2018年11月22日木曜日

11月22日

人間世界で生きる時、愛を中心とした孝子が最初の円であり、忠臣はその外側の円です。これが大きくなっていきます。小さい時は、これは小さいのですが、大きくなっていくのです。この円が、聖人はもっと大きく、聖子はもっと大きいのです。ですから、これをきちんと並べれば、その一点は孝子です。孝子が最初です。その次に忠臣、聖人、聖子、この四段階です。 

 その中心は垂直です。垂直を中心としています。全て中心は一つです。二つではありません。愛は中心が一つです。それ故に、父母の前における孝子は地獄に行きません。国の前における忠臣は地獄に行きません。救世主を信じなかったとしても、それは、自然に収拾する様になっています。ですから、聖人は地獄に行きません。 

 すなわち、この話は、孝子になれなかった人は、忠臣にはなれないという話です。それでは、孝子になりたいと思っても、父母がいなくなればどの様になるのでしょうか。孝子が良いというのですが、自分に父母がいなければどの様になるのでしょうか。大変な事です。「神様、私に父母を下さい!」と言っても、天地の道理はその様にはなっていません。父と母が死ぬ事もあり得るのです。 

 その様になれば、孝子になりたいと思っても、なる事が出来るでしょうか、出来ないでしょうか。なる事が出来ない時には、どの様にするのでしょうか。忠臣、聖人になりなさいというのです。聖人の位置は、孝子や忠臣の位置よりも勝っているのです。(一九九〇.一.七)

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