11月21日
信仰生活は体恤です。体恤しなければ分からないのです。体恤しなければなりません。体験ではなく体恤なのです。その体恤というものは何でしょうか。天が悲しむときに自分がその悲しみを知らなければなりません。その悲しみが感じられてくるというのです。それが体恤です。体恤するようになれば祈祷が必要ありません。
天一国3年天暦10月10日
今日の訓読み言
(天聖經90p11)
アダムとエバを中心として霊肉両面の世界を、すなわち無形実体世界と有形実体世界を主管することが神様の人間創造の目的です。したがって、一つの人格的な神様として現れることを示すために、神様はアダムとエバという実体と関係を結ばなければなりません。アダムとエバの完成とともに神様の形状完成、すなわち形が完成するのです。神様はアダムとエバを造られる時、その形態、人相、人格などが、無形世界の中心にいる神様のような姿にならなければならないという考えをもっていらっしゃいました。形がなければ形の世界を主管することはできないのです。
[今日考える]
◯人間を神様の同じ姿で創造して理由は?
◯み旨のために傷つけば、それは後日まで自分
にとって教育となり、後孫にも立派な教育と
なる。
◯笑顔で感謝、今日も絶対いいことあるよ!
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