2018年10月31日水曜日

10月31日

今日の訓読み言
 父母の願いとは何でしょうか。父と母として、血統的に一つになった根がありません。息子、娘を生んでこそ、その家庭の血統が続いていくのです。息子、娘が父母を愛する事によって、関係のなかった父と母の血統が、その息子、娘によって統一されるのです。子供によって父母の完成がもたらされます。その息子、娘が孝行する事によって、父母の完成がなされるのです。 
 私に、孝行する事の出来る父母がいるというのは、幸福な事です。私は、父母の生命と、父母の愛と、父母の血統を得たのです。父母の愛を通して、父母の愛が私において再び二重になるのです。核になります。皆さんの愛と生命と血統は、副体となるのです。それ故に、父母を完成させれば、私の完成をもたらす事が出来るのです。私が成長すれば、父と母と同じ様に一つにならなければなりません。それ故に、お互いが完成するのです。(一九九一.一一.一〇)

2018年10月30日火曜日

10月30日

今日の訓読み言
神様は何のために、どのように生まれたのでしょうか。愛によって生まれました。宇宙の根本はどのようになされたのでしょうか。愛の種があり、それが相対を中心として吸収してみたところ、神様自体が性相と形状によって構成されるようになりました。何を中心としてそのようになっているのでしょうか。愛を中心として形成されています。皆さんと同じです。父母の愛によって受けた皆さんの生命の種、一つの細胞が大きくなって今の皆さんが生まれてきたのと同じように、神様もそのように大きくなったというのです。神様も、目が生じ、鼻が生じてこのように生まれました。全く同じだというのです。

2018年10月29日月曜日

10月29日

今日の訓読み言
この完成された神の生命に生きるということは、何と素晴らしい、どんなに素晴らしいことでしょうか。それがいかなる地上の喜びにも勝る真の喜びの生活なのです。一たびこのような完成された状態に到達したならば、あなたはもはや祈る必要もなくなるのです。どうして、祈る必要などあるでしょうか。あなたは顔と顔とを合わせて神と会い、心と心を合わせて神と共に生活するのです。神と一問一答し、あなたはもはや宗教を必要とせず、救い主を必要としなくなるのです。これらのすべての宗教的な事柄は、治療の過程、すなわち復帰の過程における一側面にすぎないのです。完全に健康な人は医者を必要としないように、神と完全に一つとなった人は救い主を必要としないのであります。

2018年10月28日日曜日

10月28日

今日の訓読み言
●祝福の祈り
あなたがたを迫害する冷酷な人がいた時 その人に向かって怒鳴り返さず 
涙をもって 神様の祝福が 彼らの上にも 注がれるように祈ってあげるとしたら
神様はあなた方に同情し 祝福してくださるでしよう 

他人のた めに常 に祈る ことに よってあなた方は神様の心情に近づいてい くのです。
どんな困難な道であっても固い決意を持って歩みなさい 
そうすれば 神様が「私の子よ 私はいつもおまえのそぱにいる」とささやいてくださるでしょう。

(ころの四季 愛のことぱ)

2018年10月25日木曜日

10月25日

今日の訓読み言
 皆さん個人は、だれのために生きているのでしょうか?「だれのために生きる? 自分のために生きるさ。」と言えば、それは落第です。自分のために生きるという人の前に、家庭がありえますか? 望みの家庭はありません。国がありえますか? 国は与えられません。そこに世界がありえますか? 世界はありえません。世界が現れるべき場所がありません。ありますか、ありませんか? 政治の公約は、「この個人主義の悪党よ、退け。」と制止するのです。個人を第一とするところに、家庭が入り込めますか? そこに理想の国が入り込めますか? 錐の先みたいな狭いところに入ることができるのかというのです。いくら入り込もうとしても入り込めないのです。(五七・六六)

2018年10月24日水曜日

10月24日

今日の訓読み言
 公金は種である。蒔けば実を結ぶべきである。結ばなければ皆奪われる。
 お金を扱うのにおいては、人格が先立つべきであり言行深思が一致すべきである。
 先生の財布から出ていった公金は、むやみに使っては困る。
 公金について不徹底だと、追放される。見ていろ。先生は、皆知っているが、時を待つ。

 皆さんは先生に献金をするといいますが、先生はそのお金をもらいません。先生はもらわない主義です。皆さんがそれを集めるためにどんなことをしたか? それを私が知り、それについて恥ずかしくない主体的な立場に立たずしては、もらえないのです。本部に献金したお金を、勝手に出して使うのは恐ろしいことです。毒薬より恐ろしいのです。心の姿勢がそうであるために、与えてからもまた与えたい心が、神様に宿るのです。分かりますか? ところで、ただ人が来れば手のひらだけ眺めるのです、何か持ってこなかったかと。そのような教役者は滅びるのです。皆さんはそれを知るべきです。(五六―二七六)

2018年10月23日火曜日

10月23日

今日の訓読み言
   良心というのは、垂直に神のほうにいつも向くのです。それは、南極が磁力でもって北極に向かうのと同じように、良心は第一の主体なる神のほうに行こう行こうとするのです。だから良心は正しいのです。良心に教育は必要ないです。第二の神様だからです。良心は、自分に対して分からないことはないのです。良心は、自分に対して分からないことがありますか、ないですか? (ないです)。ないのです。これを知らなかったので、自分の良心をだましながらやってきたのです。

 ここに来た女たちも、たくさん旦那さんをだましてきたのでしょう? (笑い)良心をだましているのです! 姑をだましているのです! 子供をだましているのです! それで、良心が泣くのです。良心が痛哭するのです。愛の根が肉身を中心として、長成(期)完成(級)基準で愛というものが一つになった力は、良心よりも強いのです。もしも、良心が完成基準で真の愛と一つになった場合には、いくら肉身の基準において、蘇生、長成、完成(期)基準で一体となったとしても、堕落しないで良心基準が神様の愛と一体となったとすれば、サタン的なプラス的肉身を自由自在に主管し、一つにすることができるというのです。だからサタンは、その場に留まることができません。逃げていくのです。


2018年10月22日月曜日

10月22日

今日の訓読み言
 皆さんは徹夜祈祷のようなものをするでしょう? 精神を天に全部捧げて、世の中の物情を皆忘れて・・・。その境地が何かというと、眠る境地に入ろうということです。この肉身のカスが全部沈滞すれば、澄んだ水が浮き上がるのと同じように、眠りは私たちが精神修養をして精神を上げ、悪い意識を全部下げようというのです。眠る境地、そんな境地に入るようになれば、皆さんが疲れてそうなれば、うつらうつらするでしょう? そのようなときは皆聞くのです。皆見えるのです。聞くには聞くけれど、確実に聞かず、見るには見るけれど、確実に見ません。そのようになれば、何が起きるでしょう? 夢のような現象が起きるのです。そのとき、何かを教えてくれるのです。分かりますか? それがすべて理論に合わなければなりません。何の話しか分かりますか?(はい)。

 それで、徹夜祈祷をして、すべての肉的なものを断絶させて、精神を統一して絶えず上げることによって、将来に自分の行くべき道であるとか、このようなことが見えて、その次に、それが習慣化されるようになると、全体を調整することができる位置に入るのです。そのようになれば、祈祷だけすれば、目を開けても見ることができ、皆聞くことができる境地まで入ります。二種類を見て、二種類を聞くのです。そのような位置に上がるには、相当な修練、修養が必要なのです。(九一―二七五)

2018年10月21日日曜日

10月21日

今日の訓読み言
今私たちが願う希望の基準とは何でしょうか? 神様が探している真の父母を中心とした、真の子女を中心とした、本然の縦を中心とした神様の家庭を立てて、その家庭に天地万物を主管するようにさせるためのものが神様のみ旨であることを知ったからには、今日、皆さん方のすべての考えと、皆さん方のすべての生活の中心と、皆さん方のすべての活動や行動全体の内容に、この一つの目的を完結させるための責任をもち、この一つの目的を完結させるために心配し、この一つの目的を完結させるために闘う……。そのような信念をもとうとする、確固不動な自分にならなければなりません。このようにならない限り、お父様のみ旨とは永遠に一つになることはできないというのです。(一五二・一八六)

2018年10月20日土曜日

10月20日

今日の訓読み言
 今日、宗教というものは、人々が故郷を追求するにおいて絶大なる貢献をしました。天国に行こう、あるいは理想世界に行こう、極楽世界に行こうというのですが、そのような所は私たちが生きるこのような所ではありません。私たちが永遠に生きることのできる本郷の地だというのです。まさしくこのような面において、宗教は本郷を追求するのに貢献をしたというのです。では、その所は、どのような所なのでしょうか? すべての条件が整えられている所です。心と体が少しも足りなさを感じない、完全無欠な所です。その所を人類は今、追求していっているのです。
 けれども、どれだけ故郷に行くといっても、喜んでくれる人がいなければむなしいのです。もし、韓国人二世が外国で生まれ、祖国である韓国を訪れてきたのに、韓国語が分からなければ、それも気まずい思いをするのです。もちろん、故郷に行くことも良いのですが、まず、故郷にいる人たちと言葉が通じなければなりません。そして、うれしく迎えてくれる人がいなければなりません。自分を迎えてくれる人がいるということは、いかばかりありがたいことか分かりません。また、迎えてくれるその人が、自分が願っていた以上に迎えてくれるのか、あるいは、それ以下に迎えてくれるのかということが問題です。もし、願っていたそれ以上に迎えてくれるならば、祖国に対する印象も良くなるのです。それゆえに皆さんは、いつでも外国人に対するときは、注意しなければなりません。

2018年10月19日金曜日

10月19日

今日の訓読み言

神様は、愛の対象として人類始祖を造られたのですが、その対象圏を失ってしまった神様の悲しみを、誰が慰労するのですか。それ以上の存在が現れて、「あなたのこれこれこのような事実を知っています。このような歴史的な恨を積み重ねていきながら、かくも寂しかったあなたであることを知りました。
 あなたが訪ねてこられ
なり
る道は、このように曲折が多かったのですが、千年、万年の歳月を、気の遠くなるほど長いその歳月をたどっていかれるために労心焦思(注:心を痛め気をもむこと)なさったという悲痛な歴史的事実は、私一人を愛によって解放するために、創造主として、救道主として備えることができる姿勢だったということを知っています」と言いながら、千年、万年賛美して慰労しても解く道がない、そのような神様の本然の愛を失ってしまったのです。それを誰が取り戻してあげるのですか。神様を解放しなければません。

2018年10月18日木曜日

10月18日

今日の訓読み言

 神様の遺業を相続するために最後に越えなければならない条件とは、神様をもち、真の父母をもち、真の兄弟をもち、真の民、真の国、真の世界をもたなければならないということです。「全人類が私の兄弟であり、あなたと私は永遠、不変だ」と言うことができ、分けることのできない兄弟の心情を通じて、天的家庭の家族として生きることができる人にならなければなりません。
  「この地は私たちのもの、天は私たちのもの、父は私たちの父だ」と言うことができる真の家庭を中心として、この地上に真の国を成し遂げ、神様の遺業を相続することができる皆さんにならなければなりません。

2018年10月17日水曜日

10月17日

今日の訓読み言
祈祷というのは、心と体を神様の前に捧げることです。神様に物を捧げるのではなく、心と体を捧げる時間が祈祷の時間です。(二八-二五、一九七〇・一・一)祈祷する時間というのは、供え物を捧げる時間です。「神様、あなたに悲しみがありましたら、その悲しみを私によって蕩減してくださいませ。それのみならず、教会のすべての悲しみまでも私によって蕩減してくださいませ」と言いながら、供え物になることを誓う人がいるならば、神様はその人を訪ねてこられるはずです。必ず、神様はその人を中心として因縁を結ぽうとなさるのです。天の役事は、そのような人を通じてのみ前進することができるので、神様は、そのような人を中心として因縁を結ばざるをえないのです。(四二-七〇、一九七一・二・二一)

2018年10月16日火曜日

10月16日

今日の訓読み言
 真の神、創造主、絶対、唯一の神の絶対なる愛と一つになるべき相対たる人間が、めちゃくちゃになって、神を離れてサタンの世界に転んでしまったのです。サタンとは何かというと、神様の敵です。姦夫です。女を三つ書く「姦夫」です。姦夫を知っていますか? おじさんは姦夫を知っているのですね? 姦夫です。姦夫とは、日本の幹部ではないのです。
一番悪い男なのです。明日には結婚しようとする娘を奪っていって、何千年もの間に子供を殖やしていったのです。そして、本来の約束されていた元の旦那さんを怨讐視して、子供も、女も、みんなぶっかけるようにさせたのです。これが悪魔の世界です。堕落は、自分を尊重する自覚の発見から出発するのです。

2018年10月15日月曜日

10月15日

今日の訓読み言
 堕落世界では誤った結婚をしますが、今この時は真の父母を中心として正しい結婚をするのです。1週間あれば(祝福式をして)全部復帰できるのです。手を握りなさいと言っても、(知り合ったばかりで)手を握ったこともありませんが、(復帰できるのです)・・・。今や皆さんは先生のみ言がはっきりと分かりましたが、そうすることができますか? それが問題です。
 では相続するには何を相続するのでしょうか? 言語、言葉からです。その次には暮らしです。真の御父母様がコチュジヤン(唐辛子みそ)が好きだったら、コチュジヤンを食べなけれぱならないでしょうか? 食べなければなりません。そのように考えないと真の御父母様と暮らすことができないし、真の御父母様の生活環境に入っていくことができないのです。それでは心情が一つになりません。心情が連結するためには日常的な生活が同じでなければなりません。時代でもなく、年でもなく、日常の生活が心情を連結するのです。(267-110)

2018年10月14日日曜日

10月14日

今日の訓読み言
なぜ日本が必要なのでしょうか。日本は、花のように美しい青春を迎えた女性です。エバ時代です。エバ国家です。本来は、イギリスのキリスト教が反対しなければ、イギリスがエバ国家になっていたはずです。しかし、それが壊れることにより、反対するサタン側から抜き出して、日本がエバ国家になったのです。それは皆さんが原理を通して学んだので詳しい話はしませんが、二十年ほどで日本は世界的な富豪になったではありませんか。今からは、アメリカよりも前に立つでしょう。経済復興で日本は世界最高の位置に立つようになっています。事実、そのようになっています。それは、日本がよくやったからそうなのではありません。エバ国家なので、日本に祝福をしてあげるのです。韓国ゆえにそうなのです。(681-178, 297•7•29)

2018年10月13日土曜日

10月13日

神様は、孝子を願われません。孝子の家庭を願われます。忠臣の家庭を願われたということを知らなければなりません。聖人の家庭を願われました。聖子の家庭を願われました。それが恨です。霊界に行けば、今まで、みな独身生活をしてきているでしょう?
 モーセも、今まで何千年という歴史を経たにもかかわらず、常にそばで世話をしてくれる女性がいると言ったでしょう? その女性に「なぜ結婚しないのか」と尋ねてみると、「神様が少し待ちなさいとおっしゃった」と言うのです。自分の思いどおりにできないのです。(1998.11.20)

2018年10月12日金曜日

10月12日

今日の訓読み言
今後、重要視しなければならないことは、「世界平和統一家庭連合」ですが、そこから世界を忘れてしまってはいけません。

世界を忘れてしまえば、平和になってどうするのですか。

また、平和を忘れてしまえば、統一をしてどうするのですか。

統一がなければ、家庭をもって何をするのですか。

家庭は、一つの家庭ではありません。連合の主管がなければ、家庭をもってどうするのですか。すべて関係しているのです。

連合を考えれば、統一を考え、家庭を考え、平和を考え、世界を考えなければならないのであり、世界を考えれば、平和を考え、「統一家庭連合」を考えなければならないのです。

一体だというのです。家庭がそのようになってこそ、神様が臨在することができる世界の代表の主人となり、平和の主人となり、統一の主人となり、家庭の主人となり、連合世界の統一天下の主人となるのです。そこに神様が臨在し得るのです。    

2018年10月11日木曜日

10月11日

顔は、天地創造の主人が自分の形状をすべて取り入れて造りました。ですから、人の中には神様の性稟がすべて入っているのです。この目は何を象徴するかというと、神様を象徴します。ですから生物が生まれるとき、目が最初にできるのです。天地の中心は神様であられるので、目は神様を象徴するのです。ですからどんな人でも、その人の目は神様を象徴するというのです。ですからどんな人でも、その人の目を見ればその人が良心的な人なのか、非良心的な人なのか直ちに分かるのです。

2018年10月10日水曜日

10月10日

今日の訓読み言
神様が地上に一つの中心を選び立てるためには、偽りの心をもって訪ねてこられるのではありません。御自身の肉の中の肉であり、骨の中の骨であり、骨髄の中の骨髄の心情を注いで、一つの心情的中心を選んで立てられるのです。このような立場が本当の「真」です。これは歴史上一度しかないことなので、最高の情熱と最高の心情を注がずには、一つの真の基準を立てることはできません。ですから、神様は個人的にもそのように訪ねてこられ、家庭的にもそのように訪ねてこられ、民族的にもそのように訪ねてこられ、国家、世界的にもそのように訪ねてこられたということを知らなければなりません。

2018年10月9日火曜日

10月9日

今日の訓読み言 
氏族的なメシヤは、まず父親、母親を、堕落していないアダム・エバにします。その次に故郷、故郷を探し出すことによって、どんなことが起こるかというと、王権回復がなされるのです。そうなれば、すべて終わるのではないでしょうか。それをさっと入れるのです。まずは、父母同位圏に立つのであり、次に故郷復帰をするのです。王圏復帰するのです。それゆえ生まれたすべての人々、ソ連でもアメリカでも、生まれた人々が天の国の故郷をもつようになるということです。天国の故郷をもつには、天国の父母をもたなければなりません。天国の父母をつくるのが、宗族的メシヤの使命なのです。
 

2018年10月8日月曜日

10月8日

今日の訓読み言
神様のために忠誠を尽くすことにおいては、一歩も譲歩できないという信念をもたなければならないというのです。どのような人、どのような忠臣、誰よりも私がより一歩、わずかでも先んじなければなりません。地上で生きていった霊人たち、地上で一生懸命に仕事をしていった霊人たち以上に、その人々が国のために忠誠を尽くして、すべての公的な仕事に一生懸命に働いたそれ以上に実践しなければならないというのです。わずかでも多くしなければなりません。鉄則がそうなのです。(一九七八.一一.二六)

2018年10月5日金曜日

10月5日

今日の訓読み言

お父様のみ言やすべての行跡は原石のようです。いくら貴い原石でも研いで磨いて
輝かせなければなりません。
一言で原石は原石なのですが精製されていない原石です。私がやろうとするのは
天に栄光をお返しする事でありこのみ言が永久保存されることを願ってする事です。
私が天聖経を整えます。
(中略)
これはすべて皆さんと後代のためです。
皆さんが天命を果たして霊界に行くとき
この本を抱いて行けるようにする為のものです。お父様に自慢するのです。
「私は生きている間お母様の教育を受け
お父様のみ言を愛しそれを抱いて来ました」このように申し上げるのです。きれいに完成完結完了させようというのです。
「第一伝承事業、天聖経増補版編纂」のみ言より

2018年10月4日木曜日

10月4日

今日の訓読み言
孝子は、百年たとうと千年たとうと、父母を離れてはいけません。「一緒にいたらいい!」と思わなければなりません。父母に「出来るならば、私と千年、万年一緒にいたらいい!」と思わせる、そのような父母の心を引きつける者でなければ、孝子ではありません。 

父母の愛には、子供がいくら悪くても、「その子供と共にいたい」という思いがあるのです。 

それ故に、真だというのです。しかし、親不孝者とはどのような者でしょうか。父母と共にいる事を嫌うのです。聖書にもそのような比喩が出てくるでしょう? 兄弟たちと共にいる事を嫌うのです。自分一人で自由にしてみたいというのです。それは何の種ですか。不孝の種です。(一九八六.一〇.一)

2018年10月3日水曜日

10月3日

今日の訓読み言

三日間、悔い改めをたくさんしましたか?
皆さんは、国家の復帰を、どのようにすれば責任を完成することができるかについて、多く努力し、考えたことでしょう。
皆さん、これからは、堂々と、日本が行くべき道について、見せてあげ、教えてあげ、教育しなければなりません。

本当に日本を愛し、歴史に残る人物になりたければ、まず家庭から、夫婦が一つとならなければなりません。そして、日本の国民の前に、見本を見せてあげなければなりません。
それゆえ、家庭連合の祝福を受けなければ
ならないと、教育しなければなりません。
時を逃してはいけません。
どれだけ切迫し、一方では、希望に満ちた勝利を満喫することのできる、このような祝福を下さった、この時において、皆さんが奇跡を作り出さなければなりません。
奇跡を!分かりましたか。
創造主、天の父母様、ありがとうございます。このように、世の中で生きていこうとすれば、とても辛いことでしょう。多くの問題が起こり、それらを解決しなければならず、苦しいです。
しかし、家庭があり、その家庭と、固く結ばれた情、そのような愛を歌うことのできる環境が、この秋夕節にお月見をする気分です。分かりましたか?
それでは、皆さんと私が、このような月を、秋夕を、あと何回、迎えることができるでしょうか?たくさん、たくさん、迎えられたら良いでしょう。
そのためには、皆さんが、責任をしっかりと果たしてくれなければなりません。責任。分かりましたか?そうするでしょう?

2018年10月2日火曜日

10月2日

今日の訓読み言

天聖経 第11篇礼式と名節
    受難と試練の中で統一教会が創立されたというのは、ある意味では、天の全体的なみ旨を中心として見るとき、悲しいことですが、私たちが歴史的伝統を回想するとき、そのように困難な環境で創立されたことが、より印象的なのです。統一教会は、皆が歓迎する立場で創立されたのではなく、寂しい立場で何人かが集まり、涙とともにこの日を宣布したのです。このように悲しい事情がありましたが、それがかえって歴史上において追憶の中心になりました。往々にして人々は良いものを願いますが、良いものだけが良いのではありません。良いものは日常的に過ぎ去っていくことがありますが、その良いものを探し出すために困難を克服した歴史は、いつでも良いものを迎えることのできる、新しい日の約束を刺激する力の母体として残されるというのです。

2018年10月1日月曜日

10月1日

今日の訓読み言
 皆さんは「ホーム・チャーチ」という言葉を聞いた事がありますか。家庭教会というのでしょう。ところで家庭教会というのは、昔はいくら家庭教会という名詞を知っていたとしても、事実それを迎える事は出来なかったのです。なぜでしょうか。時が来ていなかったからです。そのような蕩減条件が、歴史の前に神様とサタンと歴史を代表した責任者との決定が成されていなかったので、いくらホーム・チャーチに入って、「これを世界の祭壇に完結させて捧げます」と言っても受ける事が出来ないというのです。サタンも認定しないというのです