み旨の道を歩むとき、愛を骨として行く人は天地が保護することでしょう。一人でどこかにいるからといって落胆してはなりません。監獄にいるからといって敗者ではありません。私が監獄に入ったからといって、「お父様、あなたの愛する息子が監獄に入ったので、恨みを晴らしてください」とは言いませんでした。
天一国3年天暦9月25日
今日の訓読み言
(天聖經86p28)
内的な性相は、あらゆる根源的な面において外的な形状と一致することもでき、通じることもできる関係があります。ですから、人が生まれて育つその過程は、見えない無形の神様が実体を見るためのものだったのです。ですから、自分の内的なあらゆる存在が表現されるので、愛さざるを得ないというのです。それが「私」です。「私」が現れた実体です。無形の実体が有形の実体として展開される以上、そこにすべてを投入しなければなりません。
[今日考える]
神様が人間にすべて投入した理由はなんですか?
◯み旨は我々のすべての幸福の要素であり、我々の誇りであり、我々の権威であり、我々の知識ともなる。人は生まれてそのまま死んでいけるけれども、み旨は、そのままで消え去ることはできない。必ず身を結び、結末をつけなければならない。
◯笑顔で感謝
今日も絶対いいことあるよ!
0 件のコメント:
コメントを投稿