祈祷は、神様と対話をすることです。ですから、特別な場所に座って祈祷するよりも、日常の生活の中で、天とともに同化することができる時間をもたなければなりません。
このように見るならば、言葉でする祈祷よりは、歌でする祈祷のほうが感動的です。そのような祈祷を通して、自分自身が神秘境に引き込まれていくのを体験することができます。(二七〇-一七、一九九五・五・三)
そのような時間が祈祷の時間となりうるのです。天一国3年天暦9月12日
今日の訓読み言
(天聖經82p15)
父母は愛する子女に対して、全体を投入しようとします。神様と同じです。神様は、神様のために投入したのではありません。神様のために存在するのではなく、相対のために存在しようという、相対のための神様の位置に立とうというのです。神様が神様のために存在しようといえば、それは真の愛ではありません。自分をすべて子女に投入して、その子女と共にいようとするところにおいて、愛と生命と希望が成り立ちます。結局、真の愛と真の生命と真の希望をもったそのお方が最初に人間に与えたいと思うのは、真の愛と真の生命と真の希望です。それを与えるときに、自分の立場で与えたのではなく、相手の立場に立って与えたというのです。
[今日考える]
私は神様の真の希望になっているか?
◯笑顔で感謝
今日も絶対いいことあるよ!
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