2015年8月25日火曜日

8月25日

 自分が捨てられ追われるときには、祈祷しなくても滅びません。自分が迫害を受ける立場にあれば、神様は離れることができないのです。しかし、栄光が訪ねてくるようになるとき、より大きなもののための環境と基盤を築くことができなくなれば、その栄光は自分にやって来ても他の人に移っていかざるをえません。自分を通り過ぎてしまうというのです。このようにやるせなく恐ろしいことが私たちの信仰路程にあるので、精誠を尽くすことにおいて
​​
は限りがありません。

天一国3年天暦7月12日
今日の訓読み言葉
(天聖経1328p 13)
侍義時代とはなんでしょうか。神様に侍って暮らす時代です。聖書における第一の戒めも、「神様を愛しなさい」というみ言ではないでしょうか。
後天時代には、神様御自身が真の父母の姿で万民の前に顕現されます。したがって、真の父母に侍る統一教会の立場は、世の中のいかなる力や勢力とも比較できない天の権勢として現れるのです。
[今日考える]
◯侍義時代とはどのようなときでしょうか?
◯後天時代はどんなときでしょうか?

「人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない」マタイ12・31-32)
今こそ、真のお母様と一つになる時です。
聖和3周年まで、あと4日間、そのことをしっかりと認識して生活していきたいと思います。

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