◇堕落した人間にとっては、 神がいるかいないかということさえわからない( 本当の意味において)。
神は実にいます。 その神たるは我々のすべてに代えても否定できない真なる父母の立 場に立っている。 こういう認識をいかに体験し得るかということが、 何よりも重大な問題である。」
(1969.4.20)
◇十字架の後にも感謝の念が残っていなければ
「神の心情の境」
1967年6月12日 東京教会
悲しいこと、苦しいこと、たまい切れないつらい立場にたっても、 我々がいつも思わなければならない中心問題は神の心情である。 神の心情界においては喜びはまだまだであって、 悩みの心情を抱いている。その痛みの心を、いかに慰めるか、 これは我々統一信者たしての重大な責任である。
だから闘って勝利を得たという立場に立てば、 神に感謝しなければならない。
今日の勝利は我々によるものじゃない。一から百まで千まで、 全てが神による勝利の決定的動機からでた勝利である。
故にそれを知った人達は涙ぐましいところを通過しながらも、 感謝の念を持たなければならない。 それでイエス様は十字架の路程を通過しながらも感謝の念をもった のです。十字架の後にも感謝の念が残っていなければ、 復活できないというのです。
だから我々は闘ってもまだ闘わなければならず、 闘ってまだ感謝をもって世界に向かって闘いの進路を続けなければ ならない。こういう立場に立っているのが復帰の過程である。 皆様はこの点を忘れてはいけません。
(1969.4.20)
◇十字架の後にも感謝の念が残っていなければ
「神の心情の境」
1967年6月12日 東京教会
悲しいこと、苦しいこと、たまい切れないつらい立場にたっても、
だから闘って勝利を得たという立場に立てば、
今日の勝利は我々によるものじゃない。一から百まで千まで、
故にそれを知った人達は涙ぐましいところを通過しながらも、
だから我々は闘ってもまだ闘わなければならず、
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