信仰生活するにおいては、漠然と精誠を尽くす祈祷よりも、実践をしながら精誠を尽くすことが必要です。神秘的な体験をしたとしても、その体験だけではだめだというのです。それはあくその個人的な体験だけを中心としては、全体と関係を結ぶことはできないのです。そのような人々は、いくら祈祷して精誠を尽くしても、新しい味がしないのです。ですから、新しい方向を模索していかなければならないのです。
までも個人的なものですが、天一国3年天暦8月28日
今日の訓読み言葉
(天聖経1278p 15)
祖国とは父母の国です。私たちの先祖の国です。始祖の国です。その始祖の時から愛してきた国だというのです。その愛は不変なので、その国が変わってはならないのです。歴史時代に国を中心として、祖国だと主張したすべての人々の伝統的な背後を見るとき、このような父母の愛する祖国を失わなかった民族はありません。常に失ってきたのです。
[今日考える]
◯神様の祖国をどのような国だと思いますか。
この世の人間の姿ではなかった。
神様が人の形となり
人間を救うため生まれた
メシヤだった
◯笑顔で感謝!
今日も絶対いいことあるよ!
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