おはようございます。「夏の思い出」は日本を代表する唱歌で、「夏が来れば 思い出す はるかな尾瀬 遠い空……水芭蕉の花が 咲いている 夢見て咲いている 水のほとり」のフレーズは多くのかたが聴いたことがあると思います。天一国2年天歴6月14日今日の訓読のみ言一人のアダムを求めた歴史◇神から見た場合、天使長、アダム、そして愛の理想の基準を求めて創造してきたのだから、我々復帰路程において、再創造の原理を通して行かなければならない立場から考えてみた場合、我々人間は、まずもって天使長圏を復帰しなければならない。信仰というものは、相対者がはっきりしていないものだ。相対圏がはっきりしていれば、これは信仰ではない。だからこれは何を意味するかというと、信仰をもつというのは、無形実体圏を求める立場が、信仰圏である。信仰は理想の実体がはっきりしていないというんだね。それを求めつつ行くところが天使長圏である。過程圏においた立場が天使長圏だから、その過程を通過する期間において、我々信仰生活が必要である。信仰生活の行くべき道は、天使長が行くべき道の過程を、我々は歴史を通して、たどって行かなければならない。 復帰原理から見た場合に、僕の僕時代から、僕時代に上がってくるんだね。再創造の道だよ。僕の時代から養子圏を通して、実子圏を通して、本然の完成基準を通して、理想的な愛を横的な世界において求めていくのが、アダム、エバ、イエス様を中心として新郎、新婦の理想である。その完成まで行くには、天使長過程、アダム完成過程を通し、縦的な神の愛を受けることによって、横的な出発がなされる。だから今までの歴史は、結局、アダム一人を完成させ、神の相対の位置に立たせて、神を迎え、完成された愛を満たすことによって、その愛がアダムと一つになっているから、横的な中心者に立つのが新郎である。中心者の前に相対的に立つのが新婦である。これが一つになったとすれば、神とアダムが一つになり、アダムとエバが一つになり、神とアダムとエバが一つになれる。そこにおいて、愛によって縦横が完全に統一される。だから四方八方、どこに行っても喜びの立場である。その環境を我々は天国という。 ここを願った神の御理想が堕落のために破られてしまったのだから、それを再創造する。ここにおいて問題になるのは、サタンの存在である。天使長圏が完成されれば、サタンというものはなくなってしまわなければならない。天使長の完成は天使長によってなされるのではない。アダムの完成によってなされるのである。だから、アダムが完成した場合には、天使長理想が完成されるとともに、サタンという存在位置はこの天宙になくなってしまう。天使長が未完成圏にいるのであるから、未完成のサタンもいることができる。完成された場合には、残ることができない。サタンは完全に退けられる。だから、アダム完成が最後の問題である。だから神は、今まで、アダムを完成させるためにやってきた。
これがメシヤである。
堕落した人間が再び神のもとに帰るには、天使長のところを通過していかなければならない。
天使長は僕である。僕を主人として迎えていかなければならないから、僕の僕となる。僕の僕として立ち帰ろうとすれば、サタンというものは偽りの主人である。 僕としての最高の理想は何かといえば、最高の主人を迎えることである。最高の主人は誰かといえば、自分のためにやってくれる主人(神様)、を求めなければならない。 堕落は、自分を中心として神の理想を奪い取ろうとした。神の理想は愛である。その愛を自分に引き付けようとしたのが堕落である。だから自分を愛するという条件を満たすところには、絶対復帰の道は生まれてこない。
おはようございます。■私たち祝福家庭は、真の愛を完成された天地人真の父母様と一つとなって、その愛を相続し、本然の祝福家庭としてしっかりと立つことが重要です。そして、氏族圏へと拡大し、真の愛の実践を通して、彼らと共に、神様のもと、天一国に入っていくことで、氏族的メシヤの使命を全うできるのだと思います。天一国2年天歴6月13日今日の訓読のみ言 📖打つ!絶対服従すれば越えるサタンは知恵がある。サタンは頭がいいよね。利口だから、先生のやる方法をまねて自分は中心に立つ。そういう者、たくさんいるんだね。自分の欲望を中心としてやる。それは宗教の中で最悪の者だ。その目的は何のため?自分のために。名目は日本とか神とかそういうんだけれど、自分のためである。先生がみんな出発点になっているのに、それを全部さておいて自分のものにする。強制的に何の許可も得ずして自分のものだと片っ端から主張するのは強盗である。そういう人を見てみなさい。自分の内部でやられてしまうだろう。これをはっきりさせるんだね。分かりました? 年取った者、統一教会にいる古いメンバーは、みんなどうだ。別の主体者をもっていないか、どうだ?先生はいつでも公的に話して、責任者を公的にたたくんだよ。「おい、ああでかい体して、みっともない格好して、何ブラブラしている!」蕩減復帰だ。そういう腹(別の主体性)をもっていたら、引っかかるからね。公的に先生が代表して、世界的に代表して攻撃した場合、絶対服従すれば越える。 別の主体性をもっていたら、間違いなく反発に出る。出た場合には、先生は黙って見ている。絶対服従すれば越える。先生がけっとばせば最高だよ。大概整理できたね?蕩減復帰。蕩減は何のためだ?完成のためだ。何の完成?自己完成、家庭完成、氏族完成、民族完成、国家、世界完成、天宙完成のために。
天宙完成は何のため?神の解放だ。
神の解放をするためだ。目的は神の解放である。そこまで我々は願っている。分かりましたね。(はい)先生は、それが分かったんだから、文句なしに、雪が降っても、風が吹いても、季節が変わっても、春が去っても、その季節を忘れて、一心不乱、蕩減復帰の道をむさぼりつつ、開拓していった道が先生の生涯の道である。だから、その生涯を総合して一言で表現すれば、それは悲惨な惨めな生涯だ。誰も
同情しないその過去を残している。しかし、神はそれだけは知っている。
おはようございます。◇私がいる時といない時の違いをはっきりと認識して、活動する必要があるのです。
一瞬一瞬がどれほど大切であるかを悟り、与えられた責任を果たすために、より発奮する必要があります」天一国2年天歴6月12日今日のみ言葉淋しい時期がが来たとしても (701126水沢里にて)◇もし淋しい時期が来たとしても、力が出ないような基準があるとしても、 そこで落胆したりしてはいけない。そういう期間があるからこそ、谷を越えることができるんだね。谷の境界線というものは、線自体は中間圏だよ。それが大きい谷だったら、谷の広さも広くなるんだよ。その谷の底を通り抜けるような、そういう期間があるんだよ。そこには神も干渉できない、サタンも干渉できない、自分一人ながらやっていかなければならない、そういう期間があるんだよ。暗礁地帯みたいな、そういう期間が。腹いっぱい力を出そうとしても 出すことができない、神に自分は捨てられてしまったような思いがする。神がいるかいないか思いもつかないような時があるんだよ。 そういう時をいかにして乗り越えるか。過去、神によって祝福された恵みに対して、蜜に酔った時のような、その喜ばしい心持ち、それが必要だよ。
過去の自分をこういうように守って下さった神は、
愛する自分の親である。 わしは間違いなく神の子供である。いかなる曲線をたどっても、結局は愛の 目的の立場に神は我を立たせる。その問題は間違いない。こういうような過程を通過させるのも、我にもっと大きい何かを悟らせる、あるものがあるから、こういう期間を自分に下さるのであって、自分の行くべき道をふさぐために、神はこういう淋しい立場に立たしておくんじゃない。そういう立場に立てば 立つ程、今まで神共に我を守り、励ましてくれた、そういう基準を中心として、間違いなく神は自分を愛しておるという、信仰でもって乗り越えなければならない。誰が何と言おうと、この期間は克服するんだね。誰も頼りにできない。自分ながらの存在を認められないような立場に落ち込んだとしても、絶対に 落胆してはいけない。
おはようございます。 今日も元気て有りますように。「天一国はどういう国か」天一国経典『天聖経』の中から真のお父様のみ言を探してみました。 「神様の国は、永遠に幸福な所」天一国2年天歴611日 今日の訓読のみ言淋しい時期が来たとしても 「刺激について」701126水沢里にて@◇淋しい時期が来たとしても、力が出ないような基準があるとしても、そこで落胆したりしてはいけない。そういう期間があるからこそ、谷を越えることができるんだね。谷の境界線というものは、線自体は中間圏だよ。それが大きい谷だったら、谷の広さも広くなるんだよ。その谷の底を通り抜けるような、そういう期間があるんだよ。そこには神も干渉できない、サタンも干渉できない、自分一人ながらやっていかなければならない、そういう期間があるんだよ。暗礁地帯みたいな、そういう期間が。 腹いっぱい力を出そうとしても出すことができない、神に自分は捨てられてしまったような思いがする。神がいるかいないか思いもつかないような時があるんだよ。 そういう時をいかにして乗り越えるか。過去、神によって祝福された恵みに対して、蜜に酔った時のような、その喜ばしい心持ち、それが必要だよ。
過去の自分をこういうように守って下さった神は、
愛する自分の親である。 わしは間違いなく神の子供である。いかなる曲線をたどっても、結局は愛の 目的の立場に神は我を立たせる。その問題は間違いない。こういうような過程を通過させるのも、我にもっと大きい何かを悟らせる、あるものがあるから、こういう期間を自分に下さるのであって、自分の行くべき道をふさぐために、神はこういう淋しい立場に立たしておくんじゃない。そういう立場に立てば 立つ程、今まで神共に我を守り、励ましてくれた、そういう基準を中心として、間違いなく神は自分を愛しておるという、信仰でもって乗り越えなければならない。誰が何と言おうと、この期間は克服するんだね。誰も頼りにできない。自分ながらの存在を認められないような立場に落ち込んだとしても、絶対に 落胆してはいけない。
おはようございます。 私たちには停止はありません。氏族的メシヤ勝利に向かって邁進しましょう。「お父様、愛しています」「お父様、お疲れさまでした」天一国2年天歴6月10日今日のみ言葉
◇ 先生がエルサレムを訪問した時に見たのですが、イエス様がゴルゴダ山頂まで登る途中で倒れた所に立て札が立っているのです。十二回も倒れたその所を見やり「こんな蕩減の道を行かれたのだな」と思ったのです。その場で先生は「暗黒のような二千年前に新しい天的な使命を背負って、砂漠と荒野のようなこのど真ん中を訪ねたイエス様の事情がどれほど切なかったでしょうか? しかし大きく裕福な多くの民族をみな除いて、このように見る影もなく、やせ細ったイスラエル民族を訪ねてこられたことは、民族復帰の恨を一日も早く解こうとされたアボジの事情があったが故であるということを知りました」と祈祷したのです。 その所を訪問する人は誰もが、イエス様が抱いた事由を深くお慰めしてさしあげる祈祷をしなければならないのです。それでこそ、その場においてサタンは気をもみ、神様は慰められるのです。それでサタンは悲しんで泣き、神は嬉しくて泣くのでなければならないのです。 アダムが堕落することによって神が慟哭され、サタンもアダムも涙を流したのです。
サタンは神に背信して追われて涙を流し、アダムもやはり堕落によって涙を流したのです。それでイエス様も涙を流され、サタンも涙を流し、アダムも涙を流したのです。ですから復帰の峠道では、神とサタンに涙を流させなくては復帰ができないのです。自分自身も涙を流さなければなりません。自分の涙が神を泣かせ、サタンまでも泣かすことができる涙でなければ、これを復帰させることができないのです。これが蕩減路程で必要とする条件物であることを知らねばなりません。
おはようございます。◇私たちは「原理」とみ言を通して、何が善であり悪であるのかを知りました。「善なる生活をする」という思い、すなわち「原理的に生きたい」という思いがなければなりません。天一国2年天歴6月9日今日の訓読のみ言◇「宗教を信ずる者たちが自分自体で否定せよ!自分が否定圏をつくれ」と。それはつくれない。自分で否定圏をつくることができないから、相対関係において否定される基準をつくればいいんだね。立場が同じだよ。誰かに否定されるような立場に追い込まれればいい。何の話か分かった?自分自体が否定圏をつくることができないから、神様自体が否定圏をつくってやる。それみんな逆に打つんだ、みんな。これが迫害の動機である。 分かった?何の話か。だから、神様を信じ、宗教を信ずるというと、みんな一番近い者が、親とか愛すべきもの自体が反対する。それは何を意味するかというと、結局はサタン自体が第二の主体圏に立って第一の主体を打ったことになる。だから、不正の者が聖なる者を打った場合には弁償しなければならない。この弁償の道をたどって宗教の発展がなされる。何の話か分かったの? 人類の歴史を、考えてみて下さい。神、アダムとエバは、外部から攻撃される立場でした。これは悪の本性です。攻撃者は、文句をつけて破壊します。攻撃者が損害を賠賞し、復旧させるだけでなく、多額の代価を払って罪の償いをしなければならないことは、宇宙の法則です。その法則を知っておられる神が、最初に攻撃の主導権を握ると思いますか。神は、攻撃することもなく、先導権を取ったこともありません。 そういう神にある人はこういうでしょう。
「神様、あなたは、
攻撃しないなんて善良すぎます。あなたに代って攻めましょう。」このような人は、神の民と言えますか。神の民は、決して先頭をきって攻撃することはありません。神の民はいつも攻撃されてきましたが、進み続け決してあきらめず、とどまらず、ゴールを目指して歩み続けています。攻撃されながら、どうして勝利を治めることができるのでしょうか。サタン側は、損害を賠償し罪を償うのが天宙の法則です。あはな方は、忍耐し、個人、家庭、世界のレベルに至るまで、生きのびていかなければなりません。そして最後に勝利し、悪側は、蕩減を払い罪を償わなければならないのです。たとえ全世界が、あなたを攻めようとも善なる目標を持って耐えていく限り最後には、生き残り勝利します。そして全宇宙が、あなたのものとなります。これ以上、拡げようのない程の天宙を所有します。
おはようございます。良い一日で有りますように祈ります。天一国2年天歴6月8日今日のみ言葉歴史発展のパターン ◇「宗教を信ずる者たちが自分自体で否定せよ!自分が否定圏をつくれ」と。それはつくれない。自分で否定圏をつくることができないから、相対関係において否定される基準をつくればいいんだね。立場が同じだよ。誰かに否定されるような立場に追い込まれればいい。何の話か分かった?自分自体が否定圏をつくることができないから、神様自体が否定圏をつくってやる。それみんな逆に打つんだ、みんな。これが迫害の動機である。分かった?何の話か。だから、神様を信じ、宗教を信ずるというと、みんな一番近い者が、親とか愛すべきもの自体が反対する。それは何を意味するかというと、結局はサタン自体が第二の主体圏に立って第一の主体を打ったことになる。だから、不正の者が聖なる者を打った場合には弁償しなければならない。この弁償の道をたどって宗教の発展がなされる。何の話か分かったの?人類の歴史を、考えてみて下さい。神、アダムとエバは、外部から攻撃される立場でした。これは悪の本性です。攻撃者は、文句をつけて破壊します。攻撃者が損害を賠賞し、復旧させるだけでなく、多額の代価を払って罪の償いをしなければならないことは、宇宙の法則です。その法則を知っておられる神が、最初に攻撃の主導権を握ると思いますか。神は、攻撃することもなく、先導権を取ったこともありません。 そういう神にある人はこういうでしょう。
「神様、あなたは、
攻撃しないなんて善良すぎます。あなたに代って攻めましょう。」このような人は、神の民と言えますか。神の民は、決して先頭をきって攻撃することはありません。神の民はいつも攻撃されてきましたが、進み続け決してあきらめず、とどまらず、ゴールを目指して歩み続けています。攻撃されながら、どうして勝利を治めることができるのでしょうか。サタン側は、損害を賠償し罪を償うのが天宙の法則です。あはな方は、忍耐し、個人、家庭、世界のレベルに至るまで、生きのびていかなければなりません。そして最後に勝利し、悪側は、蕩減を払い罪を償わなければならないのです。たとえ全世界が、あなたを攻めようとも善なる目標を持って耐えていく限り最後には、生き残り勝利します。そして全宇宙が、あなたのものとなります。これ以上、拡げようのない程の天宙を所有します。
おはようございます。天一国2年天歴67日今日の訓読のみ言神の戦法・サタンの戦法メシヤと我々 ◇サタンの戦法は、打って滅びる戦法である。自分の利益のために人を犠牲にし、成功しようとする戦法である。神の戦法は、自分を犠牲にして打たれて勝利しようとする戦法をとっている。これはまるっきり違うんだね。 サタンの戦法はどうか、悪人の戦法はどうか? 悪人は自分のために他を足で踏みつけて、自分が成功しようとするものである。善人は奉仕してみんなを良くしようとする。そうすると、自動的にみんなを引き連れて入る。中心人物として立たせられるようになる。ここには、戦わずしてすべてが占領される道が生じてくる。だから神は早く良くしてやろうという戦法で、負けたことはありません。 過去の聖人たちは、打たれて歴史を経るにしたがってだんだん打った国の後孫が、打たれた者の僕になってしまうという結果になって、発展してきている。それが歴史の事実である。原則はこういうふうになっている。だから統一教会はこの戦法をとる。 例えば、2人の兄弟がいる。兄さんと弟さんがいる。満20歳の兄と10歳の弟がいる。その場合に、親は兄さんに毎日相談をするんだね。しかし、そういう兄さんが何の罪も犯していないその弟に対してぶったならば、何の悪いこともしていないのに手をつけたならば、父母が兄さんを中心としていたすべては直ちに崩れてしまうのです。そして弟のほうを助ける。絶対的にそうである。なぜ弟をいじめるのか。何が悪いか。それに反発した場合には永遠に切られてしまう。 だから善悪はどこから始まるや? 先に被害を与えたところが悪である。いくらいいことを言っても、被害を与えた場合には悪に終わる。これをはっきり知らなければならない。悪くないのに、その国が攻められた場合には、攻めた国が攻められた者に支配される。その原則を、はっきり知らなければならない。統一教会の食口としてもいい人はいい人である。カイン・アベルである。被害の動機になった人、それはカインである。エデンの園において天使長はアダム・エバに被害を与えた。被害を先に被らせる者が悪である。それを治めるのが法律である。被害を与えた者が善か悪か? それは一般社会での悪、サタン世界の悪も通じるんだよ。 人を見るとしても、ほほえみながら気持ちいい姿をした人をみな見詰める。気持ち悪い人相をした場合には悪だ。だから向かい合う時には、必ずほほえみながら頭を下げる。これは恐ろしい戦法である。これが善悪の分かれ目である。 話をする時にも、謙遜な者と傲慢な者。一人は春に小鳥がさえずるように歌いながら、気持ちいい姿でもって話をする。一方は傲慢な姿でもって、ぷんぷん言う。見ただけで気持ち悪い。人間は笑顔でいつでも歌いたい。口を開ければ歌う。そういう気持ちを持った者に悪人はいません。
被害を与える者は悪である。被害を被る者は善である。そうして悪の被害を与えられた者が黙って、そのままの道を続けていくならば、悪を犯したすべての者から戦わずして相続する素晴らしい道がある。これをイエス様はよくよく知っている。研究したらそうなっている。
今日もよろしくお願いします。第三次路程始まりました。3次路程は8月12日までです。勝利するためにはみんなが一つになって良き授受して、浄化精誠、関係結びをすることです。
みんな勝利して行きましょう。
天一国2年天歴6月6日
今日のみ言葉
◇復帰は信じ愛すること
神が人間を創造した目的は何かというと神が信じてやりたい、そういう変わらない 人間だと、神が信じてやりたいと、人間がいくら変わっても、歴史を越えて、その基準を維持してこられたのが、神様である。さあ君たちは信じることのできない者でも、信じてやる。騙されても信じてやる。それが神様である。愛してやる、共に住みたがる。お父さんもそうだよ。父母がそうでしょう。信じられない者を信じてやる。その基準において、変わらない純粋な人間、そのような人にならないといけないということを我々は知っております。本当の人、真の人はその基準において、一致したところにおいて、満たすことができるのではないか。そういう人同士、信じ合う、愛し合う、共に生き合う、その世界が地上天国である。天国の世界である。君たちもそうでしょう。神様みたいな人を、旦那さんに、奥さんにと願うでしょう。それは同じである。
信じられない者を信じてやるし、愛されない者を愛してやるし、それは自分と共に住めないような者であっても、住んであげたい。そのような思いが、神様において変わらないでいくならば、必ずその人間は、そういうところを見合った場合は、感動して、再び帰る道があるから、神様は、今まで復帰の道をたどってきているというんです。 イエス様が、聖人と言われるようになったのも、怨讐たちまでも祝福していった、 愛していったということが、神様と世界中の人々を感動させたからです。
共に住みたがる、
共に信じたがる、そういう思いでいたのです。だから、イエス様は、歴史を動かしました。
聖書66巻、たくさんのことが書かれていますが、すべて総合すれば、信じることを、愛することを、共に生きなさい、とそれ以外にありません。では我々統一教会において、どちらがもっと純粋で、信ずべき人かと言うと、そうした場合、神様みたいに、それは信じられない立場にあっても、信じてやる、愛されないような立場であっても、愛してやる、共に住むことができないような立場であっても、住んでやるというようなことを、続ける人ならば、必ず、その環境において、その人は勝利する。