6月27日
先生が黒石洞の学生時代に、昼食を食べずに暮らしました。ご飯がなくてそうなのではありません。腹のすいていた父母の歴史があれば、腹のすいていた父母の事情を知らなければなりません。腹のすいた立場で、その父母に孝行することができなかった自身をとがめ、腹のすいていたその時代に孝子になることができる自らを準備しなければならないのです。空腹でなければ、神様がわからないのです。私はそのように考えたのです。腹のすいた時間が一番神様に近いのです。そのような時は、過ぎ行く人があれば、もしやあの人が私のお母さんではないだろうか、あの人がお姉さんではないだろうか、そのように考えられるのです。私を助けてくれる人ではないだろうか。そのように考えられるのです。そのようになれば、千万人を慰め、千万人を迎えてあげる心ができる心が生じるのです。天一国3年天暦5月12日今日の訓読み言葉♻️(天聖経343 p 8)人間は、神様が願う愛の道を探していかなければなりません。悪魔が願う堕落の道を否定し、神様が願う愛の道を探して行ってこそ悪魔が分立されます。知識あるといって、教理をもっと知っているといって、能力があらからといって、知恵があらからといって分立されるのではありません。愛がなければなりません。キリスト教が今まで残っているのは、犠牲になってきたからです。血を流してきたので残ることができたのです。[今日考える]①神様が願う愛の道はどういうものですか。②神様が残したい血統はどのようなものですか。笑顔で感謝、疎通と共有。今日も絶対いいことあるよ❗️浄化精誠を持ってまず自分の治療、治癒の精誠が出来ますように。
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