本然の地とはどのような所なのでしょうか。悪がとどまる所ではなく、悪から完全に切り離され、あふれ永遠の統一世界なのです。ところがそのような所で生活した人がいたでしょうか。一人もいませんでした。歴史上で数多くの人々がそのような世界を追求しましたが、その世界はこの地上に立てられませんでした。その世界がどのような世界であるのかを話した人はたくさんいましたが、自ら実践してその世界を築いた人はいませんでした。
る本然の愛を中心として永遠無窮に幸福を謳歌して生きる、
天一国3年天暦7月14日
今日の訓読み言葉
(天聖経839 p 7)
なぜ絶対信仰が必要ですか。神様も最高の理想的基準の位置まで行かなければなりません。ですから、その基準を中心として愛の相対圏が出てきます。相対圏自体も、微々たる運動や鉱物世界を絶対信仰で造ったのです。絶対愛を中心として投入したというのです。絶対投入して、鉱物時代、植物時代、動物時代、そして次に安着時代に移っていくのです。心と体が争っては絶対にいけないという結論の立場に立たなければ、天国化された世界や天国になることはできないのです。
[今日考える]
神様の絶対愛に対して話してください。
絶対投入はどのような姿ですか。
◯一生、苦労して
勝利の栄光の日を迎えようとしたにもかかわらず、
私達が勝利して侍れないために、
その日を迎えられない。
涙を子に見せまいとする姿──
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