祈祷は、自分を対象の立場に立て、その対象に対する主体を立てるためにするのです。したがって、その主体の基準に合わせていくのが信仰の道です。
天一国3年天暦11月20日
今日の訓読み言
(天聖經100 p5)
今まで人間は、神様が栄光の中で、苦難や苦痛がない中でいらっしゃるお方だとばかり思っていました。数多くの宗教も、今まで歴史過程でそのように考え、信仰生活をしてきました。本当の意味で神様は、御自身の家庭、御自身の子女、御自身の財産、御自身の国と世界を失った立場にいらっしゃいます。
そのような立場にいらっしゃるお方が私たちの父です。その父に出会えば、自らのすべての恨が解怨され、今まで待ち望んできたすべてが解決されると思っていました。ところが今日、この道を求めてきて父母と対面してみると、その父母がもっている財産はもちろんのこと、世界と父母のあらゆるものが怨讐の手の中に置かれているというのです。
◯我々は、行くべき道を残しておいて、今日に満足する者とならずに、この世の未練を断ち切ることのできる、より大きいみ旨をもって新しい歴史を開拓していこう。
◯笑顔で感謝、今日も絶対いいことあるよ!
0 件のコメント:
コメントを投稿