2015年3月6日金曜日

3月6日

おはようございます。
 良心を神様のように絶対視して生きるならば、間違いなく天国に行きます。そうすれば宗教は必要ありません。祈祷も必要ありません。完全な解放です。

天一国3年天暦1月16日
 今日の訓読のみ言 📚

  今日、私たちは、歴史上に来て逝かれたイエス様を知り、信じていますが、その当時イスラエル民族に追い回された悲惨なるイエス様、この村で追われればあの村へ、この都で追われればあの都へと彷徨(ほうこう)したイエス様の心情を知って、信じる者はいませんでした。天の心情を身代わりして現れたイエス様の姿を知る者は、歴史上で見いだすことができませんでした。

  メシヤを待ち望んだイスラエル民族が、メシヤを迎える望みを抱き、数千年間耐えながら闘ってきて、メシヤはいつこられるのかと言いながら待ち望んできましたが、いざその望みの的が現れた時には、自分たちの事情と自分たちの置かれた環境に偏ったあまり、天の心情を知らないまま深い眠りに陥っていたことを、私たちは思い起こさずにはおれません。このように嘆かわしい歴史があったことを思い起こし、きょう私たちに、お父様の心の中に染み渡っている恨みを解いてさしあげるべき責任があるとするなら、来られたイエス様を見間違えたイスラエルの罪状を、私たちが身代わりして担当し、解いてさしあげられるようにしてください。イエスを悲しませたイスラエルの失敗に責任を持ち、身代わりして悔い改めることのできる私たちとなるよう許諾してください。

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