たくさんの祈祷生活をして霊的に高い見識を備えて生きる人に、我知らず悲しみが訪れてくるときがあります。それを分析してみると、そのとき神様が悲しい立場におられるということが分かります。そして、我知らず心にあふれるほどの喜びを感じることあるのですが、そのようなときは神様がうれしい立場におられるということが分かるのです。
天一国3年天暦11月10日
今日の訓読み言
(真の父母經176p7)
昔は、ことばを早く話さず、ゆっくりと話しました。日本に来て日本語を学びながら、一分間で誰がより多く話せるか日本人と競争したりしました。彼らに負ければ眠れませんでした。三十分ほど話をするのに、ゆっくり話せば千語しか話せないことを、ある時は倍以上早く話し、二千語以上話しました。ですから、訓練が必要です。
[今日考える]
何事も訓練が必要だということにどう考えるでしょうか?
◯神様のみ旨のために苦労をしながら死ぬ時には、生きている間になせなかったみ旨を後孫を通して果たしてください、という祈りをもって死んでいくことによって、初めて再臨して協助することができる。
◯笑顔で感謝、今日も絶対いいことあるよ!
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