2016年2月1日月曜日

2月1日

 体恤的な信仰、これはお金をもってしてもだめであり、努力をもってしてもだめです。精誠​​を尽くして祈祷しなければなりません。コップ一杯の水をもって千年の歴史をたどっていったとしても、一滴の水もこぼさないという信念を抱かなければなりません。

天一国3年天暦12月23日
今日の訓読み言
天聖經(110p38)
   原罪を取り除くための闘いは、アダム家庭から始まりました。アダム家庭の二人の息子であるカインとアベルを分立したところから、摂理歴史が始まったのです。神様はアベルを愛し、アベルに供え物を捧げるようにしました。供え物を捧げるときは、誰よりも神様のみ言を絶対視しなければなりません。サタンが反対しても、それを克服して越えなければなりません。アベルは精誠の限りを尽くして環境上の困難を克服し、み旨にかなうように供え物を捧げました。供え物を捧げるアベルは、堕落したアダムよりも神様のみ言に絶対順応しなければなりません。アベルはサタンとは永遠に関係がない、神様と永遠に一つになる実体にならなければなりません。それでこそ神様の愛を受けられる立場になります。そうすることで、悪の主権から解放されて、善の主権に入っていくというのです。
◯み旨の道
 み旨は、私がいる前からあった。神様がみ旨の始まりであり、み旨の内容であり、み旨の目的である。
◯疎通と共有、笑顔で感謝
今日も絶対いいことあるよ!

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