2015年11月5日木曜日

11月5日

今日私​​たちにとって恨めしいこととは何ですか。イエス様のみ言にしがみついて泣き叫んで生きていかなければならない立場にあるということです。皆さんが祈祷するとき、イエス様の名によって祈祷するでしょう?そのように、イエス様という名詞に縛られて生きるという事実は哀れなことなのです。それゆえ、私たちにとっての希望は何かというと、イエス様の理念をもって祈祷することではなく、イエス様の実体を探さなければならないということです。

天一国3年天暦9月24日
今日の訓読み言
(天聖經86p27)
   神様が創造主として、歴史的で内情的な原則を中心として、存在の起源から今まで成長した過程を、実体的に展開してきたのがアダムとエバの創造過程です。それでは、どこから連結されるのでしょうか。細胞が一つになって大きくなるのと同様に、赤ん坊が十カ月間の成長過程を経て、男性と女性の形態に分かれていくのと同じではないかというのです。そうでなければ、生命の遺伝をどのように展開させるのかという論理に対して、解釈する方法がありません。言い換えれば、主体には相対圏が必要だということです。統一教会の言葉で言えば、性相には形状が必要だということなのです。
[今日考える]
主体の前に相対が必要ですがその理由を話してください。
◯私に押し迫るすべての苦難と試練は、それを通じて神様の過去の日々を正しく体恤させるためである。ゆえに苦難が押し迫るときには喜んで感謝しなければならない。それはすなわち、神様が私を愛してくださっている証拠である。

・愛し、
・赦し、
・感謝して、
・ひとつになる。
疎通と共有、笑顔で感謝
今日も、絶対いいことあるよ!

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