨は、間違いなく私がしっかりと成してさしあげます。私​​たちは神様にお仕えすることにおいては、先生がなしえなかったことまですべていたします」と言うことができなければなりません。ですから、「祝福の中心家庭、だれそれの名前で切に報告いたします」と言うのです。

天一国3年天暦12月20日
今日の訓読み言
天聖經(109p35)
神様が主体と動機にならなければなりません。人間だけでは、神様と関係を結ぶことができず、恨のどん底から抜け出すことはできないのです。創造の原則から見てみるとき、人間は本来、神様と父子の関係を結ばなければならないことを御存じの神様なので神様は落ちた人間を再び子女の立場に引き上げようとしますが、そうするのは容易なことではありません。創造より何倍もの受難の道を行かなければならないのです。神様は、今まで無原理圏内に落ちた人間を、はしごを置いて引き上げる摂理をして来られたのです。

◯み旨の道
神様の摂理の方向と個人や国家の方向が一致すれば、その個人や国家は栄える。
◯笑顔で感謝、
今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月28日木曜日

1月28日

天地を明るく照らしながら、昇る朝日を眺めたり、暗い夜空できらきら輝く星の光を見つ​​めたりしながら、歴史的な恨と希望を感じたことがありますか? 神様は、太陽の光や月の光を見るにも申し訳なく思われます。

天一国3年天暦12月19日
今日の訓読み言
天聖經(108p34)
   堕落した父母、すなわち偽りの父母から生まれた人間は、神様の関係を結ぼうとしても結ぶことができなくなりました。すなわち、天地を創造した創造主と内縁の関係を結ぶことのできる何ものももてなくなったのです。創造の原則を中心として見てみるとき、人間は神様が造ったという由来があり、そして、神様が人間を造った目的が人間を堕落させるためではなく、完成させるためであり、創造の標準となる法度があるので、このようなものを中心として人間が再び責任を遂行するようにするためのものが、第二次的な復帰摂理路程です。復帰摂理は、堕落する前の状態に引き上げる路程です。人間は堕落することによって無原理圏の世界に落ちてしまいました。

◯み旨の道深く植えれば植えるほど遅く芽生えるものである。あまり時を急ぐな。六千年間植えておいた復帰歴史が一日にしてなされようか。
◯笑顔で感謝、
今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月27日水曜日

1月27日

良心を神様のように絶対視して生きるならば、間違いなく天国に行きます。そうすれば宗教は必要ありません。祈祷も必要ありません。完全な解放です。皆さん、宗教が必要ですか? 統一教会も大変でしょう? 蕩減だ何だと言ってです。蕩減して何をするのでしょうか。良心を解放するのです。
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天一国3年天暦12月18日
今日の訓読み言
天聖經(108p33)
神様にとって一番重要なことがあるとすれば、それは何でしょうか。み旨の成就であることは間違いありません。み旨を成就すること、言い換えれば、創造理想を完成すること以上に重要なことはありません。しかし、創造原理、すなわち、み旨を成し遂げなければならないということは、神様御自身のこととしてのみ残される問題ではありません。み旨の成就というものは、あくまでも神様を離れた相対の立場にその成否がかかっているという問題になってくるのです。ですから、神様御自身にのみ直接的な問題になるのではなく、相対的問題としても現れるのです。神様がアダムとエバを造る前に天地万物を造っておき、その次にアダムとエバを造って中心の位置に立てておきましたが、その中心存在が勝利の結実体になることがもちろん神様の望みですが、そのようになれるかなれないかということは、神様御自身に鍵があるのではなく、人間自身にあるのです。

◯み旨の道
  善は自己を中心としたものではない。人のために自己を犠牲にすることである。悪は自己を中心としたものであり、自己のために人を犠牲にすることである。
◯笑顔で感謝、
今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月26日火曜日

1月26日

「絶えず祈りなさい」(テサロニケ一五・17)と言いました。悪魔は二十四時間皆さんを通じて活動することができます。しかし、神様は縦的なところにだけおられます。人間の心は縦的なのです。神様は縦的な場にだけおられるので、人間の心を通じることなくしては活動することができません。サタンは三六〇度どこでも活動することができるので、人間の体​​は打ち勝つことができないのです。

天一国3年天暦12月17日
今日の訓読み言
天聖經(108p32)
    罪のある世の中から、罪のない世の中に移さなければなりませんが、これが救援です。移すということが救援なのですが、それがすなわち復帰だということを知らなければなりません。本来、神様のみ旨は、救援ではありません。ですから、本来の神様のみ旨に戻らなければならないのです。メシアが来る目的は、神様のみ旨を成し遂げるためのものです。神様のみ旨とは何でしょうか。悪魔サタンの世の中にいる人たちを、すべて自分の所に救い出すことであり、悪魔サタンを追放することです。今日、皆さんが生きている所には、罪を犯せば讒訴する悪魔サタンがいます。これを追放しなければなりません。人類を救援することが神様のみ旨であり、人類を滅ぼし、人類を蹂躙する悪魔サタンをこの地球星から永遠に追放することが神様のみ旨です。

◯み旨の道
    人間には情的分野(愛―家庭)と使命分野(仕事)とがある。この二つがないときには、彼は存在世界で死んだ人である。
◯40時間訓読精誠に参加している皆んなに感謝します。精誠は必ず実ることです。
東岡山家庭教会が一歩前に出る重要な時です。必ずいいことがあります。

2016年1月25日月曜日

1月25日

だれでも霊人体と肉身が神様の愛を中心として共鳴して響くようになれば、霊的な細胞と肉的な細胞が作動するようになります。そのように作動するとき、目を開くと天上天下がすべて見えます。マイクもそうではないですか。性能が良ければ百パーセント響くでしょう。
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天一国3年天暦12月16日
今日の訓読み言
天聖經(107p31)
   いくら外的勝利が完結したとしても、内的勝利がここに伴って完結しなければ、一つの全体目的を完成することができないと見るのが原理の観点です。ここで、内的なものが重要か、外的なものが重要かということが問題です。二つのうち、内的なものをより重要視せざるを得ません。内的な問題は、神様のための問題であり、外的な問題は、人のための問題だからです。このような観点から、私たちは神様のみ旨を重要視せざるを得ません。神様のみ旨は、神様と内的に一つとなった個人を通して家庭を形成し、その家庭を通して内的に一つになった氏族を形成し、その氏族を通して内的に一つとなった民族を形成し、その民族を通して内的に一つとなった国家を形成して発展させようとするのです。これが神様の計画です。
◯み旨の道
「我が思いではなく父のみ意のままになさしめてください」という祈りのごとく、私の思いと父のみ旨とが  異なることはあり得ない。
◯疎通と共有、笑顔で感謝
今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月24日日曜日

1月24日

祈祷はどうしてするのでしょうか。どうしていたずらに祈祷をするのですか? 神様は、祈祷してくれることを願われて皆さんをつくられたでしょうか。神様は人間が自分の事情をもって祈祷する姿に向かい合われ、苦痛を感じられます。ですから、悲しみの神様であるという結論が出てくるのです。(16-6-7-115,166.1.2)
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天一国3年天暦12月15日
今日の訓読み言
天聖經(107p30)
   あなたと「私」の二人が神様の愛を中心として愛し合い、み旨を中心として愛し合うなら、どれほど素晴らしいでしょうか。そうすることのできる家庭、そうすることのできる氏族、そうすることのできる民族、そうすることのできる国家、これが私たちの望む願いです。そのような圏内に「私」が包括されて生きている立場、すなわち歓迎し、呼吸し、授け受けする圏内で、私が主体的な立場で挙動しながら生きるという立場に立つとき、それこそ痛快なことではないでしょうか。無限の世界が伸びていき、無限の世界が縮小され、主体としての調和の関係を提示できる私であり、脈拍の起源に波動を起こさせる私だということを考えるとき、どれほど痛快な立場かというのです。そのような私がどこかに行くようになれば、神様もついてきます。私が隠れてしまえば、神様も困ります。それができると自覚されたところから統一の要因が決定されるのです。

◯み旨の道
真なる善と幸福は、家庭よりも、国家、世界、天地間の創造主の心の中におかねばならない。
◯疎通と共有、笑顔で感謝

2016年1月23日土曜日

1月23日

 先生の祈祷には、先生も感嘆します。立派な祈祷なのです。このように言うと、自画自賛することになってしまいますが…。先生はそうなのです。先生は、説教の題目を定めて研究したことはないのです。なぜなら、縦的世界があるからです。まっすぐ垂直になれば水が流れるように流れるのです。水道の蛇口を開けば水が流れるように、聴衆を見ればその時々に必要なみ言が出てくるのです。

天一国3年天暦12月14日
今日の訓読み言
天聖經(107p 29)
  絶対的な神様は、歴史観をもっていなければなりません。その歴史観は、摂理を通して現れます。摂理の中には、摂理のみ旨に従う人と、従わない人がいます。言い換えれば、信仰生活をする人と、しない人、この二種類がいます。こうした東西南北の文化圏を収拾して、一つの世界へと指向する絶対的な神様の理想、すなわち神様のみ旨は絶対的に一つです。神様のみ旨、神様の指向するその目的は、人類を破綻の渦中に追い込むためのものではなく、人類を解放と平和の境地に導くためのものです。ですから、平和の終着点に向かって、統一された世界に向かって歴史は動いていかなくてはなりません。
◯み旨の道
天国に行ける人は、この世の最高の栄光の位置を与えられても、み旨を捨てることはできないという一片丹心の心情を所有した者である。
◯笑顔で感謝、今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月22日金曜日

1月22日

 神様が中心の根です。先生よりも何倍、何百倍、神様のために生きることができなければならな
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いのです。先生をつかんで祈祷すること自体も恥ずかしいことです。そうでなければならないでしょう。ですから、皆さん自身が皆さんの家門と国と世界を再創造しなければなりません。先生のみ言をもって努力すれば間違いなくできるのです。

天一国3年天暦12月13日
今日の訓読み言
天聖經 (107p28)
    神様のみ旨は変わりません。人がいくらたくさんいるとしても、み旨に向かって行く道は一つしかありません。絶対的な神様なので、み旨も一つであり、そのみ旨の道に向かっていく道も、二つの道にはなり得ません。自分勝手に行き来することはできないのです。一つの直線しかないというのです。
◯み旨の道
   大きくなればなるほど、自分の足もとを見なければならないし、小さければ小さいほど神様を見上げなければならない。
◯笑顔で感謝、今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月21日木曜日

1月21日

理想世界は、永遠、不変、絶対的な神様を父として侍り、全人類が兄弟姉妹として為に生きながら、和睦して生きていく大家族の世界です。その世界を建設するための神様の摂理を主導する存在を救世主、あるいはメシヤといいます。


天一国3年天暦12月12日
今日の訓読み言
天聖經(106p27)
    神様は絶対者であられるので、志されたことを成就しないわけにはいかず、なさろうとしたみ旨を必ず成功させなければならないお方です。堕落したアダムとエバを再び収拾して、再生工場で修理し、本然の神様の愛を受けることができる、堕落していないアダムを再び造り出さなければならず、エバを再び造り出さなければなりません。そうして再び探し出された父母に連結させて、子女を探さなくてはいけません。そのような立場にあるので、救援摂理が始まったのです。
◯み旨の道
    十字架によってキリスト教が生まれたのではなく、復活したゆえにキリスト教が現れたのである。
◯笑顔で感謝、
今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月20日水曜日

1月20日

 祈祷することによって、「そのことはこのようにして、あのことはこのようにする」と教えてもらうのです。皆さんはそれを知ってこそ大きなことをすることができるのです。祈祷だけでそのような道を開拓することができます。祈祷がご飯を食べることよりも重要だという事実を知らなければ
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なりません。

天一国3年天暦12月11日
今日の訓読み言
天聖經(106p26)
  私たちは、自らを前面に立てて自分のことをむやみに話してはいけません。長い歴史の裏道で、真の自分を語ることのできる子女を探して、恨に絡まった復帰摂理をしてこられた神様の心情を少しでも知るならば、むやみに自分を主張できないのです。私たちは、寝ても覚めても理想家庭完成のために生きなければなりません。神様の創造本然の世界である平和世界、神様が千年、万年待ち続けてきた理想家庭さえ立てるならば、そこが正に地上天国の出発地になるでしょう。そこで、かわいそうな神様の恨を解いていけるようになるでしょう。

◯み旨の道
   神様を代表した宗教と世界を代表した思想を正しめようするのが統一教会の仕事である。宗教は縦的であり、思想は横的である。
◯疎通と共有、笑顔で感謝
今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月19日火曜日

1月19日

皆さんは体恤信仰をしなければなりません。自分の信仰の結果を測定することができなければ、神様が共におられるのか、悪が共にあるのかが分かりません。その体恤信仰を育てていけば、道を進み出るときに祈祷しなくてもかまいません。第一歩を踏み出すとき、「この道はどのような道だろうか? 神様が喜ばれうる道か、残念に思われる道か?」ということが分かります。

天一国3年天暦12月10日
今日の訓読み言
天聖經(106p25)
   皆さんは、自分よりも悔しい立場にいる人に慰労されるときには、慰めを受けることができます。神様は誰よりも悲痛さを経験していらっしゃるので、その神様を誰も慰労することができません。始まりも神様御自身であり、終わりも神様御自身なので、その心の中にしこりとなっている恨をいかにして解くかということが、神様の内的な事情です。神様は、このような事情を抱いて、今まで復帰摂理をしてこられました。霊界は、時間と空間を超越した世界なので、六千年前の悲しみも、歴史時代圏の中に永遠に残るのです。もし、自らを祭物として捧げたという体験によって喜びを感じたとすれば、それが時間圏の内容であっても、生活圏の内容であっても、一生において忘れられないのです。歳月が過ぎれば過ぎるほど、その幅と広さが大きくなってあがめられる対象になり、それが無限の根源と関係が結ばれるというのです。これから皆さんが、このような神霊的な体験をして、そのような内容をもって実行するようになれば、神様が今まで受けてこられた悲しみが一時的なものではなく、連続的につながってきたということが分かるでしょう。
◯み旨の道
怨讐である自分自らを打ち、生きて果たせなければ死んででも成そうという心情をもたねばならない。
◯疎通と共有、笑顔で感謝
今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月18日月曜日

1月18日

皆さんがいくら困難な中にあるとしても、三日だけ祈祷すれば、先生が教えてあげるようになっています。そのような因縁を経た後にこそ、父子の関係を結ぶことができます。夜を徹しながら祈祷して、神様の体に代わらなければなりません。
天一国3年天暦12月9日
今日の訓読み言
天聖經(105p24)
   神様も、自分の愛​​の相対が自分より優ることを願います。その愛の相対が人間なのです。それなのに、人間が特権的な価値を喪失して苦しむ、そのような無価値な人生を見つめる神様の心情は、どれほど悲惨でしょうか。その人たちが、本来は自分の愛と自分の生命と自分の血統を通して直系の子女となり、天の国の勝利の栄光を占有するはずだったにもかかわらず、敗者の仮面をかぶって呻吟と苦痛と嘆息と絶望の中であえいで、生命を絶つ立場にあるというのです。それを見つめる神様は、どれほど胸が詰まる思いでしょうか。そのように悲しい神様なのです。
◯み旨の道
完全なる主体(+)が生ずれば、完全なる対象(-)が生ずる。しかし対象が生ずる前にまた異なったほかの主体があれば破壊される。
◯疎通と共有、笑顔で感謝
今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月17日日曜日

1月17日


 信仰生活するにおいては、漠然と精誠を尽くす祈祷よりも、実践をしながら精誠を尽くすことが必要です。神秘的な体験をしたとしても、その体験だけではだめだというのです。それはあくまでも個人的なものですが、その個人的な体験だけを中心としては、全体と関係を結ぶことはできないのです。

天一国3年天暦12月8日
今日の訓読み言
天聖經(105p23)
   人間と永遠に共にいるべき神様が、その人間と引き裂かれるときの、その悲痛さと悔しさと憤りと悲しさは、どれほど大きなものだったでしょうか。人間は、全宇宙とも取り替えることのできない一つの愛の基地を目指して成熟し、平衡を保った上で縦横が結合する一つの軸をつくらなければなりませんでした。そのようになっていたならば、それが一つの基準となり、天地のあらゆる万物の測定基準になることができました。その愛と関係が結ばれたすべてのものは、どこにでもみな合うようになっています。

◯み旨の道
我々は最低の基準で苦痛を受けながらも、サタン世界の最高の栄光を嘲笑し、踏み越えていける心情基準とならねばならない。
◯疎通と共有、笑顔で感謝
今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月16日土曜日

1月16日

祈​​祷するよりも為に生きる生活をする人がもっと多くの福を受けることができます。兄弟をつかんで涙を流すことが、何時間祈祷することよりもましなのです。(二〇四-五三、一九九〇・六・二九)

天一国3年天暦12月7日
今日の訓読み言
天聖經(105p22)
   キリスト教では、「神様は栄光の中にいる審判主として、地獄へ送り、天国に送る」と言います。この世で最もかわいそうなお方が神様です。最も悲痛で身もだえしながらも、光明の天地が暗黒の地獄へと落ちるのを防ぎ、そこで体を支え、目を見開いて気を取り直し、死に至った子女たちを生き返らせようという心をもたれたお方が神様です。
◯み旨の道
  大きくなればなるほど、自分の足もとを見なければならないし、小さければ小さいほど神様を見上げなければならない。
◯笑顔で感謝、今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月15日金曜日

1月15日

祈祷と真理、「霊とまこととをもって礼拝すべきである」(ヨハネ四・24)という言葉があります。それは何かといえば、平行をなして和する立場に立ちなさいということです。人間は霊界と肉界を調整しなければなりません。霊的な世界と知的な世界の中央で左右に調整することのできる人間にならなければならないのです。
​​
天一国3年天暦12月6日
今日の訓読み言
天聖經(105p 21)
み旨の完成を望んできた神様の時代は、堕落によって、成し遂げられずに消えてしまいました。天地万物を造られた神様の希望の場に、根本的な破綻をもたらしました。神様が計画していたあらゆるプログラムが完全に破壊され、蹂躙されました。永遠の愛の理想対象圏が破綻させられたというのです。純粋な本質的な愛をもった神様が、理想的対象として描いていたアダムとエバが堕落していった時、神様の心はこの上なく悲しかったでしょう。これ以上ない極めて悲痛な思いだったでしょう。

◯み旨の道
 大きくなればなるほど、自分の足もとを見なければならないし、小さければ小さいほど神様を見上げなければならない。
◯疎通と共有、笑顔で感謝
今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月14日木曜日

1月14日

祈祷は、堕落によって生じるようになったのです。したがって、人間が復帰され、完成されれば、祈祷する必要のない時代が来ます。(一〇一-一〇一、一九七八・一九・二二)

天​​一国3年天暦12月5日
今日の訓読み言
天聖經(105p20)
  人間が堕落することによって、何を失ったのでしょうか。第一に、真の愛の理想世界を失い、第二に、真の愛の理想家庭を失いました。真の愛の夫婦を失ったというのです。第三に、真の愛の息子、娘、宗家の一番上の孫を失いました。これが神様の三大悲哀です。

◯み旨の道
み旨の前で躊躇するとサタンが侵入する。み旨を知って躊躇する者となってはいけない。
◯疎通と共有、笑顔で感謝
今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月13日水曜日

1月13日

知性的な人は総じて祈祷を嫌います。「ああ、祈祷が何で必要なのだろう? 父なる神ということをどうして言う​​のだろう?」と言って、実感がわかないのです。祈祷を思うと迷信のようであり、自分自身が否定されるような感じがするのです。

天一国3年天暦12月4日
今日の訓読み言
天聖經(104p19)
人類始祖の堕落によって、神様は愛する子女を失った父母になりました。子女が監獄生活をしているのに、栄光を亭受する父母がいるでしょうか。神様の心情は限りなく痛むのです。また、堕落によって、人間のために造った宇宙万象までも、すべてサタンの主管圏に差し出してしまいました。真の愛の主人であられる神様は、その愛の対象を失った瞬間から、限りなく孤独な神様になりました。万有の主宰者としての権能を、一度も主張してみることができませんでした。愚かな堕落人間もみな自分を誇って生きているのに、神様は創造主の威信を一度も立ててみることができませんでした。あらゆる生命の主人でありながらも、それらの前に至尊な御自身を現すことができませんでした。

◯み旨の道
 先生は皆さんよりも一段階前に立って仕事をやっていくので、先生のやることに関心をもちなさい。それは皆さんの次の生活の目標であるからである。蕩減復帰の道は他人の援助なく一人で行くのが原則である。後援を受けるなら、その人の生命までも責任をもたねばならない。
◯笑顔で感謝、今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月12日火曜日

1月12日

神様も祈祷されるのです。皆さんの両親も愛する子どもたちのために、心の底からつぶやいて、「こうしたら良いなあ」と言いますが、それが祈祷です。それはだれのためにするのですか。神様も人間のためにそのような祈祷をなさるのです。

天一国3年天暦12月3日
今日の訓読み言​​
真の父母經(76p 24)
   父母様は、1960年に聖婚式をしたあとに聖塩を作りました。真の父母様は、堕落した世界のものに相対できないからです。そのようなものに、神様の息子、完成した父母は相対できないのです。そのため、すべて燃やしてしまわなければなりません。燃やす条件として聖塩を採択したので、これを振りかけることによって、サタン世界を清算してしまい、天の側が取り得る条件的、方便的なものとして使用できるようになるのです。天の国が設定されれば、この世の国のすべての骨董品、この世の国のあらゆる物は、そのまま使うことはできません。

◯み旨の道
古い衣を脱がずして新しい衣を着ることができないように、古い観念で新しい世界を見つめることはできない。
◯笑顔で感謝、今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月11日月曜日

1月11日

 祈祷をたくさんしなさい。祈祷をたくさんすれば、一人で生活しても絶対に孤独ではありません。祈祷は呼吸をするのと同じです。祈祷をたくさんすれば、霊的に明るくなります。また、善悪に対する分別力が生じます。(三〇-二八二、一九七〇・四・四)

天一国3年天暦12月2日
今日の訓読み言
(天聖經104p17)
父母の位置を奪われた神様の恨
   神様は、本然的真の父母の立場にあるお方です。真の父母となるべき神様が父母の立場を奪われてしまったので、創造理想の本然的基準にはなかったことが生じました。この創造世界にはあり得ないことに対して、創造主であられる神様は、干渉することもできずそれに責任を負って消化する立場にも立てないというのです。

◯み旨の道
    統一教会において食口という名称が使われるようになったのは、イエス様が父母、兄弟をもって共に愛することができなかった恨みを晴らすためである。
◯疎通と共有、笑顔で感謝
   今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月10日日曜日

1月10日

祈祷の力は偉大なのです。涙を流しながら夜を明かして祈祷すれば、朝が来るように感じることができる偉大な力があります。(一九二-二三三、一九八九・七・九)

天一国3年天暦12月1日
今日の訓読み言
(天聖經104p16)
  神様は永存されるお方です。神様が涙を流すのは、死の道を一帰し、苦痛の道を一帰し、悲しみの道を一帰するためです。神様が悲しみと苦痛と死の道を一帰するために、先に涙を流し、血と汗を流してきたことを知って、私たちは、そのみ旨を身代わりしなければなりません。神様が死の場に行かれてはいけません。今まで神様は、最後の死の場、最後の涙を流す場、最後の血と汗を流す場に私たちの先祖を立てました。このようにしたのは、神様に愛がなくてしたのではありません。そのような場を解消するために、神様も、それ以上の痛みを感じられました。愛する子女が死ぬその瞬間、父母の心は、どれほど苦痛であり、愛する子女が苦痛を受けるのを見つめる父母の心情は、どれほど痛むでしょうか。自分が死ぬよりも、もっと痛むのです。このような痛む心情を抱え、人類歴史が始まって以降、苦痛を受けてきた神様です。私たちは、一代を中心として一度苦痛を越えれば、私たちの責任はすべて終えることができますが、神様は、今まで私たちのたくさんの先祖たちが死の道を行くたびに、涙の道を行くたびに、血と汗を流す道を行くたびに、悲しみと苦痛の道を行くたびに、激しい苦痛を受けてこられました。
◯み旨の道
神様が自ら僕の立場で涙を流し、神様が自ら子女の立場で涙を流し、神様が自ら父母の立場で涙を流しておられる事情を知って、その恨みを解くために至誠を尽くしなさい。
◯笑顔で感謝、今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月9日土曜日

1月9日

 天国は、夫婦が行かなければならないのであり、家庭が行かなければならないのであり、家庭のみならず、姻戚、はとこの一族が行かなければならないのであり、その国家全体が
​​
行かなければならないものです。

天一国3年天暦11月30日
今日の訓読み言
(天聖經103p15)
 歴史的な神様、時代的な神様は、悲しい神様です。過去と現在の神様は、悲しみの神様です。この悲しい神様を知って迎えることのできない者は、審判されるというのです。この世の中で本当に神様を愛する者だとするならば、自分の悲しみと自分の苦痛があるとき、これを解決してほしいと神様に祈ることはできません。歴史的な悲しみと苦痛を担って今まで訪ねてこられたことだけでも恐縮で、有り難いのに、これを知らずに自分の悲しみと自分の苦痛まですべて表す者たちは、審判されるようになります。歴史的な悲しみの神様であり、時代的な悲しみの神様に、とても自分の苦痛を祈ることができず、一人で泣く人がいるならば、神様は同情してくださるでしょう。「私の苦痛より神様の苦労がどれくらい大きいでしょうか。私が死ぬとしても、その苦労を私にお任せください」と言う息子、娘にならなければなりません。今日、ただ福を下さいといって祈る人々は、行けば行くほど神様のみ前に頭を上げることができない罪人になるでしょう。恩賜が多い神様の愛の圏内に入れば入るほど、頭を上げることのできない罪人です。

◯み旨の道
個人を犠牲にして家庭が善くなることができればそうするのが善であり、家庭を犠牲にしてこの世が善くなることができればそうするのが善である。
◯笑顔で感謝、今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月8日金曜日

1月8日

 いくら世の中で恐ろしいといっても、私以上に恐ろしい人はいないでしょう。私が、だれかに死ねと祈祷すれば、三か月で終わるのです。しかし、そのような祈祷はしません。人に対
​​
して死ねという祈祷はできないのです。


天一国3年天暦11月29日
今日の訓読み言
(天聖經103p14)
   世の中で、最もかわいそうなお方が神様です.最も多くの苦労をした、苦労の大王が神様です.人間を創造したその日から、人間を見るまいとしても見ざるを得ない運命をえた父の立場にいらっしゃる神様、春夏秋冬はもちろん、六千年の歴史の中で、一時でも目を離せない人間の姿を見つめながら、苦しみあえぎ、泣き叫ぶことが生活哲学となり、それを掲げて人間を支える生活をしてきた神様なのですから、どれほどかわいそうなお方でしょうか.

◯み旨の道
怨讐の間であるけれど心情的因縁を残す、そのような人になるときは歴史をもとがえして会うことができ、再び生きることができる。
◯笑顔で感謝、今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月7日木曜日

1月7日

 知的な人は祈祷が必要であると同時に何か必要でしょうか。そして、神霊的な人は知的な面の補強が必要であると同時に、何か必要でしょうか。どちらも友が必要です。だれでも一人で信仰生活をするのは難しいのです。

天一国3年天暦11月28日
今日の訓読み言
真の父母經(59p 3)
   神様の体のような方が、真の父母です。真の父母は、完成したアダムとエバです。完成したということは、従的な神様と横的なアダムとエバが一つになったということです。ですから、アダムとエバは神様の体になり、神様はアダムとエバの心のようになっているのです。真の愛が、そのようなことを可能にするのです。従的な神様も、横的なアダムとエバも、互いにために生きる愛を実践するのです。天と地全体を身代わりして存在しているのです。

◯み旨の道
み旨が滅びると言った場合には、いかなることをも受ける覚悟をしている。先生のために心配せず、各自の責任を果たそう。
◯笑顔で感謝、今日も、絶対いいことあるよ!

2016年1月6日水曜日

1月6日


祈祷をするというのは「私は神様の人である。サタンは私にタッチできない」と宣布することです。それゆえ、「絶えず祈りなさい」(テサロニケ一五・17)と言ったのです。

天一国3年天暦11月27日
今日の訓読み言
(天聖經102p 11)
   神様は万物の主人ですが、その主人の行動を一度もしてみることができませんでした。愛の主体ですが、人間に対して「私はお前を愛している」と言ってみることができなかったのです。あらゆるものをもち得る自由な立場にいても、人間に対して「お前は私のものだ」と言って、思いどおりにしてみることができない神様です。また神様は、地上に多くの人類が生きていますが、彼らを一度も御自身の息子、娘、あるいはサタンをはねのける勇者として立ててみることができませんでした。イェス様を信じているキリスト教徒たちがたくさんいますが、神様は彼らを、サタンに対する総進撃の命令を下せる総司令官として立ててみることができず、イェス様を立てて天使世界を命令して地上と関係を結ぼうとしましたが、そのようにすることができませんでした。地上の人間に新婦の理念を与えて新婦を探し回りましたが、「新婦だ」と言ってサタンに誇ることのできる一人に会うことができなかった神様です。そのような神様のみ前に、私たちはあまりにも申し訳ない群れです。

◯み旨の道
大きくなればなるほど、自分の足もとを見なければならないし、小さければ小さいほど神様を見上げなければならない。
◯笑顔で感謝、今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月5日火曜日

1月5日

自分の心と体を犠牲にしてでも、父母を愛したいという人を孝子、孝女と言うのです。愛国者とはどのような人でしょうか。国家のために自分の一身を顧みず、犠牲に犠牲を重ねる人です。

天一国3年天暦11月25日
今日の訓読み言

(天聖經102p 10)
  神様は軟禁状態にあります。息子を失った、永遠のひとり子である息子、娘を失った父母の苦痛を抱いて生きる神様です。恨の神様です。今まで涙を流し続け、胸をたたきながら救援歴史のために人間の後ろについていきながら、数限りなく死に遭遇し、ありとあらゆることを見ても、耐えに耐えた神様です。その胸に、釘が打ち込まれているとすれば、世界を覆って余りある釘が打ち込まれているのであり、根があるとすれば、この世の中にない根を抱いてきたというのです。それが神様です。

◯神の国に入籍しようとすれば、神様の愛を受けることのできる人でなければならない。
言い換えれば、蕩減の道と責任分担を果たして、原理的な条件を完全に備えていなければならない。
◯笑顔で感謝、今年も絶対いいことあるよ!

2016年1月4日月曜日

1月4日

  祈祷をするというのは「私は神様の人である。サタンは私にタッチできない」と宣布することです。それゆえ、「絶えず祈りなさい」(テサロニケ一五・17)と言ったのです。
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天一国3年天暦11月24日
今日の訓読み言
真の父母經(172p22)
 祈るときは、背が曲がり、膝にたこができるほど祈らなければなりません。私の膝には、祈りながらできた昔のたこが今でも残っています。祈りは床の上でしなければなりません。涙も流さなければならないというのです。私は、祈りながら流した涙の跡が乾かないほど、涙を流す境地を何度も越えた人です。流れていく男ではありません。

◯神様のために忠誠を尽くすことを誓ったならば、彼は、たとえ今日生きている人であってもこの時代のみの人ではなく、歴史的な存在であり、彼がなすべきことは歴史的な使命である。

◯笑顔で感謝、今日も絶対いいことあるよ!

2016年1月3日日曜日

1月3日

祈祷は、堕落によって生じるようになったのです。したがって、人間が復帰され、完成されれば​​、祈祷する必要のない時代が来ます。

天一国3年天暦11月24日
今日の訓読み言
(天聖經101p9)
   神様は最も悲しいお方です。死んでいく自分の母がかわいそうだと言って泣く人よりも、神様はもっと悲しいお方です。善を主張することで、万民が公認する立場で民族の反逆者として追われて、恨めしく死ぬ人よりも、もっと無念なお方です。最も悔しく、最もかわいそうな主人公が、正に神様です。それを実感できるように教えなければならないのが宗教です。神様が着ている服は、栄光の服ではありません。血の汗に浸っている服です。その服は、御自身の息子、娘たちが手でつかもうとしてつかめなかった、血のにじんだ手で作った服です。神様の足は、茨の道をかき分け、数多くの闘争歴史で傷を負った足です。神様は、一人の個人が恨を解こうとして倒れるとき、代わりに打たれてきたお方であり、一つの民族を立て、その他の様々な民族が倒れ、裏切るようになるとき、その一つの民族の代わりに打たれながら闘争するお方です。私たちが信じてきた神様は、このようにかわいそうなお方です。

◯神様が願う前線は、世界に向かう道を模索する道において、世界の前線をかけて闘う道であるために、後ろを振り向いて、ついてくる者たちを心配することができない。
◯笑顔で感謝、今年も絶対いいことあるよ!

2016年1月2日土曜日

1月2日

 私たちが涙を流しても世界人類のために流すよう許諾してくださり、私たちが大韓民国の一息子として生まれたとしても、大韓民国の人々だけでなく世界人類を愛することのできる心情を持つようにしてください。

天一国3年天暦11月23日
今日の訓読み言
(真の父母經29p 13)
天の真のオリーブとしてこられた方は、皆さんを再び生んでくれる真の父母です。生命は、必ず父母を通して受けるのが天理だからです。
真の父母は、天の真の愛、真の生命、真の血統の根をもってこの地に顕現されます。サタンの偽りの愛を根として生まれた人類を、きれいに根元から切ってしまい、真の愛の芽を接ぎ木する使命を果たすためにこられた方が、正に真の父母です。このように、私たち人類が求めるべき真のオリーブの根は、神様の真の愛の根です。その根は、真の父母からのみ出発し得るのです。

◯創造も一から始まったので再創造も一から始まる。ゆえに世の終わりには、今までの歴史的な因縁は全部分裂して分かれ、個人主義の思想が到来するのである。そうして、初めて新しい一つの世界をなすことができる。
◯笑顔で感謝、今年も絶対いいことあるよ!

1月1日

誰かがついてこようとしてもついてくることができない、そのようなことをさせるはずです。そのようなことをする宗教が出てこなければならないというのです。それは、私たちが常識的に判断しても、そのような結論に到達します。(1972.9.10)

天一国3年天暦11月22日
今日の訓読み言
(天聖經99p2)
   人類始祖が堕落することによって、人類始祖の悲しみは当然のことですが、人類始祖を見つめ、希望をもっていた神様が、人間によって悲しみに遭遇したのです。人間が悲しむ立場に落ちることによって、神様御自身がかわいそうな立場、悔しくて苦痛な立場に立たなければなりませんでした。これは、この地上と天地間においては、残念な、あるいは考えることすらできなかったことですが、人類始祖の失敗によって、そのような事件が起こりました。これが人間の堕落です。

◯天国に行ける人は、この世の最高の栄光の位置を与えられても、み旨を捨てることはできないという一片丹心の心情を所有した者である。
◯笑顔で感謝、今年も絶対いいことあるよ!