10月17日
神様の怨恨とは何でしょうか。民族を抱えて泣かれ、
地に対して泣かれましたが、神様が願われる勝利した息子を抱いて喜びの涙を流せないことが天の怨恨だというのです。すなわち、天から「あなたは勝利した息子だ」と認められる人がいないことが、天の怨恨であり悲しみです。それだけではなく、失った息子、娘を復帰するために、そのようにさまよわれた神様を抱いて泣いた人が一人もいなかったというのです。*
天一国3年天暦9月5日
今日の訓読み言葉
(天聖経80p7)
「神様が主人だ。天地を創造した創造主だ」というとき、その創造主という言葉は、根源を意味する言葉であり、主体を意味する言葉です。創造物は対象だということです。画家で言えば、自分の傑作を作ろうと構想したとすれば、その構想どおりにそのまま展開させて気に入ったものができなければなりません。気に入るということは、目で気に入り、鼻で気に入り、耳で気に入り、口で気に入り、無数にある自分の細胞まですべて和合して気に入る、ということです。それは全身が気に入った存在なので、自分の体を身代わりにしたものです。そのように見れば、心と体は本来一つになるようになっています。私たちの霊人体は霊的な五官をもっていて、肉体も肉的な五官をもっていますが、これが互いに和合して、理想的な和動が広がらなければなりません。それは食べることで広がるのではありません。体と心の和動は真の愛によって始まるのです。
[今日考える]
創造主という内的な意味を考えて、神の偉大さを考えて見てください。
◯今まで神
様は、天国の民をおもちになることができませんでした。ですから、今、その本然の民を救っているところなのです。完成した民をもつことができなかったのです。
◯笑顔で感謝
今日も絶対いいことあるよ!
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