2014年3月17日月曜日

3月17日

おはようございます。
人というものは、感謝されると幸せな気分になって、感謝してくれた人を好きになるものです。
しかも、その感謝の気持ちにまた応えたくなるのが人情というものではないでしょうか。
いっそう誠意を尽くすこともあるでしょう。

天一国2年天歴2月17日
今日のみ言葉

 神様は一番近くにいらっしゃる方
     神様は白い髭が生えているでしょう。それが似合うのです。さあ、神様が髭をそっと触るとき、息子が「僕は長い髭が好きだ」と言えばその髭は長くなり、「短い髭が好きだ」と言えば短い髭になるのです。そうなるはずです。全知全能な神様なので、神様の顔は男性に対するときは粗雑で乱暴に見え、男性格が好きなアダムには男性のように見え、エバのような女性には女性が喜ぶことのできる姿を見せるのです。
                           神様は天地創造の以前からいたでしょうか、いなかったでしょうか。それでは神様の年は何歳でしょうか。そう、七十しか知らない人は七十だと言ってもいいです。そのような人には神様は「ほほ、私は七十だ」と言うのです。五つしか知らない人が「神様何歳ですか」と言えば「ほほ、五つだ」と言うのです。それ以上知らないからです。数がどんなに多くても、その数で数えられるような神様ではありません。私たちの神様がそうだというのです。
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 神様も冗談が本当に好きです。ユーモアが好きです。ユーモアの大王は誰でしょうか。誰かと言うと、神様です。全知全能なのでユーモアも多いのです。笑うときもにこにこ笑い、おなかをよじりながら笑い、転げ回って笑わせることができる大王とは誰ですか。神様です。そんな大王が神様だというのです。

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 神様は外的に男性に似たとするならば、内的には女性に似たのです。神様は、強く、全知全能でもありますが、お釈迦様のほほえみに花を添えることができる慈悲の心もあるというのです。女性の中の女性のような心もなければなりません。そうしてこそ両面がみな生きるのです。

2014年3月16日日曜日

3月16日

 おはようございます。
いい朝ですね。

天一国2年天歴2月16日
 今日の訓読のみ言 

自然は愛の理想を教えてくれる教材

自然とは何でしょうか。神様が私のために、慈しむ愛をもった息子、娘が生まれるとき、慈しむことができる万物として、贈り物として下さった展示品です。鳥の鳴き声一つが、成長していく草一株が、愛する息子、娘たちの生活の美化のためにつくられた装飾品なのです。路傍にころ
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がっている岩も、息子、娘が国を治める主人になることを知っていて、その国の装飾品としてつくったのです。流れる水も同じです。

 無味乾燥で単調であってはいけないので、造化無双な和合の園として、愛のためのそのような世界を見て、その相続を受けることができる夢の王子、希望の王子を造るために創造されたのです。そのため、万物を通して学ぶのです。雄と雌が「ちゅんちゅん」するとき、これをその主人になるおばさんも学べというのです。互いに慈しむ世界に向かい、自分の一生を命を懸けて生きている本然の被造世界のその美しさを、褒めたたえられなければなりません。そのようになれば、その家の垣根に鳥も飛んできて暮らそうともするのです。雛を産もうとするのです。何の話か分かりますか。
 博物館にある、何かの作品がどんなに貴重だと言っても、生きている作品にかないますか。神様の作品であるこの地球星の万物博物館を、誰が神様以上に愛したのかというのです。自分の国の博物館以上に愛したのかというのです。


道端で踏まれるたんぽぽ一株が、博物館にある新羅時代の金の冠よと比べられますか。神様が直接つくられたものであるのに。そのような神様の心情をもって、「お前を、本然の神様が慈しむことができる王の位置で、愛を受けたその位置で、愛せない私自身が申し訳ない。恥ずかしい」と言い得る心をもって慈しむ、そのような王がいるとすれば、その草もその王に従っていき、永遠不変、共にいたいと思うでしょう。そのように生きなければならない人間なのです。(175-187, 1988.4.16)

2014年3月15日土曜日

3月15日

おはようございます。

祈りから一日を始めましょう。
そして祈りで終わるようにしましょう。

天一国2年天歴2月15日
今日のみ言

 父の祈りから

お父様!
私たちをお守りください。
分別の役事において責任を持ってください。
サタンが侵犯する私たちとならないよう許諾してください。

 個人を復帰して、真の家庭を復帰して、真の愛と善を世界的基準に拡大しなければなりません。ただ、この真理だけが争っている教派を一つに統一することができ、また地上天国を成すことができるという事実を知っている私は、五十年前にこの啓示をキリスト教徒に明らかにしました。私は、もう一つの分離された教派をつくる意向は絶対にありませんでした

 しかし、神様のメッセージは、既成教団から拒否されて迫害を受けました。私は、やむを得ず他の基盤を築かなければならなかったのであり、過去四十三年の苦労がそれでした。

 一九五四年、韓国で「世界基督教統一神霊協会」として始め、日本、アメリカ、ヨーロッパ、そして、全世界に宣教師を派遣しました。この基盤の上に私たち夫婦は、多くの団体を立て、真の家庭の原理が学術、言論、宗教、芸術、産業分野等で扱われ、この世界を蕩減復帰することができる標本と典型をつくろうと努力しました。

2014年3月14日金曜日

3月14日

おはようございます。

かわらないといけないのは私です。

私から浄化精誠、セルフコーチングして始めましょう。

天一国2年天歴2月14日
今日のみ言

 祈祷は、神様と対話をすることです。ですから、特別な場所に座って祈祷するよりも、日常の生活の中で、天とともに同化することができる時間をもたなければなりません。そのような時間が祈祷の時間となりうるのです。

このように見るならば、言葉でする祈祷よりは、歌でする祈祷のほうが感動的です。そのような祈祷を通して、自分自身が神秘境に引き込まれていくのを体験することができます。(270-17,1995.5.3)


     皆さんがどれだけ永遠に天の前に称賛を受けられるかは、どれほど天の民を収穫して収めるかという問題にかかっています。それを収めることのできる鍬が、今まではなかったのです。分からないのでできなかったのです。しかし、皆さんには、背負子があります。熱心にみ言を伝えれば、爆発的に収穫することができるのです。

  自分によって多くの天国の民、天国の家庭を拡大しなければなりません。あの世に行って新しく策定される位置が、地で決定するというのです。地で結べば天でも結ばれ、地で解けば天でも解かれると言ったでしょう? このことを前提として語られた言葉です。

2014年3月13日木曜日

3月13日


おはようございます。

天一国2年天歴2月13日
今日のみ言

  私たちはホーム・チャーチを中心として、それぞれ個人から家庭、氏族、民族、国家を越えて世界の前にこれを広げ、蕩減条件の環境をなくすために、全面的な前進をすることを誓っていますし、この運動を提示するようにしてくださった恩賜に感

​​
謝を申し上げます。

   良心というのは、垂直に神のほうにいつも向くのです。それは、南極が磁力でもって北極に向かうのと同じように、良心は第一の主体なる神のほうに行こう行こうとするのです。だから良心は正しいのです。

良心に教育は必要ないです。第二の神様だからです。良心は、自分に対して分からないことはないのです。良心は、自分に対して分からないことがありますか、ないですか? (ないです)。ないのです。これを知らなかったので、自分の良心をだましながらやってきたのです。

 ここに来た女たちも、たくさん旦那さんをだましてきたのでしょう? (笑い)良心をだましているのです! 姑をだましているのです! 子供をだましているのです! それで、良心が泣くのです。良心が痛哭するのです。愛の根が肉身を中心として、長成(期)完成(級)基準で愛というものが一つになった力は、良心よりも強いのです。

もしも、良心が完成基準で真の愛と一つになった場合には、いくら肉身の基準において、蘇生、長成、完成(期)基準で一体となったとしても、堕落しないで良心基準が神様の愛と一体となったとすれば、サタン的なプラス的肉身を自由自在に主管し、一つにすることができるというのです。だからサタンは、その場に留まることができません。逃げていくのです。

2014年3月12日水曜日

3月12日

-------0312------
おはようございます。
いつも感謝の気持ちを表現しましょう。
-ごめんなさい。
-赦してください。
-感謝します。
-愛しています。

天一国2年天歴212日
今日のみ言

 父の祈りから
お父様!
今日私たちの一個体と、私たちに
天の解怨のための責任が任されており、
天の恨みを解いてさしあげるための闘いが、
私たちによって
終結されるべき事情があるということを
分かるよう許諾してください。

 忠孝と真の愛の有無が方向を決める。

 愛は、自らの家庭から父母の助けを願うことではありませんか。自分が父と母の愛を受けたならば、父と母を愛さなければなりません。天理はそのようになっています。すべての心情的な誘発点は、父子の関係から連結されるのです。それは、すべて郷里から植えられてくるのです。

 しかし、堕落することによって、これがすべて食い違ってしまいました。それをこの地で解かなければなりません。郷里に帰っていって、サタン側に立って愛する数多くの孝子、孝女以上に孝子、孝女の立て札を立ててこそ、天使長ではなく、善の霊人たちが地上に来るのです。


 そのようにして横的に活動する霊人たちが、故郷で愛する心をもってソウルの家に来て協助するのです。そのようにして横的基盤を広めていくことができるのです。それが復帰です。(1988.4.6)

 最高の立場で自己陶酔して満足しているその群れから迫害されて追われ、涙を流す立場で血だらけになって倒れていく体を立て直しながら、たった一つ私が残さなければならない遺業とは何であり、私が残すことのできる遺産とは何であり、私が相続させることができる最後の遺言とは何でしょうか。天に対して燃え上がる心情と、忠誠を尽くしたいと思う孝子の心、忠臣の心、烈女の心をもつ群れがいるとすれば、その群れは絶対に滅びることがありません。(1961.1.9)

2014年3月11日火曜日

3月11日

いい朝ですね。
今日は何の予定がありますか?いつもみんながラマステの精誠、浄化精誠の精誠で「食口を大事にする、食口を愛する」「謙虚なる、仕えるリーダーになる」
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天一国2年天歴2月11日
今日のみ言

 私たちは、食口を一人たりとも失ってはならないのです。指導者の皆様は、一つの魂を失うことに対しても恐ろしいくらいの良心の呵責を覚えつつ、さらに努力していただきたいと思います。

 氏族的メシヤとは何か
位置------
  氏族的メシヤとは何でしょうか? 真の愛の主人なのです。真の愛の主人、これは、イエス様が願い、アダム・エバが願い、神様も願っていました。ですから、すべてが真の愛の主人になって前進しなければなりません。そうなれば、みな終わるのです。氏族的メシヤになれという言葉は、氏族的祖先になれということです。
(1989・1・3、漢南洞)

 事実、氏族的メシヤというものは、一番素晴らしいものです。「やあっ! 世界で一番だ。億万金を与えても買うことができないものなのだなあ。やあっ! これ、分かってみると一番だ。これ以上ない」と言うのです。皆さんは、いくらのものだと思いましたか? 後退するならば、皆さんはいくらのものだと思ったのですか? アメリカ大統領が問題でなく、イギリスの女王が問題でないほどの価値をもったという事実を知らなければならないのです。イエス様が問題でない価値であることを知らなければならないのです。


 それで、氏族的メシヤは、一代において氏族を中心として歴史的な故郷を案内する先鋒者だということを知らなければならないのです。モーセのように出エジプトの先鋒者であることを知らなければならないのです。盲目的ではないのです。モーセは何も分からずにしましたが、私は具体的にみな知っているのです。理論的にみな知っているのです。故郷を訪ねていかなければなりません。しかし、カインを探し求めずしては故郷に入れないということは原理的な事実です。サタン世界にお兄さんの氏族が残っているので、彼らが私(自分)の氏族の位置に来るように、お兄さんを救ってあげなければなりません。そうでなければ、サタンになるので仕方がないのです。彼を救ってあげてこそ彼が囲いになり、自分の故郷に入っていって自分の一族を救うことができるのです。そうでなければ皆さんの父母を伝道しておいても、サタンがまたくわえていくのです。引っ張っていくのです。そういう危険性があるので、神様はこのような摂理をせざるを得ないというのです。自分の父母、自分の一族、故郷をみな伝道しても、また引っ張っていくというのです。(1979・1・14、ベルベディア修練所)

2014年3月10日月曜日

3月10日

おはようございます。
今日も一期一会の心で過ごしましょう。

天一国2年天歴2月10日
今日のみ言

 真なる愛だけが体と心を一つにする。

今、世の中では、「この世界は一つの世界になるべきだ。統一の世界であるべきだ。平和の世界であるべきだ。」こんな言葉をたくさん言います。

 では、一つになるには、力を与えながら「やあ」と言うと「やあ」こうなって、力で一つにするのか? でなければ、何かの組織力を持って、この頃は何かの組織社会だから、強力な組織力で一つにするのか? その次には、ある思想を中心として一つにするのか? そうできる一面はあるかもしれませんが、それは我々の本性として「体と心が全部歓迎をして、これでなければだめだというそのようなものには絶対なれない。」というのです。体と心が「これはいい。このようなものは私が願うものだ。これは永遠な理想の基準で私が侍って暮らすことができる。」と言えるようになっていないのです。それはお金でもだめだし、知識でもだめで、何でもだめなのです。

 では、一つになりうる根本が何か? 高い人や低い人や、東西洋はもちろんであり、黄色人や白人や黒人や、どの国でもみな好みうるものが何か? それは愛です。真なる愛で一つになること以外にはないということが、最後の結論であることを、皆さんは知るべきです。そのようですか?(はい)。自分の体と心が親しくなって、一つになって、喜びうることは・・・。お金を見て体と心が喜びますか? それは永遠に喜べないのです。


 我々の五官が全部集中して、一つにさっと固まって、笑って踊りを踊りうることは真なる愛の理想以外にはないという結論です。それをだれが否定しますか? 否定すれば、それは愛ではありません。それゆえ、霊と肉が我々の心と体がすべて一つになりえ、ともに共栄しうることは、真なる愛の境地以外にはないという結論を下すことができるのです。(91―141)

 霊と肉は、本来真の愛を中心として一つになるようになっているのであって、偽りの愛を中心として一つになるようになっていません。それゆえ、真の愛の起源を見出さずしてはこれが一つにならないのです。それが最も理論的だということです。その場を皆さんが越えていって、天が祝福してくれる、その祝福を願って行かなければならないのです。(91―184)

 皆さんの体と心が、神様の愛を中心として生きていかなければなりません。ご飯を食べるときも、神様の愛を中心として食べ、考えと行動をするときも、神様の愛を中心としてすべきです。体と心が神様の愛を中心として生きる人にならなければなりません。しかし、皆さんの体と心が怨讐になっています。神様の愛を中心として根を下ろさなければならないのに、サタンの愛で先に根を下ろしたためです。そこから体と心が分かれて戦っています。(1986・2・1)

 本来は、人間の心と体に神様の愛が入って、内外に矛盾や相入れないこと、または闘争がない結果をもたらさなければなりませんでした。しかし、人間が神様から離れていって、サタンを中心として外的に愛したのが動機になって、体と心が相入れない立場で闘争する結果がもたらされたのです。そうして、外的な体を中心とした愛が、内的な心を中心として、理想的な永遠な生命の起源になる、神様の愛に背いて出てくる歴史の結果がもたらされたのです。ですから、外的な愛、すなわち、サタンの愛を除去して、そこに本然の内的な愛である神様の愛を相続して、体と心を糾合させなければなりません。そうしてこそ、ここから統一が起こるのです。(37―179)

2014年3月9日日曜日

3月9日

アンニンハセヨ。
おはようございます。3月も早く9日になりました。一つ一つ予定を計画を持ってやりましょう。
土台は浄化精誠、関係結び、コーチングであります

天一国2年天歴2月9日
今日のみ言

祝福をしてあげるということは、天の全権を委譲してあげることを意味します。

 祝福は、天国の門を開くことであり、天国は、子女をもって家庭が入っていく所です。
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 祝福とは、永遠の宝物です。子孫万代を今から出発するという一つの契約です。ですから、それを汚す時には一族が関係します。イエス様を十字架につけることによって、一国家が関連することになったように、一族に連結されます。

 祝福とは、歴史が追求してきた万民解放の門を開く鍵なのです。

 祝福を受けるということは、とてつもない事実です。祝福を受けた人は、神様の代わりに「私が定めれば天宙も定める」という心で、主人として振る舞える人にならなければなりません。このような条件が備わってこそ、天が私たちを中心として生活理念を立てることができるのです。

 神様の祝福は、絶対的に公的なものです。その祝福は、ある個人だけのためのものではなく、またある家庭だけの、ある国家だけの、ある世界だけのためのものではありません。神様の祝福は、宇宙全体のためのものです。

 「祝福」という言葉は、福を祈るということです。祝願する(祈る、願うという意味)の「祝」という字です。福を祈るのに、どんな福が一番貴いのでしょうか。愛の福が一番貴いのです。統一教会は、そのような意味で「祝福」という言葉を使うのです。一番貴いもの、宇宙の公約を代表した一番核心的な起源が、男性と女性が結合するところから始まるので、その祝福が一番偉大だというのです。

 その偉大なものが福を祈れば最高の福になるので、統一教会では結婚式を「祝福」と言います。初めて来た人々は、こういうことを知らなければなりません。統一教会で「祝福を受けた」というのは、今日この世で「福を受けた」というのとは違います。神様の立会いのもとに、真の父母を通じて結婚式をしてもらったということです。

2014年3月8日土曜日

3月8日

おはようございます。
今日はなにをしないといけないかをキチント確認し、順序良く一つずつ。

天一国2年天歴2月8日
今日のみ言

 マタイ福音書6:21
『あなたの宝のある所には、心もあるからである』

 一番投入して犠牲になる者が中心者になる

  個人が、家庭に犠牲することを願う人はいますか? そうしなければ国が滅びます。七人家族であれば、七人のために犠牲になって、それが間違っていたとすれば大変なことです。

七人共々に、みんなが自分を尊重します。価値からいっても、平等です。七人を殺して自分一人がよくなるというのは悪魔です。それは地獄に直行する悪魔です。自分が犠牲になることによって、七人がみんなよくなるのです。七人共々に犠牲になるとすれば、その家が直行、直立で、縦的にすーっと上がるのです。垂直に飛び上がるのです。

 こういう原則から見た場合に、当然、個人が七人の人々の前に犠牲になるということは、それは道徳社会の公的な道として、誰もそれには反対する者はいません。そのように犠牲になり、為に生きた場合には、神様の再創造の道、神様が成されてきた再創造の道と一体になるので、神様が現在立っている所につながる道が続いているのです。分かりましたか? だから滅びることはないのです。

投入して忘れる犠牲の道をとっていく人は、その家族の中心者になります。みんなが犠牲しても、一番投入して、もっと犠牲になる者が中心者になります。国の大統領、国の総理という者は、その国のために自分のすべてを投入して、投入して、誰よりも投入して忘れ、投入した者がなるのです。分かりましたか?


 それが、今まで若い者には分からなかったのです。投入して投入して忘れていくことによって、中心者になるということです。中心者がみんないいと思い、みんな中心者になりたいでしょう? しかし、無責任な中心者は悪魔です。破壊ばかりを生みます。

だから中心者は責任を持たなければなりません。統一教会の中心者は誰ですか? (お父様です)。お父様ではありません。そういう時は、先生です。統一教会の教祖様です。中心者は責任を負うのです。

2014年3月7日金曜日

3月7日

おはようございます。

天一国2年天歴2月7日
今日のみ言葉

 父の祈りから

  お父様!
人間の先祖の堕落によって
遠くなったあなたとの距離を縮めるために、永遠なる善の主管者として、また永遠なる理想の主管者としてイエス・キリストをこの地に送られましたが、お父様を身代わりして実体で来られたイエス様を主として侍ることが出来るようにしてください。

 神様と真の父母のための侍る生活の中から

神様は、アダムとエバを造られ、彼らが希望の人格者になることを懇切に願われたのですが、そのアダムとエバが堕落してしまいました。堕落前から抱いてこられた慕わしい心情、堕落前から抱いてこられた希望の心情に対して、人類の先祖アダムとエバが裏切ることによって、神様の心には悲しみがしみわたるようになったのです。神様は、アダム家庭に対する悲しみの心情、憤りの心情を抑え、慕わしい心を再び取り戻すためにカインとアベルを立てられたのですが、彼らは、その希望を成してさしあげることができず、逆に悲しみだけを神様に与えたという事実を、皆さんは考えなければなりません。その後、千六百年という歳月を経て、再びノアを立てられました。しかし、結果は同じことになりました。そこからまた四百年を経て、アブラハムを立てられたのですが、やはり同様でした。慕わしく思った一人に出会って心情を分かち合おうとされたのですが、アブラハムも、やはり神様が抱かれた慕わしい心情を完全に解いてさしあげることができなかったのです。そのようにして、数千年間抱いてこられた慕わしい心情を悟らせるために、三代を経ながらヤコブ家庭を立てられたのです。しかし、
その家庭においても、完全にみ旨を成し遂げることはできませんでした。

 イスラエル民族を立てられても、このような慕わしい心情を躊躇なく話すことができず、教えることもできず、支配することもできない立場で、彼らのあとから従っていかざるを得なかった神様の事情を、私たちは知らなければなりません。


 慕わしく思ってこられた一つの民族形態を地上に立てられ、その民族が塗炭の苦しみに陥るたびに、神様は、その慕わしく思われる心に比例して苦衷を感じられ、悲しまれ、困難に遭われたという事実を、私たちは知らなければなりません。

 長い歴史路程を経てこられる間、神様は、慕わしい心情を私たちの心に植えつけ、歴史に植えつけ、世界に植えつけるために闘ってこられました。それゆえに、私たちが接する物一つにも神様の慕わしさがしみ込んでいるという事実を知らなければなりません。私たちが対する食口にも、歴史的な神様の慕わしさがしみ込んでいるということを知らなければなりません。私たちが生きているこの国、この世界にも、神様の慕わしさがしみ込んでいるというのです。