2016年2月14日日曜日

2月14日

大部分の人々は、神様が血を流しても流さなくても、汗を流しても流さなくても、かわいそうな場におられてもおられなくても、自分だけを平安にしてくださいと祈祷します。先生は、そのような祈祷をしません。また、「お父様、この体が死ぬほどの罪を犯しました。私の罪を赦してください!」という祈祷もしないのです。
天一国四年天暦1月7日
今日の訓読み言
天聖經(114p51)
人間が罪を犯したからといって、「おい、お前、なぜ罪を犯したのか」とおっしゃるばかりの神様ではありません。罪を犯した事情をよく御存じの神様です。御自身の事情は考えずに、人間の事情を知ろうとされる神様です。神様は悲しい者には悲しい事情をもって訪ねてこられ、苦痛を受けている者には苦痛の事情をもって訪ねてこられ、悔しくやるせない者には悔しくやるせない事情をもって訪ねてこられました。皆さんは、神様とどれだけ事情を通じたことがありますか。神様は私たちの生活環境の中にも、そのように訪ねてこられました。それだけではなく、心情をもって訪ねてこられました。「お前が私を裏切っても、私はお前の父親だ」という心があるので、六千年という長い歳月を訪ねてこられたのです。
◯み旨の道
個人の使命が自分で終わってはならない。神様の全体目的と一致しなければならない。
◯笑顔で感謝、
今日も絶対いいことあるよ!

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