監獄で血を吐くような拷問に遭っても、「神様、私をお助けください!」という祈祷はしませんでした。「神様、私の愛する民族を私以上に愛してください。世界を私以上に愛し、私のためには同情する必要はありません。もしこの者が死んだとしても、臆病者としては死にません」と言って祈祷しました。
天一国3年天暦12月27日
今日の訓読み言
天聖經(111p42.)
神様が今まで苦労して摂理してこられたのは、ただみ旨を成就するためでした。そのみ旨の帰一点をどこに置いたかというと、人間と神様が苦楽を共にできるところに置いたのです。人間が、神様の希望されるみ旨を成就して、神様と永遠に苦楽を共にできる関係を結ぶようになれば、神様は人間の真の父であり、人間は神様の真の子女になるのです。このようになれば、神様の意志がすなわち人間の意志になり、人間は全被造万物とも和動して、神様に栄光を返しながら、神様の知恵深さと慈しみ深さと恵み深さを、永遠に称賛するようになるでしょう。そのような日が来ることを、神様と人間と万物は願っているのです。み旨は神様の創造理想であり、堕落した人間にとっても永遠の理想です。ですから、そのみ旨が成し遂げられれば神様と人間が一体となり、神様が楽しければ人間も楽しく、人間が楽しければ神様も楽しくなります。すなわち神様の意志が人間の意志になって、二人ではない一人として和動できるようになることによって、人間は神様に永遠の理想の喜びをお返ししてさしあげ、また自らもそれによって永遠の喜びを感じるようになります。
◯み旨の道
原理を知ることが目的ではなく、それを通して神様を知り、中心たるお方を知るのが目的である。
◯疎通と共有、笑顔で感謝
今日も絶対いいことあるよ!
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