体恤信仰においていちばん重要なことは何でしょうか。それは主体と対象の関係です。神様はいつも主体であると思い、「私を愛される神様なので、私のことを傍観することはできない。私と共にあられる」ということを感じなければなりません。そのように、祈祷に先立って感謝することのできる生活をするようになるとき、神様が共にあられるのです。最初はそれが分かりませんが、ある段階に入ると感じるようになるのです。
天一国3年天暦10月29日
今日の訓読み言
(真の父母經1361p16)
私は最近、み言を訓読しながら、感動するときがたくさんあります。誰かの話を聞くよりも感動するときが多くあります。私が語った内容すべて知っているのに、涙を流すまいとしても涙が出てくるというんです。鼻を塞ぎ、涙をこらえようとすれば、目が泣き、目を塞げば心が泣き、心を塞げば全身が泣きます。口を塞げば心に血が流れ、心を塞げば四肢が感動するというのです。
そのときは、私が泣きながら話をしましたが、今は笑顔で話をすることができます。そのような悲壮な峠を往来したのです。その幅がどれほど広いかと、感動したというのです。
[今日考える]
◯あなたは訓読会にどのような証をもってますか?
◯神様と私は好き嫌いが同じである。ゆえに人に良くすること、それがすなわち神様に良くすることである。それが善である。(み旨の道)
◯笑顔で感謝、今日も絶対いいことあるよ!
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