今選んだ道が、たとえ困難な道だとしても、間違った道ではない。迷ったり、後戻りをしたり、避けたりすれば、栄養がいかなくなる。選んだ道は全て正しい。選んだ道は全て必要。選んだ道に感謝していくとき、根の栄養はスムーズに吸収され、木は大きく育っていく。そして、枝は生かされる。もし今、岐路にあるならば選んだ道を真っ直ぐに進もう。天一国3年天暦1月27日今日の訓読み言葉📚(P644) 皆様。生命より貴く、愛よりも重要なものが血統です。生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。この中で、生命がなくてもできず、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その結実が血統だということです。神様の血統の中には、真の愛の種が入っており、真の生命の体が生きています。 したがって、この血統と連結されれば、神様が理想とされた理想人間、すなわち人格完成も可能であり、理想家庭も生まれるのであり、さらには、神様の祖国である理想国家も出現するのです。平和理想世界王国は、このように絶対『性』の関係を通して創建されるのです。(今日の考え)①神様とはどのようなお方ですか?②血統とは何ですか?③血統と連結されれば何がなされますか?④今日の私のする事は何ですか?
人生七変化心が変われば 態度が変わる態度が変われば 行動が変わる行動が変われば 習慣が変わる習慣が変われば 人格が変わる人格が変われば 運命が変わる運命が変われば 人生が変わる天一国3年天暦1月26日今日の訓読み言葉
(天聖経6-4-4-23, 692p )先生は未来の世界に対して準備します。海に出掛ける好きで、そうしているわけではありません。海にいるのは大変です。最初は一週間行ってくれば、膝の裏がずきずき痛みます。しかし、心の中では、[すべきことが多いのだから、年のせいにせずに行かなければならない!]と考えました。ですから、休むことができません。10日ほどたつと、早朝に出て、夜の十二時に帰ってきてもびくともしなくなりました。しかし、一緒行った人たちは、[つかれた]といって釣竿をつかみながら眠るのです。それでも、司令官となり、命令を下す立場では、まず魚を釣らなければならないという思いをもたざるを得ないのです。するとあるときは、魚が来て食いつくのが感じなれるのです。精神は、そのように驚ものなのです。【今日の考えは】①神様とあえるのはどこですか?②お父様は司令官としてなにを大事にしてましたか?③お父様は釣りを通じて何を教えましたか?④私のするべき役割と仕事は何ですか? *祈りをする時◎神様に対して絶対、唯一、永遠、不変の存在、心情、愛、宇宙生成の根本の原因である統一存在として賛美することはありますか?◎TPに対しての祈りの賛美をどのようにしますか?
人間だけがあらゆる動物の中で特別なのは理由があるのです。神様の子供だからなのです。そして私たち人間のために神様は多くの自然環境や様々な動植物を準備して下さっていたのです。
天一国3年天暦1月25日
今日の訓読み言葉
生涯をかけて悔い改めるとしても、だれ一人として自分の負債を清算していないということを、皆さんに悟ってほしいと思います。悔い改めの道においては、日々が新しい出発です。それは正に皆さん自身の十字架の道であって、その道では皆さんは上昇するのみであって、決して下降することはないのです。
イエス様は何度も山に身を隠して、断食をし、涙ながらの祈祷をされました。イエス様でさえ、毎日が悔い改めの新しい日だったのです。それが、皆さんが成長し、決してつまずかないことを保証できる一つの確かな道なのです」
今日考える
①悔い改めは何を意味しますか?
②私にとって悔い改めはとは?
③悔い改めは自己否定なのか?
④今日の私のする事は何ですか?
今日1日があなたにとって素晴らしい日になれますように。
おはようございます。
□より大きな中心に相対的基準を立てることが公的問題である。
天一国2年天歴4月18日
今日のみ言葉
◇み意に立って、天の使命を受けて、もしも打たれて手が片輪になれば、これは幸福の象徴だ。
自分の体に忘れざる傷を残すのは、永遠の光の世界に於きましては、光のもとである。讃美のもとである。先生はそういうことを考えている。だから、あるいは牢屋に引き込まれて、打たれて、血を吐く立場におきましても、それを見て、ほい、いよいよ時が来よる。これをやり過ごしたら歴史を失ってしまう。善なる先祖達の功績がとんでしまう。民族的基盤が崩れてしまう。だからそういう緊張した立場に立っても、その環境はどうでも良い。
それが問題じゃない。自分自身に対して緊張せざるを得ない。そして、神の法に徹して行こう。そういう信念をもって、歴史上の人物以上の立場をもって行くならば、その後は勝利が決定する
おはようございます。
子供たちに絶対に必要なものは、個人的な関心です。子供が何人いたとしても、親は一人ひとりに対して、個人的な関心を持つことが大切です。子供は一人ひとり特別な存在なのです。十把一からげで子供を同じように見つめるだけでは、親の愛情が子供に届きません。
天一国3年1月23日
今日の訓練み言葉
私の心は体に、「真実なものを探せ」と命令しています。「まず真の体を探せ」と命令しているのです。それで今日、世界人類は何か知らないうちに真のものを探してさまよっているのです。堕落による怨恨の中にしみているこの世界に生きているゆえに、何か知らないうちに真のものを探さなければならない、こういう運勢に巻き込まれていっています。
これからあなた方は、探さなければならない本然の私について考えてみると、喜ぶことができない自分であることを知らなければなりません。悲しみに置かれている自分であることを知らなければならないのです。ある世界を見て悲しがるのではありません。苦痛を感じても、ある相対的な世界での苦痛だけを感じてはなりません。
【今日考える】
①自分の真なるものはなんですか?
②
探さなければならない本然の私とは何ですか?
③今日の私のするべき役割と仕事は何ですか?
④今日の私の予定は?
*関係結びどうするか?
①会う②訪問③電話④手紙⑤慰問・お見舞い⑥奉仕活動⑦お土産プレゼント
おはようございます。
一日の中で朝があり、昼があり、夕方があり、夜があり、一年に春夏秋冬があるのと同じように、私たちの心もそのようになっているからです。
天一国3年天暦1月22日
今日の訓読み言
「統一原理」を知っている人々は、どのような道を行くべきでしょうか。神様が願う道に従っていかなければなりません。天意の道に従っていくのです。天意とは何でしょうか。
個人が行くべき天意の道があり、家庭が行くべき天意の道があります。そして、社会、国家、世界、霊界が行くべき天意の道があります。霊界は、間違いなくあるのです。
【今日考える】
①神様とはどんな方ですか?
②天意とは何ですか?
③今日の私のするべき役割と仕事は何ですか?
④今日の私の予定は?
*関係結びどうするか?
①会う②訪問③電話④手紙⑤慰問・お見舞い⑥奉仕活動⑦お土産プレゼント
おはようございます。統一教会の家庭は、祈祷をするときも一人で祈祷してはいけません。祈祷の題目も夫婦が相談して定め、祈祷を捧げるのも夫婦が共に捧げなければなりません。エデンの園で、アダムとエバも一人で堕落しませんでした。天一国3年天暦1月21日今日訓読訓読み言
愛と喜びの相続のための神様の祝福(P672の19行~P673の5行)神様にとって、一番の栄光の新しい朝は、肉親をまとえるときです。そして、愛することのできる人(夫婦)をもつときであり
、その次には、孫を愛せるときです。息子、娘より、孫を愛せるときがさらに栄光のときです。ところで、神様がアダムを造ってどれほどうれしかったかということを、どのように教えてあげたのでしょうか。「いやあ!私はこんなにうれしかった」ということを教えてあげなければなりませんでした。それは、息子、娘を生むことによって教えてあげられるのです。人は幼いとき、父母の愛がどのようなものか分かりませんが、のちに家庭を築いて赤ん坊ができれば、父母の愛がどのようなものかを知るようになるのです。「私の父母が、私を育てるとき、このようにして愛してくれたのだな」ということが分かるようになっています。ですから、子女が配偶者を得る日は栄光の日であり、その息子が子女を目にする日が栄光の日でなのです。【今日考える内容】①神様を知る為にはどのようにしたら良いでしょうか?②神様が下さった教訓は何ですか?③今日の私のみ旨は何ですか?*優先順位を考える①会う②訪問③電話④手紙⑤慰問・お見舞い⑥奉仕活動⑦お土産・プレゼント
おはようございます。祈祷は、自分を対象の立場に立て、その対象に対する主体を立てるためにするのです。したがって、その主体の基準に合わせていくのが信仰の道です。天一国3年天暦1月20日今日の訓読み言葉
イサク時代にリベカを中心として見れば、世の中の誰も信じられないことをさせるのです。自分の夫をだまし、長子権を弟に奪ってあげるという母が世の中のどこにいるでしょうか? 摂理のみ旨が間違ったので、正すためには間違ったものを直さなければなりません。このように来たのが、反対にこのように上がらなければなりません。そのように上がろうとするので、反対的なことをさせざるを得ないのです。 エバが神様の長子アダムをだましました。それに、お父さん(神様)をだましたのです。そうして、長子権を失い、次子によって摂理していこうとするので、歴史的な恨みの峠があり、千年万年、未来に向かって嘆息の峠が待っているという事実を、神様は知っているのです。リベカはその内容を知りませんでしたが、指示に従って行動をするのに躊躇しませんでした。同様です。
おはようございます。私たちが願い、神様が願い、皆が願う神様に通じる道がこれしかないということを肝に銘じて最善を尽くす皆さんとなって下さるよう懇切にお願いします天一国3年天暦1月19日今日の訓読み言葉
私たちは計り知れない人生行路を歩んでいるので、時折どのようになるか分からない恐怖の内在した世界圏内で生きています。では、私たちの行く道の目的地とはどこでしょうか。その行く道はこうこうだと、解き明かすことのできない生涯路程を歩んでいます。むやみに引っ張られて進んでいます。しかし、時折岩にぶつかるとか、絶壁から落ちるとかということを知って越えていかなければなりません。皆さんがそういう立場に立つようになれば、どのような気持ちがするでしょうか。
おはようございます。私たちは真のお母様と一つになり、誰であれお母様が任命される方々と共に仕事をすることを選びます。真の父母様による任命は、亨進様の場合も含めて、真の父母様と一体化して、人間の責任分担を果たすことが要求されるということにおいて全て条件的です天一国3年天暦1月18日今日の訓読み言葉📚神は今、若者たちに請(こ)い、要求している。こういう複雑なるこの現世において我々を立たして、ある目的を果たそうとする、我々は行かなければならぬ立場である。そうすれば、君たち一個人として考えればこれ は非常な問題である。しかし、一個人の抱くその正義に訴える心、向義心に立つその心というものは、これ は歴史を動かしてきたし、その決心の基準において、そうしてその目的に対して、いかなる障害にぶち当ってもそれをおさえなければならないというその実践をもって勝利した場合には、世界はその人に従わなければならないのである。歴史はその人を崇拝しなければならないのである。ゆえにそういう歴史的な動きが現 代世界の動きであるから今までの神の戦法として、戦わせるには、生命をも投げ捨てて自分の一番尊いもの、自分に一つしかない最高のものを最先端に立たして戦わせる。
おはようございます。中の沈黙に耳を傾ける経験を通して、私たちは神様のみ言を聞くのです。私たちは、神様の広大さを感じ取り、人類のすべての場面に対される、神様の無限の愛を感じ取るのです。お互いが自分のためばかりに生きる利己的な姿を御覧になり、泣いていらっしゃる神様の声を聞くのです。神様は、私たちの沈黙にお答えになります。(文亨進『天和堂』p.37)天一国3年天暦1月17日今日の訓読み言葉
皆さんになぜ「訓読会をしなさい」と言うのでしょうか。このみ言を伝えながら、「死」を考えていたのです。「私が死ぬ前にみ言を残さなければならない。み旨を成し遂げることができなければ、み言だけでも残してから死ななければならない」と考えながら、深刻な立場でみ言を語ったのです。その時、霊界ではどれほど深刻に見つめていたでしょうか。ですから、皆さんが訓読会をすれば、皆さんに代わってその霊界が、先生がみ旨を成し遂げていくように、協助できる再創造の恩賜圏内に追い込む、ということを知らなければなりません。 これは、人類を救い、神様の摂理を完成するためです。この時の訓読会を通して、霊界が皆さんに連結されるのです。お父様を協助していた霊界が、皆さんにも連結されて協助するというのです。(293―105・106、1998・5・24)
おはようございます。 良心を神様のように絶対視して生きるならば、間違いなく天国に行きます。そうすれば宗教は必要ありません。祈祷も必要ありません。完全な解放です。天一国3年天暦1月16日 今日の訓読のみ言
今日、私たちは、歴史上に来て逝かれたイエス様を知り、信じていますが、その当時イスラエル民族に追い回された悲惨なるイエス様、この村で追われればあの村へ、この都で追われればあの都へと彷徨(ほうこう)したイエス様の心情を知って、信じる者はいませんでした。天の心情を身代わりして現れたイエス様の姿を知る者は、歴史上で見いだすことができませんでした。 メシヤを待ち望んだイスラエル民族が、メシヤを迎える望みを抱き、数千年間耐えながら闘ってきて、メシヤはいつこられるのかと言いながら待ち望んできましたが、いざその望みの的が現れた時には、自分たちの事情と自分たちの置かれた環境に偏ったあまり、天の心情を知らないまま深い眠りに陥っていたことを、私たちは思い起こさずにはおれません。このように嘆かわしい歴史があったことを思い起こし、きょう私たちに、お父様の心の中に染み渡っている恨みを解いてさしあげるべき責任があるとするなら、来られたイエス様を見間違えたイスラエルの罪状を、私たちが身代わりして担当し、解いてさしあげられるようにしてください。イエスを悲しませたイスラエルの失敗に責任を持ち、身代わりして悔い改めることのできる私たちとなるよう許諾してください。
おはようございます。神様は、皆さんがいくら祈祷をしても、知っていることが知らないことにも及ばないときには教えてくれません。天一国3年天暦1月15日今日の訓読み言葉
皆さんになぜ「訓読会をしなさい」と言うのでしょうか。このみ言を伝えながら、「死」を考えていたのです。「私が死ぬ前にみ言を残さなければならない。み旨を成し遂げることができなければ、み言だけでも残してから死ななければならない」と考えながら、深刻な立場でみ言を語ったのです。その時、霊界ではどれほど深刻に見つめていたでしょうか。ですから、皆さんが訓読会をすれば、皆さんに代わってその霊界が、先生がみ旨を成し遂げていくように、協助できる再創造の恩賜圏内に追い込む、ということを知らなければなりません。 これは、人類を救い、神様の摂理を完成するためです。この時の訓読会を通して、霊界が皆さんに連結されるのです。お父様を協助していた霊界が、皆さんにも連結されて協助するというのです。(293―105・106、1998・5・24)
女性が動機になって来たのではなく、男性のために来たのではありません。先生が動機になって来たので、先生の言うとおりに従わなければなりません。天一国3年天暦1月14日今日の訓読み言葉
私たちは祝福を通して、堕落と逆の経路をたどることにより復帰されるのです。先生はこの秘密を解明することによって、サタンの妨害を退けて堕落人間が神に帰る復帰の道を開拓したのです。こうしたすべての路程を開拓するためには、誰かが、人一倍苦労して、道を切り開かなければなりませんでした。
先生はこの道を開拓して、復帰の公式を確立したのです。あとに続くあなた方はこの公式をよく理解して、それを応用して歩みさえすればいいのです。だから、復帰されるためには何が必要かというと、子女が必要なのです。サタン世界から最初に復帰されるときは一人ですが、完全に復帰された段階に到達する為には、子女をもたなければなりません。
おはようございます。
おめでとうございます。
相手のしてくれたことがうれしかったり、ありがたいという気持ちになったりした時は、心の中にしまっておかず、それをきちんと伝えましょう。
人というものは、感謝されると幸せな気分になって、感謝してくれた人を好きになるものです。
天一国3年天暦1月13日
今日の訓読み言葉📚
原理に関するあらゆる事柄は、二つのキーワードに集約されます。つまり犠牲と奉仕です。他人に対する犠牲と奉仕の生活をしなかったからといって、ある人を有罪とする判決を支持する判事が、今日の人間の裁判所にいるでしょうか。どんな法律によって、犠牲と奉仕の行為に対する判定を下すのでしょうか。確かにそのような行為は国家の法律には扱われていませんが、それは公的な承認によって支持されるものです。もし、ある人が自分の国家に対して犠牲的な奉仕を行ったとすれば、その国は彼にメダルを授与し、国家的な拍手喝采を浴びせて褒めたたえます。
これに対して、「奉仕に関する宇宙的な法は自分には似つかわしくない」と不平を言い、「どうして自分には表彰状がもらえず、また自分の生活を楽しむことができないのか教えてくれ」と言う人がいるかもしれません。
そのような利己的な貪欲な人々をたたえる社会は長続きするでしょうか。
もし、そのような生き方が繁栄するとすれば、どのような統一も調和もあり得ないでしょう。
心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ二二・37)とありますが、それは縦的な愛です。それが第一の戒めなのです。二つ目は何でしょうか。「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ二二・39)というのです。天一国3年天暦1月12日今日の訓読み言葉
原理に関するあらゆる事柄は、二つのキーワードに集約されます。つまり犠牲と奉仕です。他人に対する犠牲と奉仕の生活をしなかったからといって、ある人を有罪とする判決を支持する判事が、今日の人間の裁判所にいるでしょうか。どんな法律によって、犠牲と奉仕の行為に対する判定を下すのでしょうか。 確かにそのような行為は国家の法律には扱われていませんが、それは公的な承認によって支持されるものです。もし、ある人が自分の国家に対して犠牲的な奉仕を行ったとすれば、その国は彼にメダルを授与し、国家的な拍手喝采を浴びせて褒めたたえます。
今日から新しい月になりました。新たな決意を持って出発しましょう。祈祷とは縦的な絆を結ぶためのものであり、精誠は横的な絆を拡大するためのものです。天一国3年天暦2月11日今日の訓読み言葉
善なる人と悪なる人の例を挙げてみましょう。ここに十人の友人をもっている一人の人がいるとします。来る日も来る日も、この人は、その十人の友人たちに自分を忘れて仕えています。人々は、その人を愛さずにはいられません。そのようにして、彼はその十人の人々にとって最良の友となり得るのです。そうして、彼の影響は、その十人の人々の親戚や友人へとさらに広がっていくでありましょう。自分を超えて与え、仕えることによって、この人は栄えるようになるのです。彼は、神の原理に基づいて生活しているので、彼は調和と統一の中心となるのです。自分を超えた無私の精神は繁栄をもたらすのです。このような人が善なる人であります。