原理講論では、
「サタンの主管圏から神の愛の主管圏へ移行していく過程的な現象」
と説明しています。
この場合は、復活を「再び(霊的に)生きる」
というふうに理解する立場です。
天一国3年天暦1月5日
今日の訓読み言葉📘
良心は、皆さんの番人となって昼も夜も皆さんを守ってくれ、皆さんに休みなく、「善なることをしろ。善なることをしろ」と言うのです。ですから、どんなに疲れるでしょうか。
生まれたその日から、意識的に考えることができ、社会環境において、すべての制度を分析できる知能的起源が生じるその日から、生涯ついて回るのです。自分の師もついていくことができず、お母さん、お父さんもついていってくれませんが、生まれたその日から死ぬ時まで、永遠に良心は、私に対して命令するというのです。神様に似なさい、聖人に似なさい、愛国者に似なさい、孝子に似なさい。そのように似ることを願うのですが、「体よ、お前は私に似なさい」と言うのです。(179-312, 1988.8.14)
0 件のコメント:
コメントを投稿