今日の訓読み言
神様は宇宙の中心存在なのでその前に近く行けば千年、 万年主管されてももっと主管されたいのです。 神様を中心とした侍る道理がそのようになっているので、 今日私たち人間もそのような立場で主管されればそれ以上の幸福は ないという事実を、私たちは考えることすらできませんでした。
信仰の義であるとか、行いの義であるとか、 侍る義を追求するのはなぜでしょうか。 義でなければ善悪を分別できません。 悪なる世界と善なる世界が分かれません。 その善の中心点とは何でしょうか。神様です。 神様が信じるのと同じように、神様が行うのと同じように、 神様が侍るのと同じように、 いつも神様が中心にならなければなりません。 それはなぜそうでなければならないのでしょうか。 サタンは神様のように義なる者に対しては、 讒訴できないというのです。神様が信じ、神様が行い、 神様が生活する、 侍る環境に処していればサタンが干渉できません。 サタン圏内にいてもその環境に神様のようにできる義なる基準が生 じれば、サタンはそこから後退するのです。
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