2015年1月14日水曜日

1月14日

おはようございます。
なぜ神様が孝子、忠臣、聖人、聖子を好むのでしょうか。それが宇宙の核だからです。彼らだけを中心として考えてみれば、孝子は一代先祖、忠臣は二代先祖、聖人は三代先祖、そして聖子は四代先祖です。三段階です。

天一国2年天暦11月24日
今日の訓読み言葉📘

  私たちが責任と使命を引き受けようとするならば、神様は私たちに何を強調されるでしょうか。神様が荒野でモーセの使命を引き継いだヨシュアに、「強く雄々しくあれ」と言われたのと同じように、私たちにも「強く雄々しくあれ」と強調なさるはずです。これから私たちは、世界的カナン福地を見つめ、そこに入っていくことを願いながら荒野にいるという事実を知り、ヨシュアとカレブのような心と体にならなければなりません。

    今日、世界的なキリスト教徒たちはどのように生きなければならないでしょうか。ヨシュアとカレブのような存在が現れて、この地上のキリスト教を導いていくことを天の前に訴えなければならないのです。中心を失い混沌と混乱を起こしているこの荒野時代で、これを収拾していく方向を提示できるヨシュアとカレブのような存在が現れなければならない時になったのです。このことを今日キリスト教徒たちははっきりと悟らなければなりません。

2015年1月13日火曜日

1月13日



おはようございます。
礼拝のときには、すべての食口のために祈祷します。食口たちの苦痛を感じるからです。そのようなときは、たった五分でも祈祷してあげなければなりません。

天一国2年天暦11月23日
今日の訓読み言葉📘

    サタンの戦法は、打って滅びる戦法である。自分の利益のために人を犠牲にし、成功しようとする戦法である。神の戦法は、自分を犠牲にして打たれて勝利しようとする戦法をとっている。これはまるっきり違うんだね。

 悪人は自分のために他を足で踏みつけて、自分が成功しようとするものである。善人は奉仕してみんなを良くしようとする。そうすると、自動的にみんなを引き連れて入る。中心人物として立たせられるようになる。ここには、戦わずしてすべてが占領される道が生じてくる。だから神は早く良くしてやろうという戦法で、負けたことはありません。

 過去の聖人たちは、打たれて歴史を経るにしたがってだんだん打った国の後孫が、打たれた者の僕になってしまうという結果になって、発展してきている。それが歴史の事実である。原則はこういうふうになっている。だから統一教会はこの戦法をとる。

2015年1月12日月曜日

1月12日

おはようございます。
他人が精誠を尽くした物は、精誠で受け取らなければなりません。

天一国2年天暦11月22日

今日の訓読のみ言 📘
 皆さんは霊界で先生と一緒に旅行したいですか? (はい) 。ではどうしたらそのようになれると思いますか。そのためには、皆さんは神様の心情圏と一つになった先生の心情と一致する基準を相続しなければなりません。この無限なる宇宙が神様の愛に完全に一致した時、一瞬で到達できるのです。それは何の力でかといいますと愛の力です。神様が宇宙を創造する時にすべて愛の力でもってやったからです。
   この愛の力で人類を越え、天宙を越えることができるのです。この本質の愛の世界を追究して行くのが統一教会の道であり、神様がこの終末に全世界の人々に与えてくださった最も重要なる贈り物なのです。皆さんはこのことを知らなければなりません。

2015年1月11日日曜日

1月11日

おはようございます。
祈祷するよりも為に生きる生活をする人がもっと多くの福を受けることができます。兄弟をつかんで涙を流すことが、何時間祈祷することよりもましなのです。

天一国2年天暦11月21日
今日の訓読み言葉📚

   家庭教会の完成とは何ですか。新たな文化創建を主導する、アダム文化を再編成することのできる主人になれとい
​​
うことです。そうしてこそ、アダムの後孫になるでしょう。それでは何が中心なのでしょうか。心情的基準が中心です。それではその心情とはどんな心情なのでしょうか。神様が皆さんを見つめるとき、心の中に「お前は堕落した。復帰された息子ではない」という、そのような堕落したという観念を感じないで、「我が愛する息子よ」と言うことのできる立場に上がらなければなりません。
「あの野郎、あの統一教会に入って、ろくでもなくあんな姿で歩き回り、あっちに行ったりこっちに行ったり、どじょうの子、うなぎの子のような姿で」などと言われてはなりません。

2015年1月10日土曜日

1月10日

おはようございます。
他人が精誠を尽くした物は、精誠で受け取らなければなりません。何であれ、受け取る人は、与えた人が精誠を尽くした以上の精誠を尽くして代価を支払った後に受け取らなければなりません。

天一国2年天暦11月20日
今日の訓読み言葉📘

   サタン圏とカイン圏というのは、アベル圏を全面的に死ぬまで打たなければ気が済まないのです。それでまた姿を現すのを願わないのです。それがサタンの心情です。それで先生は、そのようなどん底から、一言も言わずに、すべての迫害の道を甘んじて受け入れながら、それを消化して今日まできました。あらゆる迫害を真正面に受けて、それを克服し得る強靭な忍耐心と精神力をもって、ここまで闘ってきました。先生という男は、強靭な精神力をもっているのです。一度決心した場合、命を捧げても進んでいきます。先生は、体を見たらあなたたちと大差ありません。同じような人間です。しかしその思想、精神力、考え方が違うのです。一瞬のうちに決定した思想ばかりでなく、人類共通のものであり、それにプラスして神が摂理を兼ねて決定した、そのような考え方をもっているので強いのです。

 そのように考えると、滅びるのは自分一人ではありません。全人類の将来がなく、天宙復帰の理想が破壊されるし、神自体の存在を汚すような結果になるということをよく知っています。ですから、自分一身にいかなる迫害があったとしても、幾百万の迫害を加えられても、人類のために、あるいは神の名を汚さないように自分一身に背負って立つというのが先生の思想です。

2015年1月9日金曜日

1月9日



おはようございます。
「神様の愛を感じるようにしてくださいませ!」などとずうずうしく祈祷してはなりません。私はそのような祈祷はできません。良心に呵責を受けることがあれば祈祷ができません。

天一国2年天暦11月19日
今日の訓読み言葉📘

  今日私たちが新しいみ言を伝えるにおいて、み言一つだけを伝えてはなりません。まず人間的な面で手本となり、生活的な面で手本となり、行動的なすべての面で手本とならなければなりません。すなわち、その村で上下関係やすべてに、彼らの前に手本とならなければならないのです。どのような面でも、彼らより劣(おと)ってはならないのです。

 彼らが「あの人は我々の村に本当に必要な人だ」と言って、自分が離れようとするとき、すべての部落が一致団結してそのまま住んでくれることを願う基盤をつくらなければなりません。

 こういう立場で皆さんが、これから新しい時代を迎えて、いかなる姿勢を備えなければならないでしょうか。祖国の主権復帰のための信念が、何よりも高く胸の中に燃えなければなりません。密使は、いつも祖国のために生きる人です。

2015年1月8日木曜日

1月8日

おはようございます。
祈祷をするには、一日の日課を始める前にしなければなりません。一日において最も重要な時間がいつかというと、早朝です。


天一国2年天暦11月18日
今日の訓読み言葉📚

「私」という存在は、神様の愛の対象として
​​
造られました。絶対的神様の、主体的神様の対象の位置が正に私だというのです。神様の愛の相対だというのです。神様が自分自身よりもっと貴く思うものが、真の愛の概念です。神様は絶対的で永遠であられる生命の中心であり、その神様の理想はもっと永遠なものであって、その理想の中心が正に真の愛の理想です。その愛の相対が私です。そのような永遠な立場にどのように行きますか。「永遠のパートナーの立場がどれほど貴い立場ですか!」。それは主体と対象が一つになるのです。どの位置にでも同参でき、どこへ行こうがついて行くことができます。全財産をすべて相続することができます。

    神様の永生の位置、その心情までもすべて相続できるのです。
 神様の愛の心、神様の被造万物と共にあるその心、神様が皆の心にとどまりたいという心まで、すべて相続できるのです。ですからどれほど貴いでしょうか。その高貴な価値を発見したので、どれほどうれしいことでしょう。どんなものとも取り替えることができない崇高で高貴な位置です。驚くべき恩賜なのです。

2015年1月7日水曜日

1月7日

おはようございます。
自分が捨てられ追われるときには、祈祷しなくても滅びません。自分が迫害を受ける立場にあれば、神様は離れることができないのです。

天一国2年天暦11月17日
今日の訓読み言葉📘

  本当は、未来の実体の神様の現れを目標としてアダムを造った。だからアダムは実体をもった神様である。この世界を造った、創造したすべての、その主管というものは、完全に知らなければできない。完全主管をなすには、その創造したる神以外に完全主管はできない。完全に知らないというと完全主管はできないから、完全に知っている神以外にない。だから神以外は完全主管はできない。
  アダムは被造物である。被造物自体が創造の全般をつかさどって、それを完全主管するということは不可能である。だから、そのようなアダムを前に立たせて、そのアダムの中に神直接臨在して、アダムという肉体を、神の共鳴体と同じような立場に立たせて、神両接この大宙を主管しようとした。

2015年1月6日火曜日

1月6日

おはようございます。


最も威力があるのが祈祷です。それは不可能を可能にすることができるからです。

天一国2年天暦11月16日
今日の訓読み言葉📘

     平面において、お父様の前に息子を立たせて祝福した、すなわちお父様が天上世界、霊界の息子の所に行って祝福したのと同じ価値あるものとして、統一された祝福家庭として意味をもたせるために、お父様が息子に祝福の権限を相続してあげるのだということを知らなければなりません。

 父親が霊界に行けば、兄になります。また、息子は、弟になるのです。ですから天の父、父親の呼ぶ天の父も、息子の呼ぶ天の父も同じなのです。神様の前では、みな息子になるのです。ですから、同じ息子といっても、父親が先なので、横的な面においては兄の立場を代表するのです。
  ですから、御父母様が御父母様の立場を完成したということは、息子の立場の完成を、霊界でも地上でも同じ価値的内容を伝授し、一体化させるというようなことをするのです。御父母様が、霊界の長子である興進君を呼んで、このように祝福された家庭を立て、一緒に統一的宣言をすることによって、先生が祝福をしてあげるのではなく、今後は興進君が祝福をするのですが、興進君がいなければ、顕進君がお父様の代わりに祝福することのできる時代になるのです

2015年1月5日月曜日

1月5日

おはようございます。
   神様は、皆がいくら祈祷をしても、知っていることが知らないことにも及ばないときには教えてくれません。

天一国2年天暦11月15日
今日の訓読み言葉📘

  私は原理を探求していた時、苦悶しながら昼夜祈りました。その中心的祈りは「神よ、宇宙の出発点はなんですか。あなたの中心原理はなんですか」ということでした。
何年もの苦悶の祈りの中で、ついに「宇宙の中心的出発点は父子の関係である」と答えが与えられました。それは鍵であり基台なのです。私たちはこの父子関係の原理を実行することによって、平和な一つの統一された世界を築くことができるのです。

 両親が子供をみた時、下の子がお兄さんを両親よりも愛したからといって、両親は嫉妬するでしょうか。親は、子供たちが兄弟姉妹として愛しあう姿を見て喜び、そういう姿を見たいと思うのです。統一教会においても同じです。あなた方が真の兄弟姉妹として、天のお父様を愛する以上に互いに愛し合う姿を見て、お父様は喜びます。それはなんとすばらしい姿でしょう。真の息子・娘になる前に、まず兄弟姉妹として、両親を愛する以上に愛しあわなければなりません。それは両親に対する最高の贈り物です。そのような息子・娘になれば、両親に対して、より近くなります。このことが間違っていると思いますか。原理を知らない人であっても、「まちがっている」とは誰も言えません。これは常識なのです。

 統一教会は、一つの共通した法則があります。誰が本当の統一教会のメンバーであるかと言うと、それは私を愛する以上に、兄弟姉妹として助けあい、愛しあう人です。そういう人が本当の統一教会のメンバーです。それは私だけの考えではなく、国の大統領や会社の社長、また、もし世界の長というものがあるとすればその考えであり、神ご自身の考えなのです。一つの原理は、すべての違うレベルに働くのです。それは単純な法則です。

2015年1月4日日曜日

1月4日

おはようございます。
祈祷は何かといえば、「神よ、再創造のみ手をお収めにならないでくださいませ!」ということなのです。

天一国2年天暦11月14日
今日の訓読み言葉📘

『誰も書けなかった死後世界地図』より。「(霊界で)眠る目的は、やはり疲れた時の休息のためにあったようです。ただその後少しして、彼はもっと本質的な変化を迎えるための深い眠りに落ちることになりました。
『下層の霊界の霊体から抜けて上層の世界へ入ることは、しばしば死亡時に肉体から霊人が去る時に体験する眠りと似た深い眠りの間になされます。

私にそれが起こったのは、地球への訪問を終えて帰還した時です。奇妙な尋常ならざる感覚を伴う圧迫感を感じ、無気力になったのです。
『たそがれの国』の自分の小さな部屋に引きこもり、ソファーに身を投げ出したと思ったら、瞬く間に、夢も見ないで死んだように無意識の眠りに入りました。

この状態で、地上でいえば約2週間が過ぎ、その間に私は歪んだアストラル体を脱いで、ずっと純粋で明るい霊的殻をもった新生児みないになったのです。このようにして”第2の死”を通過して、私はより高級な自己へと復活を成し遂げたのでした』」

freedom
ここで言う「彼」とは、今から100年以上前に他界したイタリア人貴族、フランチェッツォという男性です。
彼は生前、キリスト教の信仰を持たず、神にも霊界にも無関心で生きて霊界に行きました。
彼が最初に入った霊層は、中間的な霊界の一つ「たそがれの国」でした。
ところがその後、さまざまな経緯から、奉仕団に入り、より下層の霊界を回りながらそこで苦しむ霊人たちを助けるという仕事をします。
引用部分は、その仕事から帰った後の出来事です。

これを読むと、霊界にも眠りがあることが分かります。それ以上に興味深いのは、ふだんの眠りとは質の違う、2週間の眠りを通して、彼が新しい霊的な体へと新生したという事実です。
この記述を読んで、霊界にも死と誕生が繰り返されるのだということが分かりました。しかもその様子は、まさに地上のサナギが蝶に変わる様と極めてよく似ています。

彼がこのように生まれ変わってみると、それまでの「たそがれの国」から、一段階上の「あかつきの国」にいたというのです。
このことから、霊界における新生とは、より高い霊層に上がっていくことだということが分かります。しかも、面白いことに、霊層が上がると、住む家も変わってくるようなのです。
例えてみれば、「たそがれの国」では借家の4畳半一間だった家が、「あかつきの国」に上がると3DKの持ち家に変わるといったふうです。

霊界は、心が外面にそのまま現れる世界。私がより善でより豊かな愛を持つようになると、住む霊層(場所)が変わる。さらに、住む家が変わる。金銭的な力で引っ越しが可能な地上世界とは、そこが本質的に違うようです。

2/3 ページ 「体のどこかが痛んだり、不調という時には、その不調なところに文句を言うのをやめ、
不調ではないところのすべてに

『ありがとう』
とお礼を言い、感謝をすることで、その1カ所が消えてしまうという宇宙の法則が存在します」
(小林正観「日々の暮らしを楽にする」)

2015年1月3日土曜日

1月3日



おはようございます。
祈祷とは縦的な絆を結ぶためのものであり、精誠は横的な絆を拡大するためのものです。天一国2年天暦11月13日
今日の訓読み言葉📘

先生の性格は、一度始めれば最後を見届けるまでやめません。死ぬ前には後退をしないのです。この「原理」がどうだということを私がはっきりよく知っていて、自信満々なので、食ってかかるのです。イエスだとか孔子とか、何を知っていますか。彼らは「ああ、私が学んだのはこのようなものでしたが……」と言うのです。彼らは自分たちが教えた教理にはないと否定的事実を質問するのです。また、「そうではない!」と言うのです。神様までも「レバレンド・ムーン、こいつめ。なぜこの天上世界に来て平穏な天の世界を混乱させるのだ、このどろぼうめが」と言うのです。皆「わっ!」と言いました。かといって私は後退しなかったのです。

 ですから、先生が霊界で闘う時、自信満々に「異端が何だ」と対抗して闘ったのです。今後は、霊界に大混乱が起きるので神様が審判長として判決を下さなければなりません。ところが、神様まで反対するのです。「文総裁はお前たちが言うように異端者だ!」と言うのです。なぜですか。アダムが天を裏切ったがゆえに、蕩減復帰の原則によって神様もアダム完成者を裏切らなければならないのです。それでこそ神様の心にわだかまった塀(へい)が崩れるのです。そして、全体がみな反対し、神様まであちら側に立っていて、ただ一人文総裁が残ったのです。

2015年1月2日金曜日

1月2日

おはようございます。
祈祷するとき、あるときは無限に恵み深いときがあります。すなわち、引き続き祈祷をしても、引き続き恵み深いときがあります。信仰生活をしていくと、間違いなくそのようなときがあります。

天一国2年天暦11月12日
今日の訓読み言葉📘

  皆さんが行くべき最後のゴルゴタの道とは、どこでしょうか。皆さんの職場でも家庭でもありません。皆さんは過ぎた歴史時代のその基準を中心として歩むべき運命にあるのです。しかし、皆さんは昔、祭祀を行った祭司長やイスラエルの一族と同じ立場で消え去ってはなりません。そのようになると、この世界を踏み越えることはできません。皆さんの視線を他の何に向けてもなりません。皆さんが生まれたのも、皆さんが生きていくのも、ただ最高のその一つの目的だけのためであることを知らなければなりません。

 敗北し、ふらつく人を見ると「ふらふらするようなら早く滅びろ」、「もし私がそんな立場に立てば、寝ないで相手を打ち負かすための準備をするだろう」と言うでしょう。皆さんは自ら自覚し、自ら衝動を起こし、自分を刺激して進むことのできる人にならなければなりません。
    皆さんは今どこにとどまっていますか。あなた方は統一教会にとどまろうとしてはなりません。そのような人は真の統一教会員ではありません。皆さんは、きょうはどこに行って何をするのかを考えなければなりません。
    先生がいつか「太平洋に壁を造って遮ろう」と話しました。そのような話をしたのもすべて一つの目的に対する一念から出てきた話であるということを皆さんは知らなければなりません。

2015年1月1日木曜日

1月1日

謹賀新年
明けましておめでとうございます。    昨年は色々とお世話になりました。
今年は、大きな区切りとなる年です。
①韓日国交正常化50年。
②戦後70年。
③大阪から東京へ主権が移って400年。
    そして天一国3年を迎えます。天の摂理を中心として御意にかなう一年となるようにお祈り致します。今年もよろしくお願いします。

天一国2年天暦11月11日
今日の訓読み言葉📘
 貴い一日一日を、私たちはどのように生きればよいのでしょうか。誰もが渡っていかなければならない死の境界を越える前に、必ず成し遂げておくべきことは何でしょうか。
 最も大切なことは、罪を犯さず、影のない人生を生きることです。何が罪なのかという問題は、宗教的に、また哲学的に多くの論争の種になりますが、はっきりしていることは良心が躊躇することをしてはならないという事実です。良心に引っ掛かることをすれば、必ず心に影が残るのです。
 自分の最も親しい先生は自分の良心です。最も親しい友人よりも貴く、父母よりも貴いものが自分の良心です。ですから、一生を生きていきながら、最も親しい先生であるこの「良心」に、「私は今、正しく生きているか?」といつも尋ねなければなりません。良心が自分の主人だという事実を悟り、心を磨き、生涯親しく過ごしてみれば、誰もが良心の声を聞くことができます。良心が涙をぽろぽろ流して泣く声を聞いたら、その時にしていることはすぐ止めなければなりません。良心を苦しめることは、自らを滅ぼすことだからです。良心を悲しませることは、結局、自らを悲しみに陥(おとしい)れることです。

2014年12月31日水曜日

12月31日

おはようございます。
今年最後の日を迎えました。
いろんな気持ちもありますが歴史になります。天の父母様と多くの人に感謝を送ります。

天一国2年天暦11月10日
今日の訓読み言葉📘

本当の孝子というものは何も語らず、黙々として自分の責任を全うし、そして父母の前では顔も上げられないという態度をとるものである
  ところが皆様方はあまりにもずうずうしい。自画自賛的な人がいるかと思えば、自己を宣伝するためにきゅうきゅうする人たちがいくらでもいる。困ったことだ。本当の孝子というものは何も語らず、黙々として自分の責任を全うし、そして父母の前では顔も上げられないという態度をとるものである。そうでなくては孝子となることはできない。もちろん、忠臣になれるものでもない。このようなことを真剣になって実行している統一教会を世間では異端といっている。
  しかし、このように批判し続けていって、結局は、何も言われなくなってくる時が来るであろう。その時は統一教会がぐーっと浮かび上がるのだ。        たとえ一日の生活にしても、いいかげんにしてはならない。一日の生活を貴重なるものと考えなくてはならないのである。一日、一日をまじめに生活しながら、一歩一歩を気高く踏んで進まなくてはならない。
  孝を全うするためには、不具になっても、そのような人は時が至れば、太陽のように輝くであろう。星のように明るい焦点となる時が来るであろう。このような栄光を得るためには何も言わずに、黙々として歩まなければならない。

2014年12月30日火曜日

12月30日

おはようございます。
 だれであれ、「神様、私が地獄に行ってお父様の苦痛を体恤できるようにしてくださいませ!」と言って心からわき上がる心情で祈祷する人がいるならば、その人は地獄へは行きません。

天一国2年天暦11月9日
今日の訓読み言葉📘

  貴い一日一日を、私たちはどのように生きればよいのでしょうか。誰もが渡っていかなければならない死の境界を越える前に、必ず成し遂げておくべきことは何でしょうか。
  最も大切なことは、罪を犯さず、影のない人生を生きることです。何が罪なのかという問題は、宗教的に、また哲学的に多くの論争の種になりますが、はっきりしていることは良心が躊躇することをしてはならないという事実です。良心に引っ掛かることをすれば、必ず心に影が残るのです。
  自分の最も親しい先生は自分の良心です。最も親しい友人よりも貴く、父母よりも貴いものが自分の良心です。ですから、一生を生きていきながら、最も親しい先生であるこの「良心」に、「私は今、正しく生きているか?」といつも尋ねなければなりません。良心が自分の主人だという事実を悟り、心を磨き、生涯親しく過ごしてみれば、誰もが良心の声を聞くことができます。良心が涙をぽろぽろ流して泣く声を聞いたら、その時にしていることはすぐ止めなければなりません。良心を苦しめることは、自らを滅ぼすことだからです。
良心を悲しませることは、結局、自らを悲しみに陥れることです。
良心の主体を神と呼ぶのである。