私たち自らがこのような境目を越えるにおいて、 いかなる同伴者とも一緒に行くことはできません。もちろん、 私たちの回りには、協助をしてもらえる家庭とか、 国家のような環境的な因縁圏があります。しかしながら、 私自身が主体的に因縁を結ぶために自らきっかけをつくっていかな ければ、その環境と関係を結ぶことはできません。
天一国3年天暦6月20日
今日の訓読み言葉
(自叙伝 P114の12〜P115の3)
私は監獄にいても、人々と時間を見つけては会話を楽しみました。 私の周りはいつも話を聞きに集まった人たちでいっぱいでした。 おなかが空き、寒さに震える獄中生活であっても、 通じる人たちとの交流は温かいものでした。興南で結んだ縁で、 私は十二人の同志であると同時に生涯を共にする人を得ました。 その中には以北五道連合会の会長だった有名な牧師もいました。 彼らは、命の危険と隣り合わせの環境にあって、 血肉よりもっと濃い絆で結ばれた私の骨と肉のような存在でした。 彼らがいたので獄中生活は空しくありませんでした。 明け方になると、私は彼らの名前を一人一人呼んで真心を捧げ、 平壌にいる教会信徒のためにも毎日三回以上名前を挙げてお祈りし ました。 彼らがズボンの胴回りに隠して私に取っておいてくれたはったい粉 一握りを、 数千倍にして返してあげなければならないと思いました。
[今日考える]
◯お父様の監獄生活に対して考える。
◎植えるに時があり
刈り入れるに時がある…
子育ても?!
疎通と共有、笑顔で感謝
今日も絶対いいことあるよ❗️
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