3月25日
「メシヤ(救い主)のわたしでさえ、人々に仕えられるためではなく、みんなに仕えるためにこの世に来たのです。 そればかりか、多くの人の罪の代償として自分のいのちを与えるために来たのです。 だからあなたがたも、わたしを見ならいなさい。」
(マタイによる福音書 20:28)
天一国四年天暦2月17日
今日の訓読み言天聖経(127p12)
恨が宿った六千年の歴史過程は、どのように続いてきたのでしょうか。神様とサタンと人間を中心として、ある条件を立ててくるものなのですが、これがすなわち祭物の峠です。六千年の摂理歴史を回顧してみるとき、旧約時代までは万物を通して祭物の峠を越え、新約時代にはイエス・キリストの実体を通して祭物の峠を越えました。それでは、成約時代には何を基準として祭物の峠を越えるようになるのでしょうか。聖徒たち、すなわち皆さん自身を通して越えるようになります。このように、全体的な摂理歴史は祭物を中心として成されますが、旧約時代までは万物を通して祭物の峠を越えなければならず、新約時代はイエス・キリスト、すなわち神様の息子を中心として祭物の峠を越えなければなりませんでした。しかし、成約時代である今は、新郎新婦の名前を身代わりする皆さん自身を条件として、祭物の峠を越えなければなりません。皆さんがそのような祭物の峠を越えるまでは、この地上に真の平和と自由と理想の世界は成就されないのです。
◯み旨の道
み旨の前で躊躇するとサタンが侵入する。み旨を知って躊躇する者となってはいけない。
◯疎通と共有、笑顔で感謝
今日も、絶対いいことあるよ!
HOK100v10プロジェクト
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