2018年12月5日水曜日

12月5日

今日の訓読み言

信仰の道は、そのつど、そのつどにおいて神によって得られ、刺激されるような道であるから、絶対的に自信をもつことはなかなかむずかしい。毎日消耗ばかりしている。まあ、根がないような立場に立っているということを、自分がつくづく感じるということがたくさんある。信仰生活する者のむなしさと言おうか、そういうのがあるんだよ。そういう時であればこそ祈りが必要になってくる。だからイエス様にしてもいつも祈ったのだろうね。

 静かなところへ行って、自分の行くへき目的に対し、あるいは毎日の出来事に関して霊界からの指示、どういう方向に進んだならば、どういう結果になるという予感的な基台に立ってこそ初めて強いんだよ。

 だから、信仰者の立っている基準からみた場合、どこから力を得られるかというと原理とか教えね。指導される関係から刺激を受けるとともに、それ以外には祈りの他はない。あんたたち祈りというものがわからないわけだろう。祈りの世界に入ってこそ初めて信仰生活の味を知る。祈りの世界の背後には神秘的な立体世界が続いている。平面的な自分の感覚を超越した、立体的な感覚の世界が存在するということをつくづく感じるんだね。だからそれを自分たちが育てていかなければならない。」  (一九七四・二・ )

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