2018年12月24日月曜日

12月24日

天一国6年天歴11月18日
今日の訓読み言

「蕩減は誰によって統轄されるか、絶対に自分である。主管圏を失ったのが堕落だ。他からいかなる干渉があろうとも自分ながら確固たる主体性をもっていく。人がいかなる道を行こうとも、我行く道は忙しい。横でガヤガヤと何か言っても、それを気にしている暇がない。」(一九六九・二・四)
「そういうような、現状にいつも追われている基準を立てなければならない立場にある。夜寝る時間がない、座って御飯も食べられない、磨かけて食べる暇もない、そ、ついう切迫した復帰の情にかられるあなたたちでなければならない。」 (一九六九・二・四)

2018年12月17日月曜日

12月17日

今日の訓読み言
 家庭教会を愛し、そのために努力するかが、全人類の運命を決定することになるのである。あなたたらは自分の夫や妻、子供、親兄弟よりも、家庭教会を愛するという条件を立てなければならない。二千年前、イエス様は『自分よりも親、兄弟を愛する者は自分にふさわしくない』とおっしゃった。今回先生は、『家庭教会よりも自分の夫や妻、子供を愛する者は、天国へ行くにふさわしくない』と宣言する。天国へ入るためには、家庭教会を通過していかなければならない。韓国にいようとアメリカにいようと、どこにいようと、それは変わらない。霊界へ行ったとしても、家庭教会のために地上に降りてこなければならない。イエス様は天国へ入る鍵をペテロに与えられた。今日先生は家庭教会を、あなたたちが天国へ入るための鍵として与える。」(一九七九・一・一)

2018年12月15日土曜日

12月15日

今日の訓読み言
なぜ我々は家庭教会をしなければならないのだろうか。他にも、もっと楽なやり方があるのではないだろうか。しかし、家庭教会において勝利しなければ、あなたたちは自分の故郷へ帰って自分の氏族を復帰することができないのである。家庭教会を通してあなたたちの『カインの氏族』を復帰し、そのあとであなたたちの家族や親族、すなわらあなたたちの『アベルの氏族』を復帰して、共に天国へ行くことができるようになるのである。天国は個人で行く所ではない。家庭学位で行かなければ受け入れてもらえないのである。あなたたちはいかにしても勝利して、氏族のメシヤとなり、さらには国家、世界を救う者とならなければならない。

 本来の原理からいって、家庭教会が完遂するまでは、あなたたちを祝福することができない。これからは家庭教会に勝利し、子女を復帰した者だけが、祝福を受ける資格があるのである。イエス・キリストは、まず十二弟子を復帰し、さらに七十人の門徒を復帰した。私たちの使命は、七年間で八十四人を復帰することである。そのためには、一人が一ヵ月に一人を復帰しなければならない。八十四人の弟子を完全に復帰し、一体化した後に、自分の家庭を造るべきである。イエスがそうであり、先生もまさにそのような路程を歩んできた。

2018年12月14日金曜日

12月14日

今日の訓読み言
①「ホーム・チャーチというのは一体何であろうか。先生が世界的に勝利した、あらゆる氏族、民族、国家的基準を統合して縮少した、世界を代表した縮少基盤である。それは世界の主権を縮少した基盤であり、世界の人種を縮少した基盤であり、各民族を縮少した基盤である。だから、ここにおいて勝利した場合には、カイン圏の家庭ばかりでなく、民族、国家、世界にまで通ずるのである。故郷に帰っても、それは世界にまで通ずるアベル圏に、勝利的な圏であるのである。だから、反対されずして、世界復帰まで拡大することができるのである。だから、何としても自然屈服しなければならない。力でもって屈服するんではないよ。・・・・・・誰でもが三六〇軒を決めて活動することによって世界的な蕩減圏を授けられる。」(一九七八・九二一十二)

2018年12月13日木曜日

12月13日

今日の訓読み言
   この地上での働きを終え、霊界に行く時、もし神に対して、『私は天国に行きたくありません。地獄で苦しんでいる人々を救うために地獄に行きたいのです』、と言ったなら、神はその人のもとへ下って行かれるであろう。 『御心に従って最も貧しい社会に住みます』と言えば、神は、『息子よ、お前は非常に賢い子である』と言われるであろう。このような場合、仮に神に不従順であったとしても神は誇りとなさるであろう。こう思える人間は、まさに完全な善の実体である。神から、『お前はもう社会に出ていく必要はない。いつ私はお前に言って人々に伝道しなさい、と命令したことがあるか。なぜお前はここにとどまって休まないのか』と言われ、もし、それでも遂に出かけていくなら、神はこの子供を罰するであろうか。神は全人類を救おうとなさっているので、子女たちにもそうしてほしいと願っているのである。神は、このような信仰者になってほしいと願っておられる。」
   神は全人類を一刻も早く救いたい。しかし、御旨のために苦労し、疲れ果てて帰ってきた子供に対し、休まないで働いてほしいとは言えない場合がある。その時に、親の一番の願いを自ら悟って、そのために歩む子供こそが真の子女である。

2018年12月12日水曜日

12月12日

今日の訓読み言
「家庭教会は、六千年前のエデンの国における神の創造理想であったにもかかわらず、人類始祖の堕落によって実現されず、苦しみの世界となってしまった。しかしようやく二十世紀の今日において、レバレンド・ムーンがあらゆる困難に勝利して条件を立てたことにより、今や全人類が家庭教会を実現することができる道が開かれた。

 だからあなたたちがどのくらい家庭教会を愛し、そのために努力するかが、全人類の運命を決定することになるのである。あなたたらは自分の夫や妻、子供、親兄弟よりも、家庭教会を愛するという条件を立てなければならない。二千年前、イエス様は『自分よりも親、兄弟を愛する者は自分にふさわしくない』とおっしゃった。今回先生は、『家庭教会よりも自分の夫や妻、子供を愛する者は、天国へ行くにふさわしくない』と宣言する。天国へ入るためには、家庭教会を通過していかなければならない。韓国にいようとアメリカにいようと、どこにいようと、それは変わらない。霊界へ行ったとしても、家庭教会のために地上に降りてこなければならない。イエス様は天国へ入る鍵をペテロに与えられた。今日先生は家庭教会を、あなたたちが天国へ入るための鍵として与える。」(一九七九・一・一)

2018年12月11日火曜日

12月11日

今日の訓読み言
堕落による度史の糸のもつれは、それを解いて再創造することなどとてもできそうには思えないほど複雑なものとなり、神でさえどこから手をつけて摂理するかとまどうだろうと思えるほどである。
 しかし今、一人の孤独なる人が、歴史の背後にある秘密のすべてを見い出し、それを公式化し、体系化したのみならず、その原理を自ら生活しながらここまで運動を発展させてきたのだから、神としても注目せざるをえないはずである。
 ここまで来る道において、先生はいくら泣いても泣いても止めることができずに、いく日もいく日も泣きくらしたことがあった。ある時はあまり泣いたので、目が熟しすぎのカボチャの中味のようにグチャグチャになってしまい、太陽の光も目にしみて見ることができなくて、目をつぶって過ごしたことがあった。

2018年12月10日月曜日

12月10日

今日の訓読み言

自己主管せよ!

①「先生がこの道を出発する時のその第一の目標は、『天宙主管を願う前に自己主管を完成する』ということであった。それには第一に肉心を如何に主管するか。」(一九七二・四・二十三)

②「一番おなかがすいた時、私の生の交叉路には、御飯のために生きるのか国のため死ぬのか、天の翌日を中心として死ぬのか逆らう者となるのか、二つの道があるのである。おなかのすいた時あなたは何と生命を交換することができるのか。」(一九七一・三・十四)

2018年12月9日日曜日

12月9日


今日の訓読み言
②「人類万民は皆兄弟であり、姉妹である。イエス様を愛するような愛をもってあらゆる人にあたっていかなければならない。日本人もアメリカ人も同じだね。神の子供、兄妹だよ。国境を越えた、そういう心情の持ち主になった時、神はその民を国を愛することができる。我々はそういうものを遣っていくんだよ、この地上に。

 すべての人間が兄弟姉妹という世界的心情を持たないと神の子女とはなり得ない。世界を救うことができない。食口というのは素晴らしいんだよ。自分だけが良いものを食べるとしたら胸がつまる。良いものを着る時も胸がつまる。良い床に寝る時も胸がつまる。寒さに震える兄弟、食べられない兄弟がいたとしたら胸がつまる。自分は、いっそ何もない方が安らかである。だからみんな与えてしまう。それが善である。悪は何か。自分のために集め、自分さえ良ければいいという、これは悪だよご宗教家というものは一文も持たない。しかし、心の世界には天国を持っている。」(一九六七・七・十)

2018年12月8日土曜日

12月8日

今日の訓読み言


「真の子女は、世界的決意を基準として立たなければならない。世界は自分のものである。真なる神の子として祝福された自分の園であるこれを犯す悪者があったら許しておかない。その決意が必要である。その決意をあなた違が持たなければ、今後世界へ向って進み行く先生とは関係がない。それは神の子供ではない。」 (一九六九・四・二十)
 この被造世界は、神が神の子女としての人間に与えようとしたものである。それを汚すことは許さない、という決意がなければならない。

2018年12月7日金曜日

12月7日

今日の訓読み言
 親はもろろんのこと、妻も子供もわかってはくれない、一人として理解する者もない、そういう時こそ、孤独なる神の友となることができるのである。

 一人の男がこんなにも弱くなりうるものか、と思ったこともあった。ある意味では同じ弱き一人の人間に変わりないのである。しかし自分をそんなにも頼りにしている神であることを知っているから、そういう神の心情を想うと、いても立ってもいられなくなり、神の願いを果たして神を慰めたいという想いにかられる。 『神よ、全能なるあなたは、その望むところの何事も成すことがおできになりますのに、御自分の子なるアダムとエバの罪の故に、御自分をそのような苦悩の中に陥れられました。苦しむべきいわれもないあなたが、かくも寄る辺なき身となられて、真に頼ることのできる子女を、そんなにも長い間ひたすら待ろ続け、深し求めてこられました。私にはそういうあなたのお心がよくわかります』。

2018年12月5日水曜日

12月5日

今日の訓読み言

信仰の道は、そのつど、そのつどにおいて神によって得られ、刺激されるような道であるから、絶対的に自信をもつことはなかなかむずかしい。毎日消耗ばかりしている。まあ、根がないような立場に立っているということを、自分がつくづく感じるということがたくさんある。信仰生活する者のむなしさと言おうか、そういうのがあるんだよ。そういう時であればこそ祈りが必要になってくる。だからイエス様にしてもいつも祈ったのだろうね。

 静かなところへ行って、自分の行くへき目的に対し、あるいは毎日の出来事に関して霊界からの指示、どういう方向に進んだならば、どういう結果になるという予感的な基台に立ってこそ初めて強いんだよ。

 だから、信仰者の立っている基準からみた場合、どこから力を得られるかというと原理とか教えね。指導される関係から刺激を受けるとともに、それ以外には祈りの他はない。あんたたち祈りというものがわからないわけだろう。祈りの世界に入ってこそ初めて信仰生活の味を知る。祈りの世界の背後には神秘的な立体世界が続いている。平面的な自分の感覚を超越した、立体的な感覚の世界が存在するということをつくづく感じるんだね。だからそれを自分たちが育てていかなければならない。」  (一九七四・二・ )

2018年12月4日火曜日

12月4日


「神の事情と心情を自分自身において体験し得る人、これが六千年長い歴史を通して、神が今まで求めてきた本当の子女なのである。」

「考えてこらん。どこで天の父と会うかというんだね。いずこに天の父を迎えるや。君の住んでいる部屋の中で? それは間違い。数多くの聖人たちの一生の目的を、部屋の中でもって果たしたものはいない。道端や、あるいは十字架上などが、神が本当に愛する子女と会うべき最高の場所である。イエス様も、そういうところで神に対した。誰もが欲するところではない。誰もがみんな慕うところではない。誰もいない、たった一人のところ、そこが一番、神の心の真中に記憶され、息子として神に会うことができる急所である。だから伝道に行くにも絶対二人で行かないんだね。伝道に出た時、友達や兄弟姉妹と訪問するのをいやがるぐらいでなければならないというんだね。」(一九六七・七・六)

2018年12月3日月曜日

12月3日

今日の訓読み言

●親の一番の願いを自ら悟って行なう者

「先生の息子の孝進について言うと、彼は非常に活発な子供である。ある日、ころんで足をすりむいた。見ると傷口がはれ上って、血を出しているのである。私は、『大丈夫か』と尋ねると、彼は鼻血を出しながらこう答えたのである。『大丈夫です。お父さん、何でもありません』。私は、あの場面を忘れたことがない。小さい子供が、泣き叫ぶかわりに父親を慰めたのである。
 信仰者にも二つの立場がある。一方は、神の愛を受けたいので神に侍る立場で、その愛に満足している。しかし、もう一方は、父の心中を知っているゆえに、他の人々にも救いの手を差しのベようと努力する者である。

 親が重荷を背負っていることを知っていながら、自分の悲しみを慰めてほしいと願う子供を持つのと、親を幸福にしたいと思う子供を持つのと、どちらが良いだろうか。親を力づけようとする子供を持ちたくないであろうか。我々の願いは、神に対してこのような子供になることである。そのためには、まず最初に、神に命令される前に自らその心情を悟って行わなければならない。

2018年12月2日日曜日

12月2日


今日の訓読み言
●自己主管せよ!①「先生がこの道を出発する時のその第一の目標は、『天宙主管を願う前に自己主管を完成する』ということであった。それには第一に肉心を如何に主管するか。」(一九七二・四・二十三)②「一番おなかがすいた時、私の生の交叉路には、御飯のために生きるのか国のため死ぬのか、天の翌日を中心として死ぬのか逆らう者となるのか、二つの道があるのである。おなかのすいた時あなたは何と生命を交換することができるのか。」(一九七一・三・十四)


2018年12月1日土曜日

12月1日

今日の訓読み言


「ある時には、一人なりに神に対して逆らったことがあるんであります。一人の男として生まれて、こういうような天地の秘密の内容を暴露することによって、世界は動揺し、自分の一生がメチャクチャになる。この道以外におさめる道はないのですか、と何回も拒否した立場がある。しかし神は、『君が責任を持たなければ誰かがしなければならない。誰かがしなければならない』と。それで奮起して三十余年の歴史を費やしてまだ果たされていないこの道に、戦いをその合戦を続けていかなければならない、そういう立場に立っている。それがどうして落胆するでありましょう。『雄々しく、尊く、尊く、目的に向かって、神のために進んでいこう』、その決意は、日が変わろうとも年が変わろうとも頭の毛が白くなろうとも、その心情は、変わりません。」(一九七五・二・十三)

「神は私に、『休暇をとるように』と頼み続けているが、私は『それをもっと後で取らせて下さい』と頼んでいる。」(一九八一・二・十)