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③ イスラエル民族は十分の一の供え物をしました。「 わたしの宮に食物のあるように、 十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。 これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、 あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、 万軍の主は言われる。」( マラキ書第3 章10 節)
④ キリスト教会は十分の一献金を伝統としてきました。
天一国五年天歴閏5月21日
今日の訓読み言
天聖経p1379~
自分の持っている物は、すべて自分の物ではありません。 天の前に返して接ぎ木されなければなりません。ですから、 自分の物ではないのです。自分 のものという所有権はありません。真の愛を中心とした主人は、 アダムではありません。天が中心なので、天を主人として、 自分はその相対的な存在、 対象的な立場に立つということを考えなければなりません。 ですから、所有権はまず、誰にあるべきかというと、 神様になければならないのです。(219-214,1991. 8.29)
■東岡山100v10プロゼックト
書写して、100TEN(100v10)
掃除して、100TEN(100v10)
笑顔で感謝、勝利!勝利!勝利!
赦しください、
愛します。
感謝します。
ひとつになります。
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